「Can You Catch A Cold?」サンプル3

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狙いその1:点と点を結ぶ

子供の頃、点つなぎで遊んだことを覚えているだろうか。絵を描くのは比較的簡単だった。ページ全体に散らばっている小さな黒い点には、ひとつひとつ番号が振られていたからだ。点の間に順番に線を引くだけで、いつの間にか目の前のページにはっきりと認識できる絵が描かれていた。このプロセスは、解答を導き出すのに十分な詳細(点)と指針(数字)が与えられているからこそ単純明快なのだ。しかし、このどちらか一方がなければ、パズルを完成させるのは(不可能ではないにせよ)はるかに難しい。言い換えれば、最低限必要な数のデータ点と、互いの関連性についての十分な情報がなければ、「全体像」は見れない。だから、もし4つの点だけが書かれたページがあれば、四角形につなげるのが合理的に思えるかもしれない。しかし、正しい答えは円だったり、もっと複雑なものであったりする可能性は十分にあるが、推測するのに十分な詳細と指針はない。

さて、風邪やインフルエンザなどの感染症については、人々は科学がすべての点を特定し、番号を振り、適切な順序でつないでいると思い込んでいる。しかし、前述のように、これらの人々が利用可能な証拠(点)を認識しておらず、納得のいく説明(数字)もできないため、知らず知らずのうちに、間違った絵を好き勝手に描いているのだ。仮に彼らが研究にアクセスできたとしても、その科学は視点(つまり、一方的な見解を示している)においても方法(つまり、ノイズが多く混乱している)においても限界がある。このような現状を踏まえ、本書の第一目的は、見落とされている証拠や代替的な説明を数多く並べることによって、記録を正し、読者が病気になるメカニズムについて十分な情報を得た上で理解できるようにすることである。そのため、本書には1,000以上の引用文献がある。学術雑誌、科学教科書、公式ニュース記事などの情報源から情報を得るよう、あらゆる努力を払っている。また、ウイルス学者、微生物学者、数名の医学博士、心理学者も本書のレビューに参加し、情報の正確性を保証している。各章を通じて、あなたは十分な「点」と「数字」を獲得し、それらをつなぎ合わせて自分なりの全体像を描くことができるようになるだろう。

この最後の点について、この本はあなたにどう考えるべきかを教えるものではない。本書は、細菌(germ)が存在しないとか、健康な人に感染して病気を起こすことなどないと主張するものでもない。また、医学的な主張をするものでもない(したがって、本書で紹介されている情報を医学的なアドバイスと見なしたり、自分の健康についての決断に役立てたりしてはならない)。本書は、どう考えるべきかを説くのでなく、単に考えてもらい、その材料を提供するものである。本書は可能な限り公平であるよう努め、中立の立場に立ち、かつてないほど関連性の高いトピックについて、バランスの取れた包括的な概観を提示している。ここに掲載されている情報は、ご自身の結論を導き出すための資料であり、出発点であると考えてほしい。

目標2:手強い質問をする

同じ精神に基づき、本書のタイトルは「風邪は移らない」という声明ではなく、意図的に「風邪は移るのか?」という質問にしている。前者は挑発的であり、注目を集める可能性ははるかに高いが、明らかな主張であり、それを立証するには新たな研究が必要になる危ういものである。一方、質問は単純なだけでなく、長い目で見ればより効果的だ。好奇心を誘い、敵対者を作るのではなく、対話を促進する。これはまた、伝染病を取り巻く不確実性の度合いについてのより広範な指摘を意味する。このように、本書はどちらか一方の議論(すなわち体内環境論対細菌論)が正しいあるいは間違っていると主張するものではない。一方のパラダイムに寄り添いすぎると、もっと重要な概念を見落としてしまうかもしれない。結局のところ、人体は信じられないほど複雑であるため、その機能や外界との相互作用についての理解を常に更新していかねばならないのだ。まだ分かっていないことがたくさんあるのだから、一つの考えに固執しすぎると、物事を明確に見る能力に影響を及ぼすかもしれない。

以上を念頭に置けば、鼻づまりの原因など、長年信じられてきた一般的な考えが間違っているかもしれないことを謙虚に受け止めることが重要である。現在受け入れられている伝染病理論が100%確実で正しいと言い切れる人がいるだろうか?もちろん確実にいない。したがって、科学者と一般市民は、報復や判断を恐れることなく、活発で知的な議論が行われるよう、議論のチャンネルをオープンにしておかねばならない。もし、このような季節性の病気を引き起こす原因が他にあるなら、世界中がそれを知りたがるに違いない。しかし、新たな発見をし、現在の理解を確認し、あるいは無効にする唯一の方法は、既成概念にとらわれないで考え、質問し、議論に参加することである。本書はまさにそれを促進しようとしている。

したがって、本書の第二目的は、人生においてより一般的に難しい問いを立てることを奨励することである。我々は親や学校、教育機関、あるいは一般的なメディアから基本的な知識を学び、それを死ぬまで(あるいは幸運にも幻滅するまで)、まったく変わることなく持ち続ける。このような不完全な「現実モデル」が、国民全体に定着し、硬直化する。一般的に信じられている見解がすべて間違っていると言いたいのではない。馴染みがあり受け入れられているからといって、あまりに確信して維持するのは慎重であれということだ。現代社会は、真実で正確な情報を提供する権威に大きな信頼を置いている。しかし、こうした真実の情報源が堕落していたり、見当違いだったりしたらどうだろう?下心や既得権益があるとしたら?単に間違っているとしたら?我々は、偽りの確信にしがみつくために人を攻撃したり、考えを封じるのでなく、データに従って未知の世界に踏み込んでいくべきなのだ。本書を読めば、健全な猜疑心を刺激され、神聖すぎる、あるいは心地よすぎると思われている考えを疑ってみるよう促されるだろう。

目標3:可能性を開く

人々が伝染病などの考えを確実なものとして持つ一方で、心と身体の潜在能力は、現在の我々の理解よりはるかに大きいこともよく知られている。歴史を通じて、男も女も内なる力を利用することで、本当に信じがたい、一見超人的な偉業を成し遂げてきた[67-69]。例えば、デッドリフティングの世界記録は524kgである。それ自体も驚異的だが、母親が事故に巻き込まれた子どものために、1,500kg以上ある自動車を持ち上げたという記録もある[70]。 こういった驚異的な力がなぜ可能なのだろうか?これは謎である。我々はまだ知らない。しかし、私たちがまだ表面しか見ていない(そして、これからも見ていかなければならない)心と体の深いつながりがある。しかも、これはいわば別世界の強さの話ではなく、日常生活にも影響を及ぼすのだ。いくつかの研究が示すには、ウェイトリフティングすることを想像するだけで、実際の運動に匹敵する結果が得られるという[71,72]。同様に、人間が酸素なしでいられるのはほんの数分と考えられているが、フリーダイバーは水深250メートルに達しながら、水中で約25分間息を止めることができる[73,74]。

身体と心の未開発の力は、病気と健康にも関係している。日本の漆や「ロウバイ」(ツタウルシに似た効果をもたらす)にアレルギーのある若者たちが、片方の腕に無害な植物の葉で触れられたが、ロウバイだと言われた。もう片方の腕にはロウバイの葉で触れられたが、無害な植物だと告げられた。参加者13人のうち、ロウバイに皮膚反応を示したのはわずか2人(13%)であった一方、無害な植物では全員が接触皮膚炎を発症した。また、エンドトキシン(細菌の細胞壁の断片)を静脈注射された人々は、心の力を利用して害から身を守ることができた。彼らは自律神経系を活性化させ、免疫反応に影響を与える方法を学ぶことにより、有害影響を打ち消したのである。これらは、かつて自発的コントロールは不可能と考えられていた生理的システムである[67]。慢性的な健康状態に悩まされている無数の人々が、マインド・ボディ、コンシャスネス、瞑想、リラクゼーションをベースとしたさまざまなテクニックによって病気を回復させている。心の力が、我々が評価するよりもはるかに大きいということの表れである[69,75-78]。

伝染に関してより具体的にだが、多くの対照人体実験で報告されたことは、滅菌生理食塩水を接種されたボランティアが期待に反して風邪やインフルエンザを発症したことだ[10,79,80]。 同様に、プラセボを対照とする研究では、風邪治療薬と思わせるプラセボ薬を飲ませると、風邪の期間と重症度が著しく減少することが示されている[81]。より一般的には、心の力だけで呼吸器系疾患の症状を誘発し、また速やかに回復させることができることを示す証拠が医学文献に発表されている[10]。要するに、人間は心理的に病気を作り出すことも、病気を排除することもできるのだ。

こうした心と体の現象は、多くの興味深い可能性を提起している。もし人が不可能に見えることを可能にできるなら、病原菌や伝染病に関して、我々は他にどんな偉業を成し遂げられるだろう?もし心が風邪やインフルエンザを起こせるなら、我々は伝染性のウイルスにこだわることで健康を損うのではないだろうか?同じように、もし私たちが心を使って免疫系や自律神経系を自発的に活性化することを学べるならば、細菌(germ)の影響は病気話の中では二の次にされてしまうのではないか?つまり、精神力だけで菌の悪影響を阻止できるなら、菌を恐れて生きる意味はない。逆に、もし細菌が病気の原因でないにもかかわらず、そう信じるとしたら、病気負担をいたずらに増加させるのでは?おそらく、我々の時間と注意を無頓着にある考えに集中させるのではなく、精神的な力を活用し、より建設的により良い健康へと向けることに努力を捧げた方が良いだろう。

この種の考えの背後にある感情、そして本書の3つ目の目的は、新たな可能性に心を開くことである。これらの事実だけでも、誰もがこの本(そして人生)にもっと理解力のある態度でアプローチするようになるはずだ。確かに我々はすべてを知っているわけではない。さらに、我々が知っていると思っていることも間違っているかもしれないし、特に我々に可能なことについては、絵の一部しか明らかにされていないかもしれない。何事も「証明」されたことはなく、科学が「確定」することもない。そのため、我々は凝り固まった思い込みを超えて考える必要があり、特に我々全員に影響を与えることについて喜んで先入観を保留する必要がある。その代わり、他に何があり得るかを考え、オープンマインドでこれらの可能性を評価することが肝要だ。

本書の構成

情報に基づくセンスメイキング(意味づけ)、謙虚な探究心、開かれた可能性、この3つの目的を達成するために、本書は20章からなる包括的なツアーにあなたをご案内する。間違いなく膨大な内容だ。しかし、このような巨大なトピックに取り組むのは簡単ではなく、正当な評価のためには勤勉さが必要である。そのため、また、読者がこのページに書かれた幅広い情報を読み解く助けとなるよう、本書を3つのセクションに分割している。

第1セクションでは、基礎的かつ歴史的な誤解を解き、本書の残りの部分を理解するのに必要な原理と文脈を身につける。具体的には、このイントロダクションで舞台を整えた後、第2章では我々が伝染病と誤解している多くの病気について歴史的に説明する。第3章では、細菌が登場する以前の世界の仕組みを探ることで、この歴史を説明していく。そして第4章では、ルイ・パスツールとアントワーヌ・ベシャンという2人の偉大な思想家の対立について語る。第5章では、パスツールの細菌論とベシャンの体内環境論による医学・科学界の分裂を記録する。第6章では、伝染病学者と反伝染病学者との論争の要である自然発生について掘り下げる。この2つの理論の物語の後、細菌論が勝ったにもかかわらず、コッホ原則を満たさず(第7章)、科学的方法を遵守していないため(第8章)、いかに不十分であるかを知ることになる。第9章では、ウイルス分離をめぐる問題や、プラークアッセイや電子顕微鏡法などのさまざまな分析技術の欠点を明らかにする。

この基礎知識と歴史を身につけた後、第2セクションでは、語られることのない科学文献を読み解き、何百もの人体実験のデータを明らかにする。大まかに言えば、学術機関や政府機関による細菌論証明の試みにもかかわらず、矛盾する、あるいは一貫性のない結果をもたらした多くの事例を網羅している。ロシア風邪(第10章)とそれに続く人体伝染実験(第11章)で何が起こったかについての洞察が得られるだろう。スペイン風邪の特異性については第12章で論じ、伝染性を証明しようとした実験については第13章で紹介する。その後、風邪に関する研究から導き出された結論(第14章)と、細菌論の根本的な前提を覆す、船乗りや探検家にまつわるさまざまな異常事例(第15章)について学ぶ。

細菌論とその経験的裏付けの問題点を明らかにした後、第3セクションでは、人々が病気になるときに何が起こっているのかについて、いくつかの代替的な説明で視野を広げてみよう。プラセボとノセボという形の期待の力を理解するようになるだろう(第16章)。心のウイルスが社会伝染によってどのように広がるかを理解し、集団心因性疾患という概念を探求する(第17章)。第18章では、気象現象と我々が風邪やインフルエンザから連想する症状との関係を明らかにし、第19章では、風邪やインフルエンザが実は私たちの敵ではなく味方かもしれない理由を論証する。最後に、本書はこれらの考えをまとめ、個人的および社会的な影響を強調する(第20章)。

本書には、出典を確認し、自身の研究をフォローアップするための参考文献のセクションも充実している。さらに、200を超える人体への伝染と挑戦の研究結果をまとめた補遺も充実している。本書を読み、これらの情報を咀嚼した後には疑問が残ることだろう、「風邪は移るのか?」と。

サンプル4に続く

 

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