この記事の三行要約
- フラットアースは19世紀のロウボサム以来であり、現代ではエリック・デュベイその他によって再拡散されている。これは科学ではなく「最初に結論ありき」の信仰体系である。
- 北極星の仰角、南半球の星の見え方、南極の白夜、南半球の距離や交通網など、平面地球では説明困難な観測事実や実務上の矛盾が多数存在するが、彼らは説明できない。
- それでも支持者が信じ続ける背景には、「自分だけが真実を知っている」という心理的満足や集団への帰属意識があり、反証より信念を優先する宗教的構造がある。
連載第20回目になるわけですが、これを記念して少々まとめておきましょう。
フラットアースのざっくり歴史
球体説は紀元前からありました。BC240年頃にエラトステネスは地球の外周を驚くほど正確に計算したと言われます。また、まだ書いていませんが、大航海時代には(北半球では)北極星の仰角を測り、自分がどのあたりの緯度にいるかを知ったり、日本地図を作った伊能忠敬も同じように測量に活かしたようです。ニュートンの理論は基礎理論として科学界で認められ、それによって海王星が発見されたりと、仮説レベルではなく、実際に検証されていたました。19世紀初期には公教育で「地球は球体」と教えられていたようです。
ところが、ここでロウボサム(1815-1884)という人物が登場します。彼は「平面にしか見えない→平面だ」という、ただそれだけの論理を振りかざし、実験をしてみせたのです。もちろん、球体派(今では私は正気派としか呼べないのですが)との間ですったもんだがありました。その後、ブローント夫人が出てきて、写真を撮ってみせ(1904)、「平面を証明した」などと発表しました。その後も論争が続いたのですが、フラットアーサーは、地球平面協会(Flat Earth Society)を結成するなど活動してきたようです。
ちなみに、私自身もこのことは聞いていました。子供の頃で、誰だったか忘れましたが、ある小説家のエッセイか対談かなにかで、「英国には地球は平たい協会というものがあるそうだ」と読んで、「現代科学に洗脳された脳みそ」にとっては「世の中おかしな人がいるもんだな、何考えてんだ?」と思ったことを覚えています。
さて、そんなこんなで地球平面協会は地道に活動してきたのでしょうけれども、2010年代になって現在のフラットアースの「隆盛」が起こったのです。ここには様々な人が寄与しているようです。マーク・サージェントやエリック・デュベイなど、たくさんの名前をあげられると思いますが、私が思うに特にエリック・デュベイは本当に悪質極まりない。ほんの少しでもこの人物の言うことをきちんと検証すれば、完全な口からでまかせとわかるはずなのですが、なんでこんなのに騙されてしまうのでしょう?エリック・デュベイについては、今後厳しく追求していきたいと思っています。
ところで、別にフラットアーサーでなくても、及川幸久、深田萌絵、神谷そうへい、橋本琴絵、佐野美代子などなど、日本人もウソばかりついて人々を騙している人間は大勢いますね。しかし、そういう連中が支持を集めるのは世の常のようです。
今や、フラットアースとはこういったものと同程度と私は考えています。しかし、上にあげた日本人を簡単に信じてしまう人も多く、私の感覚はわからないかもしれません。
平面説はただの宗教
一言で言えば、フラットアースは完全な無理筋であり、夢想世界であり、宗教でしかありません。科学及び現実に根ざしたものではまったくありません。先に示したとおり、その基本にあるのは、
平らにしか見えない
↓
地球は平面だ
でしかないのです。そこに科学は一切ありません。「お気持ち理論」にすぎないのです。
最初に「地球は平たい」という結論を置き、それを支える屁理屈を次々にでっちあげているだけです。何を見ても最初の結論は揺らがず、例えば、「球体なら見えるはずのないものが見える」と言った理屈をつけていきます。球体地球においてそういう現象がいくらでもあることをフラットアーサーは無視します。フラットアーサーとて蜃気楼現象は知っているはずなのですが、それは無視するようです。都合が悪いと無視するという態度は、フラットアーサーに常に見られます。
さらに悪いのが、「重力はない」という、あまりに破壊力の大きなご都合主義です。これはフラットアース開祖であるロウボサムにまで遡れるようです。
地球は平面である。球体であれば裏側に人は住めない
↓
重力があると住めることになってしまうし、そもそも重力によって星々が必ず丸くなることになってしまう。
↓
だから重力はないことにしよう
たったこれだけの幼稚な論理です。星々は丸いけど、地球だけは平面でなければならないのです。これまた、ただの「お気持ち理論」です。ロウボサムの時代はニュートンの100年以上後なのですが、科学界でのニュートン理論の扱われ方など、一切無視したわけですね。
ともあれ、フラットアースは科学とは一切無関係であり、「そうだそうだ、地球は平らにしか見えないぞ!」という皆さんの「お気持ち」を集めているだけの宗教にすぎません。なぜこんな宗教が流行るのか、その精神構造には後で切り込みたいと思います。
地球が平面なら生じるあまりに多数の矛盾に頬かむり
何でもそうなのですが、見なければ存在しないことになります。以下にあげることは、いかなるフラットアーサーであれ答えられないでしょう。
「まともなフラットアーサー」であれば、「それは未解決の問題です」と正直になるようです。しかし、強固に洗脳済みの「傲慢なフラットアーサー」はこう返します、「フラットアースがわかっていない!お前はレベルが低い!」。そして、こちらに罵倒や中傷を浴びせるだけで、疑問に対する答えは一切ありません。
こういった彼らの態度もまた、極めて重要で強力な証拠の一つになることが理解できていないようです。つまり、フラットアースが科学などではありえず、宗教でしかないことの証拠です。まずは「フラットアース教義」があり、それを疑問もなく受け入れねばなりません。それこそ宗教の定義ではありませんか?
さて、以下ではこれまで論じた矛盾についてまとめてみます。
星の見え方が矛盾だらけ
北極星の仰角は観測地点の北緯と完全に一致します。これは球体でなければありえません。「平面説における北極星点光源」では、どう計算しても成立しません。さらに、北極星を利用して地球の外周を素人がおおざっぱに計算することができます。外周は二点で十分ですが、3点以上の観測地点があれば、素人であっても「平面説はありえない」と確認できます。ただし、あちこち旅ができる人に限られますけどね。
北半球からも南半球からも見えるオリオン座は平面説では成立しません。オリオン座の観測事実と一致するような平面説オリオン座モデルの設定は不可能です。観測事実と単純な論理の問題です。
さらに決定的なのは、南半球での星の見え方です。「見え方」、本当にそれだけです。平面説では、南半球の星の見え方は絶対に説明不能です。地球が平面であれば、まるで観測事実が異なり、現代科学では説明ができず、これを説明するには超科学に頼るしかなくなります。この件については、フラットアーサーコミュニティでも何年も議論されながら放置されている問題であることが事実です。
ありえない南極白夜
北極は平面説・球体説で共通に白夜になるのですが、平面説においては南極の白夜はありえません。円盤の上を太陽がぐるぐる回っているのですから、南極も日の出・日没があるはずです。
そして、フラットアーサーも含めて南極白夜を観察するという実験が行われました。当然ですが、球体説の勝利です。同行し、その目で見たフラットアーサーは「改宗」したようですが、ライブストリーミングを見たフラットアーサーはいちゃもんをつけるだけだったらしいですね。じゃ、自分で見に行けばよいのに。
ところで、この記事には書きませんでしたが、エリック・デュベイもこのツアーに誘われていたそうです。しかし、彼は拒否しました。白夜を観察し、「改宗」したフラットアーサーの話では、白夜が確認された後で、デュベイは言い訳を変えたとのこと。どこまでも卑劣な人間です。
南半球での矛盾
先に述べた星の見え方もそうですが、北半球に比べて南半球があまりに広大になりすぎるために生じる大きな矛盾があります。例えば、オーストラリアは球体地球に比べ、平面地球ではあまりに東西に大きくなりすぎるため、豪州東西横断鉄道は、新幹線並の速度で走行しなければ、所定の時間で東西を結べません。もちろん、土地登記、海洋航路、航空路などなどあまりに巨大な矛盾がでてきてしまいます。
地震の伝わり方
地球上を伝わる地震もまた、平面説を否定する証拠です。ある場所で起こった地震を世界中の観測所で検出するわけですが、これもまた球体説を裏付ける証拠になっているようです。平面説ではありえない伝わり方をするからです。
もっとも陰謀論者は、例えば東北大震災などをとりあげて、地震観測が捻じ曲げられていると主張しますし、そもそも「人工地震だ」と主張します。ありうるかもしれないとは思いますが、しかし、日常的に全世界の地震観測データの捏造はできないだろうとは思いますね。
フラットアーサーの重力理論
「重力はない!以上、説明終わり!これがわからない奴は馬鹿!」といった一部フラットアーサーの態度は、幼稚としか言いようがありません。小学生でも他者からの疑問に対してあれこれ理屈をつけるでしょうに、それさえできないのです。本当にその程度です。これには心底驚愕しました。
ひろゆきなら、こう言うことでしょう。
再度ですが、「重力は球体説の強力な後押しになってしまう」から否定せざるをえないわけですが、その理屈というのが極めて他愛のないものです。特に、重力なしにどうやって「上」と「下」が決まるのか、一切答えられません。
私は馬鹿にするために質問をしたわけではありません。「重力不存在」仮説がどう成立するのかを知りたかっただけなのです。しかし、返ってきた答えは中傷と逆ギレだけでした。
つまり、単にフラットアース教義に「重力はない」と書いてあり、そのまま信仰しているだけなのです。
重力否定はフラットアーサーにとって極めて苦しいです。本当に茨の道であり、ご苦労なことだと思います。しかし、信仰のためには、その道を歩み続けるしかないのです。それがフラットアーサーの宿命というものです。
フラットアーサーの精神構造
19世紀のロウボサムの時代ならともかく、現代では球体説を前提としてあらゆるテクノロジーが構築されており、生活から経済活動、軍事までありとあらゆるものがその上で動いています。「皆が騙されている」とか「大勢が口を封じられている」と主張するのは簡単ですが、それでは、あまりに大量の人間が「騙されている」か「口封じされている」ことになってしまいます。どう考えても無理筋です。先の豪州東西横断鉄道一つをとってみても、100万、200万単位で優雅な鉄道の旅を楽しんでいるはずです。新幹線並のスピードだったなんて人は一人もいないでしょう。
では、「なぜこんな幼稚なものを信じ込んでしまうのか?」という精神構造の話になるわけですが、これは他の分野とも全く同一です。例えば、ネトウヨなどを考えてみればよくわかります。
- 高市支持→高市がどんなデタラメをやってもウルトラCな理屈をつけて支持。そもそもホルムズ海峡通過の努力を一切しないことにも頬かむり。ナフサ不足を訴える企業が出てくると「反日サヨク」。
- 日本軍は悪いことなど一切してない→どんな証拠が出てきても「中国のでっちあげ」。
- スパイ防止法大賛成→統一協会が1970年代から成立を狙ってきた理由を想像できない。1985年に廃案になった事実とその理由も知らない。ただただ「中国スパイを捕まえるもの」としか思わない。
あまりに多く、列挙するのが大変なのでやめておきますが、言いたいことはわかるでしょう。ある信仰を持ってしまうと、それに反する事実を無視するか、ウルトラCの言い訳をひねくりだすのです。
ネトウヨの場合は「俺は国を守っている!」という自尊心を持つのです。無意味だった自分の人生に一筋の光が差し、自分の価値を認めることができるのです。
フラットアーサーの場合は、「俺は一般庶民の知らない世界の真実を知る者である」という自負を持つようです。そして、「この真実を皆が知るべきだ、知らねばならない」と信じ込んでしまうようです。実際に、そういう言動をよく見ましたよ。
- 何の関係もない場所に出てきて、「あなたはフラットアーサーですか?違う?じゃ、これを読んで理解してください」。まるで違う話題の集まりなのに、平然とこういう行動をします。
- また別の場所には別の方が出てきて、「あなたはフラットアーサーなんですか?球体だろうが平面だろうがどっちでもいい?それじゃだめなんです!」などと、これまたまるで無関係な話題の集まりで発言します。
こういった信念は、彼にとってあまりに必要であり、その信念と一体化してしまうようです。逆に、少しの疑問を持ち出されただけで、信念、つまり自分自身が攻撃されたと感じるのでしょう。こんなものは普遍的な人間心理であり、逆に言えば、これさえも理解できていない者がこういった信念を持ちやすく、その手の行動をするのです。
人のフリみて我がフリ直せとはよく言われることですが、「俺は絶対に正しい」と確信するある種の人間はそれができません。他者が別の分野で同じような態度を見せるのを目の当たりにしながらも、「自分は違う」と思い込んでいるようです。





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