「Can You Catch A Cold?」サンプル2

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第1章

イントロダクション

風邪は移るのか?日常生活でこの質問をしたら、ほとんどの人は「もちろん風邪は移るよ」と答えるだろう。何を当たり前なことを聞いてんだという顔をして。しかし、彼らの困惑した視線を無視し、さらに「なぜそれが本当のことだと知っているの?」と尋ねたら?疑いなく、彼らは証拠として個人的な話を持ち出すだろう。風邪やインフルエンザにかかった時を数え直すだろう。学校から風邪を持ち帰った鼻水を垂らす子供や、インフルエンザをオフィス中に撒き散らした思いやりのない同僚のせいかもしれない。また、原因となる細菌(germ)を病人が健康な人に感染させる仕組みについて、もっと手の込んだ説明をする人もいるかもしれない。この種の回答は、うわべは合理的に見えるものの、明らかな点で限界がある。確実にこれらの逸話は、風邪やインフルエンザに感染する証明ではないし、いかにして感染するかの適切な説明でもない。人生の多くの場面でそうなのだが、人々は特定の信念を抱きながら,その裏付けとなる証拠を出すことも、十分詳細に説明することもできないようだ。では、なぜ彼らは風邪が移ると強く確信しているのだろうか?

そうだ、我々は幼い頃から信じ込まされる、風邪やインフルエンザが他者から移るという伝染病の概念を。親、教師、医者、科学者、政府高官など、権威ある立場の者は皆、私たちに同じ話を強化してくる。病人が、病気を起こす細菌を他者に撒き散らすというのだ。だから、我々は症状のある者とは安全な距離を保つよう警告される。我々はこれを理解した上で社会に出るが、やがて病人に接触する。数日後、我々は同じ症状で倒れる。この経験が、聞かされてきた話を裏付け、細菌や伝染病についての我々の信念を確固たるものにする。我々はこの現実のモデルに十分に納得し、残りの人生を目に見えない敵に怯え、仲間を警戒しながら過ごすことになる。我々はこの世界観にどっぷり浸かっているため、疑問を持つことはおろか、考え直すこともほぼない。それを行ってしまう人は、陰謀論者や異端者のレッテルを貼られる可能性が高く、伝染病物語に従わねばならない社会的圧力がさらに強まる。

このような社会的比重と文化的勢いを背景として、伝染病に関する十分な証拠と説明があると考えるのが普通だろう。たとえ一般人が説明できないとしてもだ。しかし、本書でわかってくるように、利用可能な科学的裏付けは不足かあるいは矛盾しており、現在の説明モデルは一貫性がないか不完全である。より一般的には、有資格の医療専門家でさえも、このテーマについてほぼ知らないという大きな問題がある。これを完全に確信しており、そのまわりに人生全体を構築するにもかかわらずである。そこで、この問題解決のために、しばらく別の現実を想像してみよう。当局の明言を盲目的に受け入れるのではなく、自身の理解の形成に必要な情報すべてを持つような世界を。この世界は2つの面で優れている。第一に、より完全で正確な真実を知ることができる。第二に、我々はより力づけられ、自己決定ができる、誰かが決定するのではなく。そうなれば、支配的パラダイムを評価するのに最も適した立場に立てるのだ。しかし同時に、この代替世界には不快な可能性、つまり幻滅も含まれる。細菌や伝染病に関する永続的で広範な物語が無効と判明する可能性の一方で、風邪が移るように見えることのより良い説明を見つけられるだろう。これはショッキングかもしれないが、半信半疑は一時的で、最後には良い結果をもたらすだろう。本書の役割としては、この新たな現実をもたらすことである。そのために、今の現実の解体のための必要情報を提供する。

世界一汚い男

やっかいものの細菌論と伝染病の問題を考えるにあたり、「世界一汚い男」の称号を持つ94歳のイラン人、アモウ・ハジを考えてみよう。ハジは67年間、浴室に一歩も足を踏み入れず、石鹸と水で病気になると言って避けていた。ハジは入浴を非常に嫌い、心配した町民が彼を地元の川に連れて行こうとしたとき、走行車両から飛び降りたこともある。それだけでなく、ハジはあまりにも汚らしい暮らしをしていた。彼の住まいは、イランのデジガ市郊外の荒れ果てた小屋で、埃っぽく、錆びつき、風雨にさらされ、野生動物がうようよしていた。ハジは、未調理で新鮮な路上の(悲劇的なほど柔らかい)ヤマアラシの死肉で生き延びた。道端で拾ってきたものである。毎日、ハジはパイプで動物の糞を吸い、泥の水たまりから水を汲み、古い石油缶から飲んだ。ハジは外見が汚かっただけでなく、その汚れの多くは彼の体内にも入り込んでいた[1-3]。

科学によって我々はこう信じるだろう。このような不衛生、粗食、疑わしい生活習慣がハジの免疫力を低下させ、彼が摂取したり吸い込んだ致命的細菌の温床になると。しかし、この考えは否定されたのである。ハジが亡くなる数年前、科学者たちがハジに対して様々な検査を行った結果である。何の病原菌も発見できなかったうえ、誰もが驚いたが、ハジは極めて健康な状態だったのだ。このような発見を踏まえれば、2022年末にハジが亡くなったのは、地元の村人たちが彼にシャワーを強要した1ヵ月後という、なんとも残酷で皮肉な展開だった。

アモウ・ハジの死後、「世界一汚い男」の称号はバラナシ出身のインド人、カイラシュ・シンに贈られた。現在77歳のシンは、「祖国を愛するあまり」50年近くシャワーを浴びていない。シンは毎晩、片足立ちでかがり火を焚き、マリファナを吸い、シヴァ神に祈りを捧げる「火浴」をする[1-3]。繰り返しになるが、こうした型破りな衛生習慣(と呼べるかどうかは別として)は、健康で病気にならない生活の維持のために主流医学が提唱するものとはかけ離れている。しかし、シンは前任者のハジと同様、感染性の細菌や病気の魔の手から逃れている。

では、ハジやシンのような男たちが、最善の健康アドバイスに反したライフスタイルを送りながら、どんな困難にも負けず、老後まで健康でいられるのはなぜなのか?免疫力を高めるようなことは何もしていないのに(それどころか、積極的に免疫力を低下させているのに)、どうして細菌から身を守るだけの強い免疫力があるのか?強い免疫力は、健康的な食事を摂り、こまめに体を洗い、運動し、適切な住居や水道を利用し、不衛生な環境にさらされるのを制限し、タバコやアルコールなどの物質を控えることで得られるはずだ。そう考えると、ハジやシン、そして彼らのような人々が、不潔な環境で暮らし、汚染された水を飲み、最も感染力の強い生物とベッドを共にしながら、ほぼ影響を受けずに人生を謳歌できるのはなぜなのか?大まかに分けて2つの可能性がある。(1)2人とも、現在の細菌に対する理解を無視した体質を持つ自然界の異常者である、(2)2人とも正常な人間であり、現在の細菌に対する理解は更新される必要がある。

長年の疑問

批評家たちは19世紀後半から、伝染病や細菌研究に異議を唱えることで、後者(訳注:細菌に対する理解は間違い)の可能性を熱心に主張してきた。その特別な例がジョン・E・ウォーカー博士であり、一流医学雑誌に「風邪の病因」と題する論文を1932年に発表した[4]。当時、何人かの研究者が、インフルエンザや風邪のヒトからヒトへの感染を証明するかのような実験を行っていた[5-10]。彼らの実験方法の原理は単純である。風邪やインフルエンザの人から呼吸器粘液を採取する。その粘液をろ過して粒子状物質や細菌を除去する。最後に、この濾過された粘液(濾液として知られる)を健康なボランティアの鼻、喉、目、口に注入する。ときには、この濾液を筋肉内、皮下、静脈内(血流に直接)に注射した。健康な被験者がインフルエンザのような症状を発症した場合、研究者は伝染性ウイルスが原因と結論づけた[4]。

この研究とその主張に対し、ジョン・ウォーカーなど多くの医師が懐疑的だった。ウォーカー博士は、ウイルス学という新分野に対する批判の中で「こういった主張は落とし穴だらけだ」と述べている。ウォーカー博士が特に批判したのは、伝染を証明したとする人体実験である。風邪とは何なのか、何をもって伝染とするのか定義されていないからだ。また、どの実験も適切な対照群を用いておらず、いくつかの理由から問題があると指摘した。第一に、不活性物質であっても鼻腔に接種すれば、粘膜を刺激して風邪やインフルエンザの症状を引き起こすと知られている。第二に、接種した濾液で生じる症状は、様々な炎症反応やアレルギー反応を反映している可能性もあり、必ずしもウイルス感染の証拠にはならない。第三に、生理食塩水のプラセボを与えられた参加者が、濾液を接種されたと信じるだけで風邪を発症するほど、暗示の力は大きい。最後に、病人の粘液分泌物には他にも多くの物質を含み、うちいくつかが風邪やインフルエンザのような症状を起こす可能性がある。ウォーカー博士が、風邪の人から人への感染を証明したとされる人体伝染研究の結果が信頼できないと考えたのは、とりわけこれらの理由からである[4]。彼が強調した欠点のほとんどは、1世紀以上前に発表されて以来、取り組まれてはいない。そのため、医師や科学者たちから指摘され続けているのである[11-14]。

伝染性細菌の証拠がないことに疑問を呈したのは、ウォーカーだけではない。他多くの人々が、前世紀の公式見解に異議を唱えたのだ[15-23]。ウォーカーのように、呼吸器疾患の人から人への感染を明らかにする人体実験がないことを強調したのである[24,25]。後の章でわかるように、努力が足りなかったからではない。風邪やインフルエンザを病人から健康な人へ感染させようとする試みは、無数の失敗に終わっている。本書で取り上げるのは、そのうちの200以上である。現代の疫学データでさえ、感染性の粒子が人々の間を伝播するという理論とは矛盾している[17,25,26]。例えば、数十年にわたる熱心な研究にもかかわらず、疫学者はウイルスに基づくモデルを使って、風邪やインフルエンザの流行時期や重症度の確実な予測はできない。

最近になって、このような欠落や矛盾が促したのだが、学術界や医学界から信頼され、経験豊富で広く尊敬されている数人が、細菌に関する学術文献を体系的に評価することになった。彼らはこの問題の真相を突き止めたいと考え、風邪やインフルエンザは呼吸器系ウイルスが起こし、これらのウイルスは病人から健康な人に感染するとの主張を裏付ける、入手可能な証拠(2020年代初頭時点)を再検討した。彼らが明らかにしたことは、感染症の分野を根底から揺るがすものであった[11,12,14,27,28]。

彼らの発見は、主に3つのポイントにまとめられる。

  1. ウイルスは病気を起こさない。ウイルスと感染症の因果関係を示す直接的な証拠はない。
  2. ウイルスは伝染しない。発表された科学的研究で、感染症の病人から病人への感染(伝染)を明確に立証したものはほぼない。
  3. ウイルスの存在さえ、ないかもしれない。発表済の科学的研究で、ウイルスの純粋なサンプルを本当に分離し、その特徴を記録したものはない。

これらの指摘を総合すれば、細菌と伝染病に関する現在の理解は根底から覆される。彼らの主張としては単純に、伝染性の病原体が病気を起こすというモデルを支持するのに十分な質の高い科学的証拠がないことだ。サマンサ・ベイリー博士とマーク・ベイリー博士は、著書「The Final Pandemic」の中で、細菌論に対する典型的批判としてこれらの点を強調している[29]。

当然ながら、この大胆な主張は瞬く間に広まった。これらの医師や科学者が共有した斬新で少々物議を醸す視点は、世界中の何百万人もの人々の注目を集めた。その一方、この主張は科学界や医学界を二分し、大きな議論を巻き起こした。いくつかの研究機関はすぐにこの主張を真っ向から否定したが[30-32]、にもかかわらず、多くの医師[33]、科学者[13]、統計学者[34]、独立ジャーナリスト[35-37]たちの興味をそそった。これらの専門家は皆、「細菌が病気を引き起こす証拠はどこにあるのか?」という疑問を抱いたのである。このような疑問が150年近く続いている。しかし、理由は不明だが、主流派の研究機関は、建設的な批判、反対意見、そして細菌説や伝染病と矛盾する科学的実験結果をほぼ無視してきたのである[38-47]。

新たな理解

風邪やインフルエンザの原因について現在受け入れられている説に異議を唱えるなど、誰でも最初はとんでもないことに思えるかもしれない。特に医学者、微生物学者、疫学者、ウイルス学者などにとっては。教養がない、視野が狭い、あるいはまったくの妄想だと、このような探求を否定するのも無理はないだろう。しかし、歴史的に見れば、我々は多くを間違ってきたのである。例えば、タバコ[48]、アスベスト[49]、サリドマイド[50]、鉛[51]などの安全性だ。うつ病の原因はセロトニンのアンバランスと誤って信じていたことはどうだろう[52]。コレステロールと飽和脂肪酸が心臓病の原因だとか[53,54]、食卓塩による高血圧はナトリウムだけによるものだとかは[55]?そう遠くない昔だが、医師たちはロボトミー手術が統合失調症やその他の精神疾患の治療法だと考え[56]、水銀が梅毒を治療できるかもと考え[57]、瀉血は風邪の適切な治療法と考えた[58]。もちろん、これらの治療法がかつて「確立した科学」とみなされ、医学分野で一般に行われたとは、今では考えられないことだ。こうした考えに反対した人々が「科学否定派」として排除され、公に嘲笑され、知的服従を強いられ、沈黙を強いられたとしたらどうだろう。我々は今日でもこういった古臭い考えに盲目的に従い、さらに多くが傷つき、殺され、不必要な苦しみを強いられていたかもしれない。もし誰もあえてコンセンサスに挑まなければ、我々は理解を深め、社会として前進することはできなかっただろう。

当然ながら、科学に対する挑戦は多くの前線で起こり続けている。例えば、ゴルジ装置、小胞体、単位膜、核膜孔、膜レセプターなどの細胞構造は、組織サンプルを電子顕微鏡用に準備した結果生じた単なる人工物だと主張する科学者もいる[59-65]。これらの科学者の言うことが真実なら、我々が知る微生物学とウイルス学の分野全体が崩壊するだろう。これらの細胞構造なしでは、ウイルス、微生物、白血球が主張される働きをすることは不可能だ。このように、現在の科学的理解は常に論争され、更新されている、本来そうであるべきように。そう考えれば、何年か後に振り返って、どうしてこんなに間違ったのかと思うことが他にあるだろうか?リバーズ原則(満たされれば、ウイルスと感染症の因果関係が証明されるという一連のルール)を作ったトーマス・リバーズでさえ、自分の原則がいつか時代遅れになると認めている[66]。それが起こり得る唯一の方法は、人々があえて疑問を投げかけ、理論を批判し、新しい理論を提案することである。

広く受け入れられている概念の理解を見直すことは、科学的プロセスとして自然であり、必要な部分である。これは常に起こっていることである、タバコやサリドマイド、鉛添加物の安全性を否定する新たな研究が登場したときのように。科学がこうした長年の信念や慣習に異議を唱えたとき、何が起こったと思うだろう?最初は抵抗があったものの、真実が明らかになると、人々は結局それを受け入れ、前進した。我々は必要な変更を行い、より良い方向に人生を進めた。このように、人類は驚くほど適応力があり、回復力がある。同じように、もし私たちが細菌について間違っていたとしても、人々は単に肩をすくめ、何も変わっていなかったかのように、新しく改善された理解を受け継がないと誰が言えるだろうか?そういった可能性はあるが、我々は先走りすぎている。社会が軌道修正する前に、我々はまずパズルのピースをすべて並べ、それらがどのように組み合うのか(あるいは組み合わないのか)を確認する必要がある。本書は、以下の3つの目的を達成するために書かれたものである。

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