「人権」とは何であり、どこからきたものか?

これは私が学んだことのメモ書きです。間違いがあるかもしれません。
この記事をAIに入力したら、結構間違いを指摘されました。後で再考して修正する予定です。

この記事の三行要約

  • 日本国憲法97条は、基本的人権が国家から与えられたものではなく、人類が長い歴史の中で獲得してきた「侵すことのできない権利」であることを宣言している。
  • この考え方の背景には、自然法から発展した自然権思想があり、ジョン・ロックは生命・自由・財産の権利を守るために国家が存在すると主張した。
  • ロックは王権神授説に対抗して、政府が人々の権利を守れないなら人民にはそれを改める権利があると考え、近代的人権思想の基礎を築いた。 

日本国憲法第97条

日本国憲法第10章「最高法規」の最初の条文、第97条は次のようなものです。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

もちろん、何の説明もなくさらっと書いてあり、さらにこの条文を教育で学んだとしても本当の意味はつかみにくいと思います。私は教えてもらった記憶がないし、最近になるまで深く考えることもありませんでした。しかし、これらの文言

  • 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果
  • 過去幾多の試錬に堪へ
  • 侵すことのできない永久の権利

には深い意味があるわけです。

しかし、権力者側にとっては非常に都合の悪い条文であって、特に2012年自民党改憲草案では、この条文を「まるごと削除」することになっていました。現在は「いきなりそこまではできない」と思ったのか、9条や国会機能維持条項(緊急事態条項)に人々の目を向けさせているようですが、連中の最終目的は間違いなくこの条文の削除です(もちろん、他の条項の修正も)。

条文が削除されようが関係ない

しかし、仮にこの条文が削除されようが無関係です。「侵すことのできない永久の権利」と記述があるように、これは憲法があろうがなかろうが我々に永久に存在する権利であり、つまりは、国家の上にあります。端的に言えば、我々の基本的人権は国家や憲法の上にあるということです。

そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、それは「国家」という枠組みに洗脳されすぎている人の考え方です。何かしら「国家レベル」で物事が決められ、我々はそれに従わねばならないという考え方です。そうではないことをこの条文は明確に示しているのです。

しかし、以前の自民党による「まるごと削除」計画というのは、そういった意識を持ち得ない国民を騙し、「憲法から消えたから、この権利もなくなった」と国民に誤解させることを意図したものです。私の予測としては、特に、権力行使側の警察・検察・裁判所・自衛隊などを騙そうとしているのでしょうね。国民一人ひとりが「憲法になくても俺にはこの権利がある」とわめいても、力の前には太刀打ちできませんから。

基本的人権とは何か?

もちろん、日本国憲法には他の条文があり、そこでこの理念を具体化しています。97条はこれらの権利をひとまとめにした人権思想の宣言です。

法の下の平等(14条)
奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)
思想・良心の自由(19条)
信教の自由(20条)
表現の自由(21条)
居住・移転・職業選択の自由(22条)
学問の自由(23条)
生存権(25条)
教育を受ける権利(26条)
勤労の権利(27条)
労働基本権(28条)
財産権(29条)
適正手続の保障(31条)
黙秘権(38条)
裁判を受ける権利(32条) 

これらの条文は、主に二つの種類に分かれるようです。その2つの種類をまとめて「基本的人権」と呼びます。

  • 自然権:表現の自由、信教の自由、裁判を受ける権利
  • 社会権:生存権、教育の権利、労働基本権

自然権とは、17,18世紀の思想、主にはジョン・ロックの思想から来ていますが、社会権は近代以降に発展したものだそうです。しかし、おおよそ、97条は「自然権思想を憲法上で宣言した条文」で大きく間違ってはいないとのこと。実際、戦後の憲法学者には、97条を「自然権条項」と呼ぶ人もいたそうです。

自然権とは何か?

では、自然権とは一体何でしょうか?日本国憲法は、特にジョン・ロックの思想の影響が強いと言われますが、簡単に言えば、「人が生まれ持って持つ権利(人間として生まれただけで、これらの権利がある)」です。彼は3つの権利を示しました。

  •  生命権
    人は自分の生命を守る権利を持つ。つまり、勝手に殺されない、不当に傷つけられないという権利。
  • 自由権
    人は他人の奴隷ではない。つまり、自分の意思で行動できる、国家や他人に恣意的に支配されないという権利。
  • 財産権
    人が自分の労働を加えたものは自分の所有物になる。例えば、畑を耕した、果物を収穫した、家を建てたなら、その成果は自分の財産になるという考え。財産には、土地や物だけでなく、自分の身体、自分の労働も含まれる。

 現代ではあまりに当然すぎて、「わざわざ主張する必要などあるのか?」と言われそうですが、17世紀当時の欧州では絶対王政があり、王様が勝手なことをしていたわけです。さらに、「王権は神から与えられた」と信じ込まされ、「人間は生まれながらに自由」ではなく「従うのが当然」という考えが強かったのです。さらには、奴隷制も普通にありました。しかし、ロックは「人間は他人の支配下に置かれる存在ではない」と打ち出したわけです。

余談ですが、私が思うに、自民党はこの王権神授説の時代(もちろん日本では天皇がトップ)へと日本を逆転させたいわけです。もちろん、戦時中と同じく、神としての天皇が権力者の言い訳として使われるだけですが。制度的なものとしては、97条削除と他条文変更をしたいわけですが、思想的にも「優れたリーダーに従う」意識を日本国民に植え付けねばなりません。

この意識付け戦略の犠牲者が、いわゆるネトウヨと呼ばれる人たちであり、完全洗脳されているわけです。そして、そのツールとして非常に有効なのが中国などの敵であり、人権を叫ぶサヨクであるわけです。まさかと思うでしょうが、連中のやってることを見れば、すべてがその方向性です。

ともあれ、これらの考えは別にロックの発明ではなく、以前からありましたが、ロックには画期的なところがあったわけです。これは後述します。

自然法とは何か?

自然権以前に自然法という概念が、古代・中世からありました。つまり、自然法から自然権という流れで発展していったわけです。これも現代の我々にとっては当たり前のことなので簡単です。

  • 自然法「人を殺してはいけない」→自然権「命が守られる権利がある」
  • 自然法「他者の財産を盗んではいけない」→自然権「人には財産を保有する権利がある」

ただし、「人を奴隷にしてはならない」という概念は弱かったようです。逆に言えば、人は他人の奴隷ではなく、自分の意思で行動できる、国家や他人に恣意的に支配されないという考え方ですね。

実際、例えばアリストテレスは「生まれつき支配されるのに適した人間がいる」という考えだったようです。

これもまた、自然法が発展する中で、「人間は本来自由である」という自然権思想が生まれたといいます。

自然法と自然権では視点が逆

先に書いたような

  • 自然法「人を殺してはいけない」→自然権「命が守られる権利がある」

は、真逆の視点ですね。自然法は「他人に何をしてはいけないか」という客観的な規範であり、自然権は「その規範によって守られる個人の利益や自由」を主観的な権利として表現したものなわけです。

ですから、日本国憲法及びその他の条文の「これこれの権利がある」を逆に言えば、「国家や他者が、その権利を侵害してはならない」という禁止事項です。


 

ロックの(当時は)革新的だった点

その当時は「王は神によって統治を任され、人民はそれに従う」という考え方でした。これに対しロックは、「人間は生まれながらに自由で平等であり、人々は自らの生命・自由・財産を守るために国家を作った」としました。つまり、「国家とは、もともと人間に存在する権利を守るための機関である」としたわけです。これも現代では当たり前ですが、当時は危険思想だったそうな。

  • 王権神授説:神→王→人民
  • ロック:人民→自然権→国家

つまり、「王に逆らう権利がある」というだけで大問題だったのです。

しかし、この点は現代の我々にとっても過激に思えるかもしれない思想ですが、

  • 政府の目的は、人々の自然権を守ることである。
  • もし政府が権力を乱用し、人民の権利を侵害し、専制政治を行うならば、人民にはその政府を倒す権利がある。

以下に、ぴよぴーよ速報さんによる解説があります。めっちゃふざけた動画ですが、わかりやすいですw

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