ディープステートパニック!その3

さて、マイク・アダムスの言うことが本当だとすれば、トランプ独裁政権が一時的に誕生するわけです。これは大丈夫なのか。そもそもトランプは信用できるのだろうか、という点です。

トランプは信用できない派

マイク・アダムス、リサ・ヘイヴン、マーク・ダイス等は(最近マーク・ダイス出てこないですが)、トランプバンザイ派で、否定的なことは一切言いませんね。これもどうかと思いますが、その一方で、ジェイク・モーフォ二オス、WeAreChange等は厳しく批判してます。

特にジェイクの場合、トランプがどん底になった時にロスチャイルドに救ってもらい、財務省長官がロスチャイルドのパペットであることを言います。さらに、誰もが指摘するように、まわりは戦争屋で固めてます。代表的なのはニッキ・ヘイリー、ジョン・ボルトンです。

本当はどうなのか?

正直言ってわかりません。名だたる戦争屋を閣僚としているのは、トランプ自身の意図なのか、それとも別の何かがあるのか、わからないのです。しかし、万が一、あまりにディープステートの力が強すぎて逆らえないとしたら?

このヒントの一つがリチャード・ブラックの話にあると思いました。彼は裏事情を知っており、率直にバラしてますね。

マイケル・フリン、最初の国家安全保障担当補佐官ですが、
思うに、彼はこういうこと(戦争を終了させる)をしたでしょうね。
それが理由なんですよ、
ディープステートが彼を選び、ターゲットとしたのは。
レーザーのように狙ったんです。
連中が脅しました、
お前が有罪を主張しなければ、お前の息子を狙うと。
良き父として、自分を投げ出したんです、銃弾の前に。
彼は銃弾を受け、言ったんです。
「有罪を主張する、」
「お前らがでっち上げた馬鹿げた物について。」
「それに有罪を主張する」と、「そして息子を救う」と。
ですから、
それが連中の支配の方法なんです。
ディープステートのやり方です。
連中は、本当に卑劣な犯罪行動をとるわけです。
連中の支配を維持するためにですね。
これを打ち破らねばならないんです。
米国民はディープステートの支配下にあるんですよ。
一つたりとも米国民のためのことはやりません。
一つたりともです。

彼の言うことがもし本当だとすれば、辻褄があってきます。いわばトランプは脅迫されているという考え方ができます。

とにかく、戦争屋は戦争しなければならないわけです。一口に戦争屋とは言っても、戦争が好きなわけではなく、背後に途方も無い軍事予算があり、それが軍需産業に行くわけですね。商売あがったりでは困るわけです。

シリア問題

特に問題となるのがシリアなんですが、先のリチャード・ブラックの話にもありますし、ジェイク・モーフォ二オスも良く言うことですが、そもそもCIAがテロリストに武器を与え、シリア内で暴れさせているわけです。

一方で、トランプは大統領以前から、シリアを出ていくことを主張し、大統領になってからも二度ほど撤退に言及してますね。そのたびにホワイトヘルメットによる偽旗事件が起こり、ミサイル攻撃をするわけですが、どうもこのミサイル攻撃は、あまり成果を出してないのが不思議なところです。

あれやこれやを考えてみると、トランプの態度は見せかけではないのか、との想像ができます。

まぁ、本当のところはわかりません。わかってしまったら(つまり、トランプが善人だとして、その思惑が敵側にバレてしまったら)元も子も無いことですからね。

ディープステート側の抵抗ともう一つの悪

そんなわけで、本当のところはわかりません。が、ディープステート側が激しく抵抗しているのは明らかなことです。

ところが、これまたいろんな意見があり、「結局、二つの悪が争っているだけなのだ」という人もいます。Qも含めて一方の悪がもう一方の悪から支配権をとろうとしているだけというご意見です。

しかし、どうもこういったご意見には、まっとうな論拠がないんですよ。そういうことを言う人、いわゆる陰謀系サイトを運営してる方なんですが、ただの想像に過ぎないんです。本当にやめて欲しいものだと思いますがね。

結論

結論としては、ありません。私にはわかりません。個々人でお決めください。むしろ「これこれはこうだ」と決めてる人の方がおかしなことです。わからないことだらけなんですよ、本来。

単純に誰か知人でも友人でも良いんですが、ある疑念を持ったとき、その答えを確実に知る方法なんてありますか?いくら問い詰めても疑惑が晴れないってことはありますよね?

トランプはああだ、こうだと決めつけることの方がむしろ問題です。何度も書くように、洗脳教育に染まってしまった人の考え方ですね。

私が言える唯一のこととしては、ディープステートは破壊せねばならない、ということ位ですか。そのために、トランプが全権を得ることは良いことかもしれないということです。