フラットアーサーの愚かさ(24):太陽高度が未だに決まらない!

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この記事の三行要約

  • 平面地球説で太陽が上空を回る点光源なら、複数地点での太陽の仰角・方位角から三角測量によって太陽の位置や高度を簡単に求められるはずだが、実際には観測結果が一致せず、ロウボサム以来さまざまな値が提案されながら定説は成立していない。
  • そのため現代のフラットアーサーの中には、太陽を点光源ではなく投影・プラズマ・電磁気現象などとする人もいるが、今度は日食・季節・恒星の運動・南半球の星空などを説明することが極めて困難になる。
  • 結果として、具体的な数値モデルによる予測可能性を失い、「観測前に何が起こるか予測できる科学モデル」ではなく、観測後に都合よく説明を付け加えるだけの説になってしまう。 

太陽についていろいろ調べてみた過程で疑問が浮かんだわけです。

ロウボサムは太陽高度を約5,000kmと言ってたらしいが、他にも諸説あるらしい。しかし、太陽高度なんて誰でも簡単に測定できるんじゃね?

太陽高度は簡単に測定できるはず、はず、はず(エコー)

まずこの話の前提ですが、平面説では、太陽は地球平面の上を回っている点光源です(この図は少々変ですが勘弁してください)。

ということはですよ、少なくとも2つの地点を選び、その距離と、それぞれの場所での太陽の見え方を測定すれば、あとは簡単に計算できるはずです。

例えば、札幌と那覇です。この二地点は経度が違いますが、二地点同時に太陽の仰角と共に方位角を測定し、二地点間の直線距離がわかれば計算できるはずです。ただし、方位角は各地点の「北」が基準なので共通座標系に変換する補正は必要です。三次元幾何の問題ですね。

一方、思考実験としては、もっと簡単にして同じ経度上にある二地点を選んでみましょう。これは二次元幾何になるので簡単です。この場合、方位角を考えなくてもよく、二地点間の距離とそれぞれの太陽仰角だけで計算できますね。例えば、

  • A地点:北側
  • B地点:南側
  • A-B間の距離:1000 km

同じ瞬間に太陽の仰角を測定したところ、

  • A地点:60°
  • B地点:70°

だったとします。計算方法は省略しますが、この場合、B地点の南方1700kmの上空4687kmに太陽があることになります。単に視線の交点を求めるだけです。

極めて簡単な話なんです。なんだって太陽高度には諸説あって、太陽の高度が決まらないのでしょうか?

※ただし、実は、二次元の場合は必ず交点が求まりますが、三次元の場合は、「交わらない場合がある」んですね。ちょっと考えてみてください。2つの地点から「だいたいこの辺」と言って、それぞれレーザービームを発射すると、そのビームが交わらないことの方が多そうですよね?

実際には。。。

上に用いた図は、フラットアーサーから見た場合の論理です。

  • 北側のA地点の仰角が60°
  • 南側のB地点の仰角が70°
  • 太陽の位置はB地点より南

しかし、実際の球体地球では、まるで意味が違っていますね。以下のテキトーな図を見てください。

現実には、A、Bの見ている太陽光は平行光線です。点光源ではありません。では、ここに別の地点Cを追加すると、どうなるか。必ず矛盾が起きます。以下の条件ですね。

  • A/B間、B/C間の距離はわかっており、
  • A,B,Cそれぞれでの仰角がわかっている

すると、A/Bのデータから算出した太陽高度とB/Cのデータで算出した太陽高度は間違いなく違ってしまうでしょうね。

これは北極星を例にやってきたことと同じです。二点では北極星の高度が求められましたが、三点以上になると矛盾が生じるのです。

現実が全く違うのに、平面を想定して計算しても絶対に合いません。

実際に計測した結果は?

ともあれ、太陽高度についてAIに聞いてみると、こんな答えでした。


測定した人はいます。むしろ19世紀以来の平面地球論者は何度も算出を試みています。代表例は、平面地球論の祖とされる Samuel Rowbotham です。彼は著書 Zetetic Astronomy の中で、

  • 太陽高度:約3,000~700マイル(文献によって変動)
  • 太陽直径:約30~40マイル

といった値を提示しています。しかし問題は、その値が観測方法によって大きく変わってしまうことです。例えば平面地球モデルで、

  • 太陽が地球平面の上を回る
  • 太陽は実体を持つ点光源または小さな球体
  • 太陽高度は一定

と仮定すると、

  • 太陽の仰角
  • 太陽の方位角
  • 太陽の見かけの大きさ

から高さや大きさを三角測量で求められるはずです。ところが実際に計算すると、

  • 観測地点によって高さが一致しない
  • 季節によって値が変わる
  • 見かけの太陽直径がほぼ一定であることを説明できない

という問題が発生します。特に近年のフラットアースで致命的なのは、あなたが最近扱っている「角速度」の問題です。もし太陽が平面上空数千kmを周回しているなら、観測者から見た角速度は

  • 近いとき速い
  • 遠いとき遅い

になるはずです。さらに見かけの大きさも

  • 近いとき大きい
  • 遠いとき小さい

になるはずです。ところが実際の太陽は、

  • 角速度がほぼ一定
  • 見かけの大きさもほぼ一定

です。そのため、現代のフラットアーサーはロウボサムのように「高度○km、直径○km」と具体的な数値を出さなくなり、

  • 太陽は局所的な光源である
  • 光の挙動が特殊である
  • 太陽はプラズマである
  • 投影である
  • 電磁気現象である

など、人によって全く異なる説明をする傾向があります。つまり、

「平面説が正しく、太陽が実体を持つ点光源なら、その高さと大きさは簡単に計算できるはずだ」

という発想は正しく、実際に19世紀の平面地球論者はそれをやっていました。しかし計算結果が観測事実と矛盾するため、現代のフラットアース界隈では具体的な数値モデルがほとんど消滅してしまった、というのが実情です。 


あぁ、やっぱり(笑)。たしかに、こりゃおかしいですね。太陽が地球平面上空を回る点光源であるなら、これだけの長い期間人々が努力しているのに、一向にそれが求まらず、ついに投げ出してしまい、変な説明をくっつけているのでは、「疑わない人たちを洗脳し、一応は辻褄があっているように見せかけているインチキな現代科学」よりもはるかに極低レベルと言えます。これらの「インチキ現代科学」は一応辻褄があってるように見えますから。

太陽は点光源ではない論

さらに聞いてみました。

平面説は保持しておいて、太陽がその上空を移動する点光源という設定をやめる人もでてきているわけですね。この場合の問題点にはどんなものがありますか?


はい。現代のフラットアース界隈では、平面地球は維持するが、しかしロウボサム型の「小さな物理的太陽が上空を回る」モデルは捨てるという人が少なくありません。ただし、その瞬間に別の問題が大量に発生します。

1. 太陽の位置が説明できなくなる

物理的な太陽なら、どこにあるかどの方向に見えるかを議論できます。しかし、投影、ホログラム、電磁気現象のような説明にすると、「では、その現象はどこに存在するのか?」が曖昧になります。

例えば、東京から見た太陽の方位、大阪から見た太陽の方位はわずかに異なります。実際には三角測量で太陽方向を求められますが、投影説ではそれを幾何学的に説明しにくくなります。

2. 日食・月食が説明困難

小さな太陽モデルならまだ、「何かが前を通った」と言えます。しかし投影説になると、なぜ月だけが太陽を隠せるのかが説明しにくくなります。さらに、金環日食、皆既日食が場所によって変わる理由も必要になります。

3. 季節が説明困難

ロウボサム型では、「太陽が同心円状に移動する」ことで季節を説明しようとしました。ところが太陽を実体ではなくすと、そもそも夏至、冬至で太陽高度が変化する理由を説明しなければなりません。

4. 恒星の日周運動

太陽だけ特別扱いできても、星はどうするのかという問題が残ります。現実には、北半球では北極星中心に回転し、南半球では南天極中心に回転しています。これは非常に強い幾何学的制約です。太陽だけ投影にしても、星空全体の運動を説明する必要があります。

5. 南半球問題

これが特に厳しいです。例えばオーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンでは、同じ夜に同じ南十字星が見えます。平面地球では、これらは円盤の外周に離れて配置されています。すると三者が同じ方向に同じ星座を見ることが難しくなります。

6. 「何でもあり」になってしまう

実はこれが最大の問題です。ロウボサム型モデルには欠陥がありましたが、太陽高度、太陽直径、太陽軌道という具体的な数字がありました。つまり計算できました。ところが、投影です、電磁気です、神秘的な現象ですとなると、観測結果に合わせて後付けで説明できてしまいます。その結果、予測能力が失われます。

科学モデルとして重要なのは「観測前に何が見えるか予測できること」ですが、現代フラットアースの非物理的太陽モデルはここが極めて弱いのです。

そのため近年ではフラットアース批判側からこう指摘されることがあります。ロウボサム型の太陽は観測事実と矛盾するが、少なくとも計算可能だった。現代の『投影説』『プラズマ説』は矛盾を回避する代わりに、そもそも計算可能なモデルですらなくなっている。

皮肉なことに、平面地球論は太陽を「物理的な物体」として扱うのをやめるほど、反証は避けやすくなりますが、同時に説明力や予測力も失っていく傾向があります。 


私の想像した通りです。

  • 科学(事実と論理)に基づきもしない勝手な説をでっちあげるが、
  • 様々な現象がそれでは説明不能になってしまい、にっちもさっちもいかなくなり、
  • ついには、超科学に頼らざるをえないのだが、
  • 誰にも検証できないトンデモでしかなくなる。

ということです。これが科学のフリをした新興宗教フラットアースの成れの果てです。特にAIの指摘していることは重要です。

科学モデルとして重要なのは「観測前に何が見えるか予測できること」

現代科学では計算式で未来予測ができますが、フラットアーサーは過去に起こったことの適当な再解釈でしかなく、未来予測は不可能です。

フラットアーサーは、「太陽は平面上を回る点光源である」と決めつけていますが、本当にそうなのか、未だに自分たちで確かめることもできません。にも関わらず、裏付けのない架空話を流布しているのです。これらは言いっぱなしの無責任主張でしかなく、挙句の果には辻褄が合わなくなってくると、新仮説を次々に生み出しているだけなのです。

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