フラットアーサーの愚かさ(9):一部フラットアーサーの本質

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この記事の三行要約

  • 一部フラットアーサーの問題は地球が球体か平面かではなく、「自分だけが真実を知っている」という優越感を保つ非対称な態度にある。
  • 他者が自身の信念を守る姿勢を批判しながら、自分の信念への異論は拒絶する点に矛盾がある。
  • このような態度は特定の集団に限らず、信念を自己の一部として同一化し、それによって自己価値や存在意義を支えようとする心理構造に共通して見られる。

一部フラットアーサーに対して私がとことん馬鹿にし、頭が悪いとするのは、その姿勢が非対称だからです。こういった表現が適切かどうかわかりませんが、ともあれ説明していきます。

フラットアーサーは言います、「フラットアースがわかればすべてがわかる」と。実際にウイルス学がインチキであることやら、他の主流派の知見がウソであることなどを、多くのフラットアーサーが理解するようです。

私自身も、例えばウイルス学については勉強してきました。その論文を見てみれば、それが科学とは到底言えず、ウイルス学者どうしの合意事項・コンセンサスでしかないと今は断言できます。

しかし、一般の方にそれを説明しようとすると、全く聞く耳を持たないか、事実を提示してもアドホックな説明(その場で思いついたこと)で言い逃れ、新聞・テレビで洗脳されてしまった通りの自身の信念を曲げようとはしません。

様々なことを理解しているフラットアーサーはそういった経験もしているはずです。

なぜこちらの言い分を聞かないのだ。聞いたうえで自分の頭で考えればわかるはずなのに

人はこれまでに形成された自らの信念を曲げようとはせず、異論を徹底的に拒否しようとします。ところが、一部フラットアーサーのやっていることもまるで同じなのです。

  • フラットアーサーは、様々な主流派の見解が誤りであると認識している。他者にそれを言っても決して受け入れないという経験をしているはず。他者は自身の信念(洗脳)が正しいと強固に信じているから。
  • しかし、フラットアーサー自身も、自身の信念を強固に信じており、他者が何を言おうが、改めて考えたり、検証しようとしたりはしない。自分が絶対的に正しいと強固に信じこんでいる。

これが非対称の態度なのですが、その理由としては、こういったフラットアーサーが「他者は愚か者だが、自分は賢くて正しい、真実がわかっている」と信じ込んでいるからです。

日本語には、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉がありますが、傲慢なフラットアーサーには通用しません。もう一度確認しておきますよ。

他者は間違ってるが、私は決して間違ってはいない!

これが一部フラットアーサーの態度です。そして、議論ではなく、上から目線の態度で他者を馬鹿にするわけです。これが、こういったフラットアーサーが自身のエゴを維持する方法です。これも何度も同じことを言っておきますが、彼らにとっては、

球体か平面かが問題なのではなく、それによって自身のエゴを維持することが目的

になってしまっているのです。だから、他者の意見を聞いて考えたり、きちんと反論したりはしません。実際に、こちらの疑問に答えることもせず、上から目線で見下すことしかしません。

人間というものは、それが正しいから何かを信じるのではありません。そうではなく、それを信じる私という存在を一段上にあげてくれるから、私という人間の人生に意味を持たせてくれるからこそ、信じることを継続するのです。

逆に言えば、そうでなければ、自らの人生の意味づけなどできようもない、小さく弱い人間がそういった信仰を持ち、その弱さから信仰によって他者に傲慢になるわけです。

こんなことは、ある程度の人生経験をつめばわかることなのですが、そんなことも理解できていない者がフラットアースという信仰を持ち、他者よりも精神的に優位に立とうとする例が一部フラットアーサーにおいて見られます。

しかし、フラットアーサーはまだましなのかもしれません。同様の態度は、ネトウヨ、**党支持者など、あちこちで見られます。こういった態度の人間はどれも同じ心理的問題を抱えています。外から与えられ、自身の信念になったもの、そもそも借り物であるのに、それを疑うことができないのです。その信念と一体化してしまい、依存し、身体の一部となってしまい、それを攻撃されれば、あたかも身体が攻撃されたかのように感じるのです。

何かしらの「真実」を信じることで、拒否する者との差別化をします。そういう人物は、異論に向き合ったときに傲慢な態度を見せるのですぐにわかるのです。

 

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