書籍「ザ・ファイナル・パンデミック」イントロと第1章途中まで

マーク&サム・ベイリー夫妻が2024/2に出版した「The Final Pandemic」のAmazon「サンプル」のうち、イントロダクションと「サンプル」にある第1章の途中までです。

サム・ベイリーの動画字幕はMoonのにほん語さんが多く手掛けています。特にマーク・ベイリーによる「A Farewell to Virology」の翻訳をされています。「A Farewell to Virology」のスティーブ・ファルコナーによる動画バージョンは、queseraseraが字幕動画にしています。


イントロダクション

人類は「パンデミック」の脅威下にある。しかし、その理由は主流派の情報源が描くようなものではない。本書は、COVID-19のような「伝染性」疾患の発生に関する主張を検証し、それが何なのか、より重要なこととして、何ではないのかを明らかにする。自然環境(あるいは実験室)から発生した細菌(germ)が我々を攻撃しているという信念が、ほとんどの国民を導いてきたのだ、ロックダウン、公民権制限、かつてない平時の検閲、さらなるワクチン接種へと。しかし、基盤となる科学が暴露され、症例の作られ方が理解されれば、二度と同じ「パンデミック」は起こらない。

我々の他のコンテンツと同様に、我々はそれらを多面的に解剖していく。細菌論(germ theory)の科学的証拠として提出されたもの、「ウイルス」とされるもの[22]、診断テスト、そして薬であれワクチンであれ「治療法」である。それらはあまりにも多くの場合、医療製薬業界や他の既得権益のために慎重に構築されたストーリーによる神話の世界である。残念なことに、それらは健康にとって逆効果であるばかりか、命を縮め、時には死に至らしめることもある。我々は、有名な事例を用いてこれらを説明するよう努めた。メディアがいかに科学的根拠を欠いた、恐怖を煽るセンセーショナルな見出しで欺瞞を助長しているかを示すためである。同様に重要な点としては、いかにして幻想が維持されているかであり、優勢なストーリーに医師が反対の声を上げるとどうなるかについて、我々自身の経験を共有しよう。『ファイナル・パンデミック』という本書タイトルは、伝染性で死をもたらす「細菌」という概念が終了したことを告げるものである。願わくば、このような人為的な「危機」に二度と参加する必要はないことを、人々が認識する一助となれば幸いである。

本書のアイデアは、尊敬するスポーツ科学者であり、作家であり、医師でもあり、誇りを持って友人と呼べるティモシー・ノークス教授から生まれた。サム(ベイリー)がティムに初めてインタビューしたのは2021年半ばのことで、科学と検閲、食品業界と医療業界の腐敗、そしてもちろんCOVID-19について話した[23]。ティムはすでにCOVIDのシナリオがナンセンスと気づいていたし、その強硬な対応は不要であり、世界中の人々が大きな害を被っていることも理解していた。しかし、主張されるようなSARS-CoV-2の存在すらないとの考え方は、彼にとって新たなものであり、問題の「パンデミック」をまったく新たなレベルの懸念へと導くものだった。ウイルス・モデルに反対するような提示資料に目を向けることさえ拒否したほとんどの医師と異なり、ティムの興味は刺激され、書籍『ウイルス・マニア』(訳注:サム・ベイリーの共著)は、すぐに南アフリカのケープタウンにある彼の郵便受けに届いた。おそらくは、科学的誠実さを追求して既存のドグマに疑問を呈してきた彼自身の実績が、再び未知の領域への旅を可能にしたのだろう。

『ウイルス・マニア』の読了後、ティムは「ウイルス」として知られる伝染病を引き起こす粒子に関する証拠は確かに疑わしいと確信した。彼はウイルス懐疑論者となり、2022年7月の「ウイルス論争に決着をつける(Settling the Virus Debate)」声明の歓迎すべき署名者として我々に加わったのだ[24]。『ウイルス・マニア』に対するティムの感想は非常に好意的だったが、400ページを超え、1400以上の参考文献が掲載されているこの本は、その大きさだけでも威圧的であり、参考書のようだと彼は指摘した。彼が言うには、これは批判ではなく、この情報から恩恵を受けるべき人々が見逃している可能性があるという意味だと。彼の提案としては、本の大きさを半分くらいにして、わかりやすい言葉でパンチの効いたフォーマットで書くことだった。こうして『ファイナル・パンデミック』の執筆が始まった。

本書は通して読むこともできるが、「一口サイズ」の独立した作品として読めるように小章に分けられている。言い換えれば、コーヒーテーブルや夜の読書に適した本なのだ。医療科学やウイルス学に関する文献は、医師や科学者であっても、専門外の分野では読みにくいものである。我々は、基本的な科学原理を損なうことなく、できるだけ平易な表現になるよう努めた。さらに深く掘り下げたい場合は、参照している多くの科学論文を調べたり、マーク(ベイリー)によるウイルスモデルへの正式な反論である『ウイルス学への決別(エキスパート版)』など、より専門的な出版物を読むことができる[25]。

「パンデミック」について書くにあたっては、より広い世界的な文脈の中で考える必要があることを、我々はよく理解している。2021年、マークと共著者のジョン・ベヴァン・スミス博士は、『COVID-19詐欺と人類への戦争(The COVID-19 Fraud & War on Humanity)』の中で、「この人類への攻撃は、詐欺を我々の心と身体に送り込むトロイの木馬に依存しており、あらゆる方法で人口をコントロールするという明白な究極の目的を持った人口コントロールグリッドというグローバリストのアジェンダの実現を可能にしている」と書いてた[26]。 ジョン・タイタスも2021年に述べているように、「銀行家たちは科学的な事象など気にしていないが、24時間365日の恐怖ポルノと報道には関心がある。なぜなら、それにより行動を駆り立てることができ、それこそが彼らの狙いだからである」[27]。本書では、いわゆる伝染性細菌に関する誤った信念に焦点を当てるが、読者において理解していただきたいことは、醸成されたこの信念が、医療製薬業界をはるかに超えた領域で、大衆を操るためにいかに利用されているかである。

最後に、本書は何が人を病気にするのかについての本ではない。本書の主な目的は、伝染病[28]や感染症のパンデミックの概念に関する誤った信念に対処することである。病気の原因や、元気になるためのヒントについては、『Terrain Therapy』[29]を含む他の公開物で扱っている。

サマンサ・A・H・ベイリー博士 MB ChB

マーク・J・ベイリー博士 MB ChB, PGDipMSM, MHealSc.

ニュージーランド、ノース・カンタベリー、2024年2月

 
第1章 パンデミックの創造

「医療カルテル…彼らは、病気や病気パニックを作り出し、メディアを通じて広め、さまざまな傀儡機関による法制化を何の問題もなくやりおおす。私がお見せしよう、彼らがいかにして組織的に病気パニックを引き起こし、メディアや連邦医薬品局の権力を使って集団パニックを引き起こし、その後に自分たちのブランドの『治療法』やワクチンを提供したかを。そして、洗脳済の人々がこれらの治療法に走るのだ。各州の保健局は『連邦政府からの援助』としてより多くの現金を受け取る、医療カルテルの嘘を支持する適切な法律制定キャンペーンに従えばである」

ウィリアム・トレビング、ワシントンD.C.、2006年[30]

「しかし、まさにその次の文では、『このウイルス株はWH-ヒト1型コロナウイルス(WHCV)と命名された』と世界に発表している。我々は、この時点で立ち止まる必要がある。SARS-CoV-2と間もなく改名されることになる不正ウイルスが、何もないところから発明されたのである。WHOは何の証拠もないまま、このウイルスがCOVID-19の原因物質だと主張する。2020年3月11日にWHOがパンデミックを発表し、世界中に破壊的なトリックを押し付けたのは、この発明によるものだ」

マーク・ベイリー博士、2022年[31]

アロパシー医学は病気を発明する

「アロパシー医学」という言葉は、医療制度を支配する権力者にとって不快なものである。例えば、オンライン百科事典ウィキペディアには次の欺瞞的な記述がある、「アロパシー医学(allopathic medicine)またはアロパシー(allopathy)は、元来19世紀のホメオパス(訳注:ホメオパシー療法を実践する者)が、現代のエビデンスに基づく医学の先駆けである英雄的な医学を表現するために用いた古風で軽蔑的なレッテルである」と[32]。メリアム・ウェブスター辞書は、本来の意味から著しく逸脱した定義を含む、この大衆欺瞞に協力してきた。このことは、同辞典の「アロパシー」の項目の近年の変化を見れば明らかだ。

2022年5月:「(薬物や手術のような)治療を使って病気と闘うことを目的とする医療行為体系である。この治療は、治療される病気がもたらす効果とは異なる、あるいは相容れない効果をもたらすものである」[33]

2022年11月:「病気の診断と治療、および(薬や手術など)従来型のエビデンスに基づく治療手段の利用を重視する医療行為体系」[34]。

アロパシー医学には、その本質から大衆の目をそらすだけでなく、その目的にかなうように疾病分類を操作してきた長い歴史がある。本書のテーマと特に関係が深いのは、1970年代に発明された「細菌論」症候群である。症候群とは、症状の緩やかな集まりであり、しばしば原因が不明瞭、あるいは不明のものだ。ときどき何らかの症候群が世間に発表されたりするが、何らかの理由で「定着」せず、歴史のアーカイブに追いやられることもある。そのような例のひとつが、非常に多様な胃腸症状に基づいて新たに提唱された症候群を作ろうとしたものがある[35]。その主張としては、ゲイの男性だけ罹患するもので、それに基づき「新たな」症候群は「同性愛者大腸症候群(gay bowel syndrome)」と呼ばれた[36]。このでたらめな診断が示したことは、特定の集団向けに、何もないところから新たな診断を発明し、不必要な治療法を売り込めることである。

残念なことに、これらの発明された症候群(や病気)の多くは「感染」し、世界がひっくり返る。実際のところ、この疫学的アプローチが、伝染病概念にまつわるニセの「証拠」を構築のためにも使われてきた。実際の実験では、「細菌」による自然な経路での病気の伝染の実証を何度も失敗してきたのであり、「伝染病」という概念は、はるか昔に終わっているはずだった。しかし、この非難されるべき科学的証拠はほぼ無視され、疑似科学(とマーケティング)が伝染病概念の存続のために使われている。

本書が追求し明らかにするように、アロパシーのシステムでは、「病気」とは症状があることも無いこともあり、「病気」において実際の不調があることも無いこともある。先述のように、アロパシーは自らの目的のために、症例とされるものの数を操作するために病気の定義を変えてしまう。このような疾病モデルを歓迎するのは、伝統的に細菌論と結びついて利益を得てきた既得権益層である。つまり、製薬業界やバイオテクノロジー業界などだ。要するに、製薬業界によって、製薬業界のための架空の病気が作り出されるのであり、健康増進とは無関係に、現実的利益を得るためのものだ[37]。哲学者のイヴァン・イリッチが1975年の著書『医学的宿命(Medical Nemesis)』で警告したように、このプロセスは「人生の医療化(the medicalization of life)」と呼ぶことができるだろう[38](訳注:医療的問題とされていない領域〜社会的、道徳的に望ましくないとみなされた行動・嗜好など〜が、次第に社会的に病気と定義され、診断・研究・治療・予防といった医療の対象になっていくこと)。

ここ数十年で、その対象は拡大し、どうやら我々全員が新たな伝染病の危険にさらされているようだ。さらに我々は、今後ますます多くの伝染病が襲来を予期するよう繰り返し言われている。マスメディアや大企業のマーケティング・キャンペーンは、国民の大多数にこういった恐怖物語を信じ込ませたかもしれない。しかし、これらの主張を裏付ける科学的証拠は驚くほど欠如している。「科学」として提示されるものが、科学的手法で得られた知見ではないため、一般には無視可能である。2021年11月28日、アンソニー・ファウチ博士の「(私が)科学を代表している」という主張[39]が、状況を明確に要約している。科学が何かしら別の物として再提示されたのである。ファウチ博士は1984年から2022年まで国立アレルギー感染症研究所(NIAID)の所長を務めた。彼は40年間、「パンデミック」を推進する中心人物だった。2017年、このキャリア官僚は先見の明をもって、「ドナルド・J・トランプ大統領在任中に不意打ち的感染症流行に直面することは『間違いない』」と述べた[40]。案の定、そしてまさに予定通り、世界はCOVID-19で「不意打ち」を食らった。

COVID-19 おとり商法

2019年末から2020年初めにかけ、中国都市の路上で倒れる人々だという画像や動画がネット上にあふれた。死傷者の中には中高年や若年層の姿もあり、新たな病気(後に「COVID-19」と命名される)は、人口のほとんどすべてを死に至らしめうると推測された。主流な「報道」は典型的に、病的な誇大広告とそれに対応する事実の少なさだった。例えば、2020年1月下旬、『ガーディアン』紙は「路上に横たわる男の死体:武漢コロナウイルス危機をとらえた画像」という見出しの記事を掲載した[41]。これは、武漢の状況を次のように描いている。

中国の武漢市で発生したコロナウイルスの恐ろしい現実をとらえた画像である。マスク姿の白髪の男性が、レジ袋を手に舗道に倒れて死んでいる。防護服とマスクに身を包んだ警察と医療スタッフが遺体を運び出す準備をしている。木曜日の朝、救急隊員を乗せた車が到着する少し前に、フランス通信社の記者が遺体を目撃した。AFP通信は、60歳代と思われる男性の死因を特定できなかった。AFP通信はその後、警察や地元の保健当局に問い合わせたが、彼の症例についての詳細は得られなかった。

つまり、この男性の基礎的健康状態や、路上で倒れた理由についてほぼ何もわからなかった。「武漢コロナウィルスの危機」によるという推測のためには、そういった詳細は明らかに不要である。これらの言葉や画像は、真に科学的な調査や説明なしに、読者に恐怖を植え付けることを目的だったことは明らかだ。

この種の報道は、世界の他の地域での経験とはまったく食い違うものだった。他のほとんどの国では、2020年に路上で人が異常に死亡したという報告はない。さらに、2020年5月13日、ジョン・イオアニディス博士がCOVID-19の感染致死率(IFR)に関する論文を世界保健機関(WHO)の会報に投稿した[42](WHOがオンラインで発表したのは同年10月14日)。彼の報告では、IFRが低いだけでなく、彼の計算では「0.23%よりもかなり低い」可能性があるとした。さらに、COVID-19に起因する死亡のほとんどが高齢者であり、70歳未満のIFRは0.05%であったと報告した。彼ら自身の(不当な)言い分からしても、この「新奇な」病気は、初期の報道で詐欺的に描かれた致命的なシナリオには似ても似つかないものだった。実際には、COVID患者の増加と同時に、いくつかの国では不審なことに「消滅」したインフルエンザに(症状が)驚くほど似ていたのである[43]。しかし、ヒステリーに火がつき、COVID-19はほとんどの人を死に至らしめる致命的な伝染病という信念が広まったのだ。この信念が、監禁、マスク着用、ワクチン接種の容認、市民権のディストピア的放棄といった大衆のコンプライアンスを助長したことは間違いない。

おとり商法のもうひとつの側面としては、ウイルスとされるものに「SARS」という名称を付け、不吉な響きを持つ「SARS-CoV-2」としたことである。2002年まで、「コロナウイルス」はウイルス学者たちによって比較的無害と考えられていた。実際のところ、何十年もの間、何千人ものボランティアが、コモンコールド・ユニットのホリデーパークで、これらの「細菌」に暴露するチャンスを求めて列をなしていた[44](訳注:こちらを参照)。ユニットを運営する医師たちも、そのモルモットたちも、誰かが自分を危険にさらしているとは少しも思わなかったことだろう。このユニットは1990年にひっそりと閉鎖されたが、10年以上後の2002年にSARSが流行し、「コロナウイルス」は致命的な殺傷能力を持つウイルスとして再分類されたのだ。「SARS」とは重症急性呼吸器症候群のことで、ウィキペディアの項目にもある。

SARSは比較的まれな疾患だった。2003年6月の流行終息時の発生率は8,469例で、症例致死率(CFR)は11%である。2004年以降、SARS-CoV-1(とされる “ウイルス”)の症例は世界中で報告されていない。全患者に共通する唯一の症状は38℃以上の熱である。SARSはしばしば息切れと肺炎を引き起こすが、これは直接的なウイルス性肺炎か二次的な細菌性肺炎の可能性がある。SARSの可能性が高いと判断されるには、胸部X線検査で非定型肺炎または急性呼吸窮迫症候群を示す必要がある[45]。

これは、アロパシー医学が新たな病気を発明した典型的な例である。「全患者に共通する唯一の症状は38℃以上の熱」なのに、なぜ特異的な疾患と言えるのだろう? 発熱はアロパシー医学の中でさえ、極めて非特異的な症状である。アロパシー医学のパラダイムの外では、発熱は単に治癒の危機の一部であり、様々な病気の後の排泄プロセスの促進のために身体が利用すると考えられている[46]。SARSは呼吸器疾患とされたが、発熱を伴う呼吸器疾患と、たとえばインフルエンザや肺炎とをどうやって区別したのだろう? 実際に、WHOは2003年4月23日、「現在のところ、SARSコロナウイルスや抗体を検出する有効な特異的診断検査は存在しない」と発表している[47]。

その後、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)キットが利用できるようになったが、第4章で説明するように、PCRではこういった病気の診断はできない。そのため、自分たちの条件であっても、SARSという新病態の確定検査はできなかったのである。さらに、PCRやその他の検査が大量生産されて流通するのは数年先のことであり、SARSの症例のうち臨床的に診断されるのはごくわずかだった。おそらく、この2000年代初頭、医師はSARS症例を比較的自由に報告可能だったにもかかわらず、多くの症例を「発見」できなかった他の理由としては、患者の症状を「重症」で「急性」だと評価する必要があったためだろう。少なくともその段階では、これらの言葉はまだ明確に定義された意味であり、医療専門家はこれらの言葉の軽々しい使用を躊躇していた。

2020年まで早送りすると、「COVID-19」と呼ばれる新たな病気が発表された。これは、SARS-CoV-2によって引き起こされる「コロナウイルス病2019(Coronavirus disease 2019)」の略称である。結局のところ、この新型ウイルスはSARS-CoV-1に関連していると言われていた。当然ながら、これが2020年にパニックを引き起こし、助長したのである。2002年から2004年にかけてのSARS「流行」の公式死亡率が11%だったからだ。再び被害が拡大し、COVID-19は永遠にSARSと結び付けられることになった。大衆は目に見えない脅威を信じるように騙され、切迫したロックダウンに備えさせられた(本書第4章の「SARS-2(COVID-19)はなぜSARS-1より大きかったのか」も参照のこと)。

無意味な症例

COVID-19の「診断」がいかに馬鹿げているかを知るには、WHOの症例定義を見てみることである。これは、最終的には世界中のほとんどの国で採用されたものである。WHOは2020年8月7日、「WHO COVID-19:症例定義(WHO COVID-19: Case Definitions)」と題する文書を発表したが、これは現在もarchive.orgで閲覧できる[48]。この文書の「疑われる症例」と「可能性の高い症例」の項目には、臨床的特徴や疫学的特徴、X線などの胸部画像所見が含まれている。しかし、これらはすべて都合よく無視できたのである。なぜなら、WHOが「確定症例」をこう宣言したからだ。「臨床症状や徴候に関係なく、COVID-19感染を研究所で確認した人」(強調は著者による)。

アロパシー医学のパラダイムにおける診断には、循環論法がよく見られる。しかし、WHOの症例定義は、この論理的思考トリックをまったく新たなレベルに引き上げた。疾病管理予防センター(CDC)は「レッスン1:疫学入門」の中で次を述べている。

症例定義とは、ある人が特定の疾患、症候群、その他の健康状態にあるかを分類するための標準的基準である。症例定義は、臨床的基準と、場合によっては時間、場所、人に関する制限から構成される。臨床的基準には通常、確認可能な臨床検査がある場合はその結果、または症状(自覚的訴え)、徴候(客観的身体所見)、その他の所見の組み合わせが含まれる[49]。

より広い意味での「症例」とは、単に「ある個人が、ある疾患や健康上の関心事に罹患しているかどうかの判断に用いられる一連の基準」のことである[50]。WHOは、特定の疾病の証拠がないがために、「臨床的徴候や症状に関係なく」診断可能な「関心のある出来事」を利用した。つまり、病気の概念から切り離されたのだ。その代わりに主張されたのは、研究所での「検査」における生化学的反応の結果が病気の症例を構成するというものだった。当初はクリスチャン・ドロステンのRT-PCRプロトコールによって、後には同じく生化学反応に基づく迅速抗原(または「ラテラルフロー」)検査によって、こういったことが行われたのである。実際のところ、これらの検査は、微量の標的分子がサンプル中に存在すれば「陽性」となる化学的プロセスである。分子の起源の特定はできず、この適用では個人の健康状態を知ることはできない。(有用なラテラルフロー検査もある。例えば、よく知られている尿による妊娠検査などだ。このような検査は、実際の妊娠に対応する正確性が独自に検証されており、検出されたホルモン/タンパク質の起源と影響は科学的に立証されている)。

ドロステンらが、2020年1月[51]に『Eurosurveillance』誌に「リアルタイムRT-PCRによる2019年新型コロナウイルス(2019-nCoV)の検出〜Detection of 2019 novel coronavirus (2019-nCoV) by real-time RT-PCR」を発表した時点では、いかなる「ウイルス」も、後に「COVID-19」と呼ばれることになる新型疾患の証拠は示されていなかった。彼らの論文は、すでにウイルスに由来すると宣言されている短い遺伝子配列を検出するためのプロトコルを記載しているだけだ。彼らが選んだ塩基配列は、中国のチームが遺伝子データベースのクラウドにアップロードした一握りのコンピューター・シミュレーション結果に基づいていた(これらの疑似科学的行為についての説明は第4章を参照のこと)。さらに興味深いことは、ドロステンらの論文が異様な速さで発表されたことである。彼らの論文は1月21日に投稿され、22日に受理され、23日に公開された。このような所要時間は医学雑誌の世界では前代未聞であり、どう見ても『Eurosurveillance』は正式な査読プロセスをしたように見せかけようともしていない。

2020年3月19日、WHOは「ヒト感染疑い例におけるコロナウイルス感染症(COVID-19)の研究室検査〜Laboratory testing for coronavirus disease (COVID-19) in suspected human cases」と題する文書を発表した[52]。この文書の発表は、WHOが世界中でCOVID-19の症例発生を急ピッチで進めようとする熱意の表れであった。しかし、不審なことには、最初の「リアルタイムRT-PCRによる2019-nCoVの診断的検出(Diagnostic detection of 2019-nCoV by real-time RT-PCR)」文書がWHOウェブサイトに掲載されたのは、2020年1月13日、そして17日であり[53]、ドロステンの論文『Eurosurveillance』に掲載された1月23日の1週間以上も前のことであった。WHOが予備的なPCRプロトコルを手に入れようと躍起になっていたことは確かであり、特にCOVID-19を「パンデミック」と宣言する2ヵ月近く前であったことを考えればなおさらである[54]。

「ゼロ号患者」

パンデミック疑惑の正当性を描く上で重要な側面のひとつが、いわゆる「ゼロ号患者」であり、これは、感染症の最初の既知の症例として記録された人である(「初発症例(index case)」と呼ばれることもある)。本書では、ゼロ号患者という前提まるごとが架空のものであることを示す。病気が伝染するものという科学的証拠がないのだ。特に第4章では、いかにして「症例」が作られるか、そのもっともらしいやり方を詳しく述べる。COVID-19の症例というのはとんでもないもので、症状があること、具合が悪いこと、あるいは具合が悪くなる危険性があることなどの条件は一切なかった。単に、特定の病気の実態とは徹底的にかけ離れた、ある特定の検査結果が出ればよかったのだ。個人がどんな状況にあるかには関係なく、WHOとその信奉者たちが世界中の人々に受け入れさせたかったパンデミックモデルは、「あなたは感染しているので、我々の指示に従う必要がある」というものだった。

COVIDのゼロ号患者を否定することもなく、メディアは、この発明された症例が誰であったかを謎のままにしている。例えば、2020年2月24日、BBCは『コロナウイルス集団感染の「ゼロ号患者」は誰か』という記事をウェブサイトに掲載した。

中国をはじめ世界中でコロナウイルスの感染者が増加する中、「ゼロ号患者」の特定が急がれている。しかし、一人の人間をアウトブレイクの原因と決めつけることは、善よりも害になるのだろうか?中国当局と専門家は、現在進行中のコロナウイルス集団感染の原因について対立している。より具体的には、この集団発生の「ゼロ号患者」は誰かということである。初発症例とも呼ばれるゼロ号患者は、アウトブレイクで最初にウイルスや細菌性疾患に感染した人間を指す言葉である。遺伝子解析の進歩により、感染したウイルスの系統をさかのぼることが可能になった。 疫学的研究と組み合わせることで、科学者たちは、最初に病気を広め始め、大流行の引き金となった可能性のある個人を特定できる。こういった人を特定することで、いつ、どのようにして、そしてなぜ流行が始まったのかという重要な疑問を解決できる。その結果、現在あるいは将来のアウトブレイクで、より多くが感染するのを防げるのだ。中国で発生したCOVID-19コロナウイルスのアウトブレイクにおいて、ゼロ号患者が誰なのかわかっているのだろうか? 答えは「ノー」である。

言い換えれば、ゼロ号患者を特定することが良い考えかどうか、彼ら自身でも判断がつかなかったのである。しかし、なんにせよ「狩り」は続けられた。しかし、パンデミックを引き起こしたとされる人物を特定する技術は「進歩」していたにもかかわらず、空振りに終わったのだ。COVID-19の時代には、このようなスタイルの主流メディアの記事が多発した。科学の「専門家」が人類のために懸命に働いていることを視聴者に保証する一方で、読者を混乱状態に陥れるためのあらゆる手段を講じた。典型的なのが、同BBC記事の数段落後である。

しかし、医学誌『Lancet』に掲載された中国研究者による研究では、COVID-19と診断されたという最初の人物は2019年12月1日(かなり[中略]早い)であり、その人物は華南水産物卸売市場と「何の接触もなかった」と主張している。武漢の金銀潭病院の上級医師で、この研究の著者の一人である呉文娟は、BBC中国語サービスに対し、患者はアルツハイマー病を患う高齢男性であったと語った[56]。

ゼロ号患者とされる人物は中国の研究者たちによって明確に特定されたようだが、このような問題に関して中国は信用できないとBBCが推論したのだろうと推測するしかない。なんにせよ、この記事の目的としてはは、国民に有益で正確な情報を提供することではなく、危険なパンデミックが進行中であり、専門家とされる人々でさえ事態の把握に苦慮していることを納得させることにある。多くのことが疑問視され、調査される必要がある一方で、新たな恐怖の病気を引き起こすと言われる致命的な「病原体」の存在は、どうやら既成事実のようで、一般市民がそれ以上知る必要のあることではなかったようだ。

(以上、第1章の途中まで)

 

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