銃所持権は神から授かったもの

このタイトル見てギョッとする人もいるかもしれませんが、これは米国のキリスト教信者の保守派の話ですよ。日本の話じゃありません。日本人の感覚からすれば、かなりの違和感があることはわかりますし、私も未だに半信半疑というところなんですが、しかし保守派の言い分の方が正しいように思えてきた昨今です。まぁ、興味のある人はこの先を読んでください。

ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年)

米国の銃問題については、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」が有名ですし、私もこの作品や他の作品でずっと彼のファンだったわけです。この映画の中で、NRA(全米ライフル協会)の言い分として、「銃が人を殺すんじゃない。人が殺すんだ」という「詭弁」をやり玉に上げてたと思うんですが、これにはなるほどと思ってました。

私の大好きなマリリン・マンソン(ウルサイのでおすすめしません)も出演してましたしね。

シッコ(2007年)

他にもいろいろ作品があるんですが、映画館で見たのはこれですね。素晴らしいと思いましたよ、米国には皆保険制度がなく、米国民がいかに保険の無い状態におかれ、すべて自己責任状態になっているという話でした。「これはいかんな」と思いましたね。

その後オバマケアが出てくると、ムーアは大賛成していたわけです。当然のように思いました。

しかし、さらにその後で堤未果の著作を読んでみると、彼女の言うことにはオバマケアは問題だらけであり、単に保険会社・医療業界を儲けさせることを目的にしたものに過ぎないとあったわけです。ここで少々の疑問は出てきました。ただ、あらためて彼女の著作を今思い返すと、私の方が(当時の彼女より)はるかに知識が増えている気がします。

世界侵略のススメ(2016年日本公開)

最後に見たのはこれです。劇場で見ました。ちょうど二年前ですね。今考えてみると「素晴らしい」なんて思っていたんですから笑っちゃいます。たしかに語られていることはその通りなんですが、なぜそうなっているのか、その原因については一切のツッコミが無く、極めて表層的でしかない映画です、陳腐としか言いようがない。

マイケル・ムーア批判

その後、マイク・アダムス等の保守派の話を聞くようになり、そこでやたらとマイケル・ムーア批判が出てくるわけです。たしかに、ボーリング・フォー・コロンバインから連綿と続く銃規制派としてのムーアは批判されるのだろうと、その程度の感触しかなく、正直どう判断して良いのかわかりませんでした。

度重なる偽旗銃撃事件とその目的

しかし、ラスベガスやフロリダの偽旗銃撃事件をつぶさに見ていけば、明らかに何らかの勢力が銃規制したがっていることがわかるんです。それがためにわざわざ、でっち上げの銃撃事件を起こしているんですね。ここ読んでる方で「まさかそんな」と思われる方は、たくさんビデオがあるので見てください。これ見た後で「偽旗ではない」という判断はできません。判断力が無いってことです。

https://jimakudaio.com/#sorting;lang=ja;cls=114
https://jimakudaio.com/#sorting;lang=ja;cls=176

フロリダ銃撃とその後の銃規制集会については、日曜朝の関口宏あたりが「何とかならないんですかねぇ」と呆れていたのですが、私としては「お前の方が何とかなれよ」と思いました。ほんとに彼らはマジ何も知らないのです。幼児のように上からスプーンで与えられるストーリーをただ飲み込むだけで、自ら調べもせずにわかった気になり、自らを「ご意見番」などとみなしているのですから笑ってしまいます。

さて、どんな勢力が銃規制したがっているかと言えば、米国を乗っ取ろうとする勢力、力づくでクーデターか何かを起こそうとしている勢力ということなんですが、これもにわかには信じがたいことです。米国のような先進国、法治国家でそんなことがと。

これについても、スプーンで与えられる情報のみを見ていれば、全く理解できないように思います。物事の裏がある程度わかってこないと無理なんですね。

銃所持権は神から与えられたもの

そこに来たのがジェイク・モーフォ二オス氏のビデオです。これも最初はギョッとしたんですが、彼の言い分を聞いてみると、「なるほど」と納得した次第です。

ここでは、銃所持の問題だけではなく、そもそもの我々の持つ権利についての概念も変えてくれますね。日本の洗脳教育では、日本が民主主義国家ということになっており、その代表者あるいは国民が決めた憲法なり法律なりが我々の権利を既定しているということになっているわけですが、ジェイクは「米国ではそうではない」と主張します。「米国民の権利は人によって与えられたものではなく、神である」と主張するわけです。そして「神によって銃所持権が与えられた」と主張します。

日本の公教育に洗脳された者にとっては、一見かなりのトンデモ意見なんですが、彼の言い分を聞くとだんだんと「なるほど」と思い始めます。

皆さん、これは本当に理解すべきことなんです。
おそらくこのビデオを何度も見て、
これからお教えすることの原理を学べるまでですね。
なぜなら、これは非常に重要だからです。
今現在のディベートにおいてです。
政府の適切な役割とは何かです、
我々の権利に関わっている場合の。
我々の権利は、二つのうちの一つからしか来ません。
我々の権利が神から来るのか、
あるいは、
人間から来るのかです。
もし、人間が、
人類ですよ、
人間が我々の権利を与えるのだとすれば、
人間が我々の権利を制定するものであるならば、
論理的帰結としては、
人間がその権利を取り去ることができるんです、我々から。
民主主義でできますよね、単純に多数が投票すれば。
民主主義でない場合は、強制によってです。
コミュニストの国のように。
いいですか?人間が権利を与えるのであれば、
[00:02:00]——————————
権利を剥奪できるんです。
ここが我々の違う点です。
これが、我々の憲法的共和国の異なるところです、
典型的な民主主義とは。
我々は、自身の権利が人間から来たものと信じません。
我々の建国の父は学んだんです、
サー・ウイリアム・ブラックストーンのような人達の仕事を。
この名前を私の会社名に採用したのですが。。。
ジョン・ロックの仕事を学びました。
他にも多くの人からです。
学者達ですね。そして、知ったんです。
すべての人間が、授けられていると。
生まれながらにある種の権利をです。
これは奪うことができない(inalienable)と。この意味は、
つまり、剥奪できないんです。
我々は生まれつきの権利を持つのです。
その権利の中でも、
人生を楽しむ権利があり、
自身の幸福の道を歩む権利があり、
[00:03:00]——————————
他人の権利を侵害しない限りはですね。
自身の所有物を持つ権利があります。
ですから、これらが三つの大きなものですね。
人生を楽しむ権利、
自身の選択を行う権利、
所有する権利です。
しかし、
邪悪な人達というのは、
これは人間の本質的なものですが、人々の権利を取り上げる方法を探します。
人々の幸福の道の探求をやめさせる方法を追求します、連中自身のためにです。
人々の人生を取り上げたり、
所有物を取り上げたり、
家のような個人的な所有物であれ、
お金であれ、
自然資源であれ。
人がそれを取り上げようとするのですから、
それが、我々にとっての生まれつきの自然権と考えられたんです、
我々の権利を防御するための手段としてです。
もし、剥奪することのできない権利を持つのであれば、
我々は、自身の人生を防御する権利を持ちます。
[00:04:00]——————————
我々の所有物もです。
建国の父の時代においては、
人々が彼らの人生と所有物を守るための第一義的な道具というのは、
銃だったんです。
そして、今日にいたるまで、
銃火器がベストなんです、自身を守るための。
我々は生まれついてこの権利を持つのです。
これらは神によって与えられたからです。
もし我々の権利が神によって与えられたのであれば、
人間がそれを剥奪することはできません。
たとえ、多数の投票であったとしても。
もし神が与えたのであれば、神のみが剥奪できるんです。
人間がやってきて、こう言うとします、
「投票した。我々は君の命を奪うことになった」
「君の所有物を奪うことになった」
「多数決だから」と。
そうではありません。
我々の権利は創造主から来ているのです。
それが建国の父達の共通概念だったんです。

米国社会の危険性

そして、日本とは異なる米国社会の危険性という点がありますね。日本人の「銃なんか危ないわ」という感覚とは全く異なることを理解すべきかもしれません。このことが何度も何度もあちこちで語られますからね。

さらに、昨今では、国境を解放して移民ウェルカムにしろなどというおかしな人が大手を振ってでてくるような状況では、銃無しでは怖くていられないでしょうね。

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