ジェームズ・パーロフ:パールハーバーはルーズベルトの9/11だ

これは日本人にとっては非常に重要なインタビューですね。

ジェームズ・パーロフの本は一点だけ翻訳されてます。

ジェームズ・パーロフの字幕付動画は、https://jimakudaio.com/#sorting;lang=ja;cls=140にあります。

概要

ショーン:概要をいただいてから、話に入りましょう。

パーロフ:まず最初に定義しましょう、この攻撃が何であるかを。これはもちろん、我々を第二次大戦に向かわせた事件ですよね。これは米太平洋艦隊に対する攻撃で、ハワイに停泊していたんです。ここに、日本の空母から発進した航空機が攻撃をしかけ、18の米国戦艦が沈みました。2000人の米国人が死亡しました。これが、最後の宣戦布告になった戦争に向かわせたわけです。しかし、今日話すこととしては、おおよそ、パール・ハーバーの背景ですね。今日やりたいこととしては、事実です、

第一に、この攻撃が引き起こされたこと、第二として、艦隊がパール・ハーバーに手配されていたこと、海軍側のアドバイスに背いてですね。第三に、この攻撃が完全に事前に知られていたことです。ワシントンの高官レベルには。彼らはこの情報を、ハワイの軍司令官には伝えなかったんです。彼らは奇襲を受けました。

最後に、隠蔽です。この破滅的な出来事の後に不可避的に起こることを隠蔽したのです。

ショーン:さて、私はWikipediaを見てますが、フランクリン・ルーズベルトについてです。こう書かれてますね。1941年のその日、パールハーバーが起こった。午後1:30に。フランクリン・ルーズベルト大統領は、アドバイザーのハリー・ホプキンスと書斎で協議していたが、海軍長官フランク・ノックスが飛び込んできて、「日本がパール・ハーバーを攻撃した」と報告した。この部分を忘れたのですが、この攻撃で2400人以上の海軍軍人が殺されたと。数は忘れましたが。ほとんど9/11で殺された数と同じですね。ところで、これ(9/11)は偽旗ですが。これについてもお話ししましたね。ですから、思うに、それがお膳立てになったわけです。そこで何を指摘されるでしょう?どうやって日本のこの攻撃は引き起こされたのでしょう?

パールハーバー研究と書物

パーロフ:ショーン、最初に。。。これは皆さんに知ってもらいたいんですが、私はパールハーバーを長い間研究してきました。実際に、この記事ですが、私が書いた12ページの記事です、1986年のものです。New Americanにパール・ハーバーについて書きました。そして、他にも2001年にカバーストーリーを書いてます。これはベン・アフレック(俳優)の映画「パール・ハーバー」に答えたものですね。

私のウェブサイトに来てくだされば、jamesperloff.comですが、パール・ハーバーについてはたくさんあります。実際にこう呼んでるんです。「パール・ハーバーはルーズベルトにとっての9/11だ」と。そこで文書もご覧いただけます。しかし、皆さんにお知らせしたいのは、これは単に、突飛な理論ではないということです。何かしら、最近起こっている真実ムーブメントのようなものではないんです。

歴史を辿って行きますと、これはGeorge Morgensternの「Pearl Harbor」ですね。彼はシカゴ・トリビューンの記者でした。今日お話しする様々なことを暴露しています。これはオリジナルの本ではありません、1947年の出版ですから。そして、1954年には、「The final secret of Pearl Harbor」です。実際の提督、Robert Theobaldによるものです。攻撃の日にパールハーバーの駆逐艦にいたんです。

1955年には、太平洋艦隊の、ハズバンド・キンメルが本を出しました。「Admiral Kimmel’s story」です。こういったことを肯定しています。

他の本も現れましたね、本当のパイオニアとしては、これです。ジョン・トーランドの本「Infamy: Pearl Harbor and it’s aftermath」です。これは単一の書籍ではベストだと思います。もちろんトーランドはピューリッツァー賞受賞者です。この本によってではありませんが。

1988年にはBBCがドキュメンタリーを作りました。「Sacrifice of Pearl Harbor」です。今日我々の言うことを肯定するものです。YouTubeで見れますね。私の記事にリンクがあります、動画埋め込みされてます。

そして、2000年にはこの本です。「Day of Deceit: The Truth About FDR and Peal Harbor」です。Robert Stinnettによるものです。彼は、情報公開法をつかって、新しい情報を得ています。ショーン、これらの本が出続ける理由があるんです。

こちらは別の本です、2007年の、「The Pearl Harbor Myth」ですね。

出続ける理由というのは、単に作り直しではないんです。新たな暴露があり、新たな目撃者がおり、長年にわたってですね。現時点ではほぼ亡くなっていますが。ですから、これについては多くの文書があります。さて、パール・ハーバーの裏話をお話しする前に、これに言及するのは重要だと思うんですね。

米を第二次大戦に導いた理由

モチベーションです、力にある者が我々を第2次大戦に導いた理由です。これについて簡単に触れますが、彼らは非常に。。。ドイツや日本が世界支配するのを止めるためでは無いんですよ、何の文書も見つかっていません、ドイツのアーカイブからは、ドイツが世界支配を計画していたなどというものは。

また、ヒトラーや彼の側近や政治家も、公にあるいはプライベートにも表明していません。私のKim Kellyとのインタビューを見てもらえば良いのですが、興味深い時間をすごしましたよ、第2次大戦について広範囲にやりました。ほとんど三時間です。今日はできませんけど。

日本もまた世界を支配しようなどと思っていなかったんです。モンタナ州より小さい国ですよ。できませんよ。しかしそれが公の理由ですよね、我々が戦争に巻き込まれたことの。

もちろん、火種としてはパール・ハーバーですが、しかし、力にある者が我々を第2次大戦に導いた理由というのは、第一次大戦に参加したモチベーションの継続なんです。

第一に、世界政府です。第一次大戦では国際連盟を作り、二次大戦では国連を作り、これが未だにありますが、それと世界銀行制度ですよ。第一次大戦に融資しましたが、連邦準備銀行を作ったばかりでした。

そして、第二次大戦では世界銀行とIMFを作り、そして、共産主義という観点からは、これが生まれましたね、世界最初の共産主義国がソ連ですが、1917年のボルシェビキ革命によってです。そして、第二次大戦があり、これが地球上の半分に拡大したんです。アジアや東ヨーロッパに。

そしてもちろん、シオニズムです。1917年のバルフォア宣言ですね、これがイスラエルの国を設定したわけです。これが第2次大戦によって作られました。

そしてまた、戦争は儲かりますし、市民的自由を抑圧します。これは全体的な多次元的な、動機があるんですね、この戦争には、オリガークに関しては。オリガークが我々の政府を動かし、他の政府もです。裏から操っています。それが、ある種の彼らの動機であり、それに対し、公の動機があるわけです。我々を導いたことの。しかし、主な焦点に移りましょう。パール・ハーバーそのものについての。

ヒトラーとシオニストのつながりはあったのか?

ショーン:質問してよろしいですか?質問しないとそこに行かないと思うので。深くはつっこみたくないですが、素晴らしいプレゼンを用意されてますから、そこに行きたいのですが、しかし、私はヒトラーに関する真実の歴史が語られていないと思います。なぜなら、CIAの新たな文書がリリースされたのですが、そこで示唆されているのは、彼は逃亡したのであって、壕で死んだわけではないと。戦後、南アメリカに逃げたのだと。話題からはずれることはしませんが、しかし、ヒトラーとシオニストのコネクションがあったと思いますか?

いいえ、この件は最もホットに議論される問題ですよね、オルタナメディアで。これは気をそらすものだと思います。思うに、歴史修正論者が始めたんですね、第2次大戦の真実を暴露することを。パール・ハーバーについても、日本とドイツについても。彼らの動機をですね。それと、ホロコーストの記述についてですね。

修正主義者がそこに入ってきました。私が思うに、ヒトラーが英国ロスチャイルドのエージェントというのは、気ちらしのために投げ込まれたものですね。これについては100%確かとは言えません。陪審席で言うのであれば、十分な証拠があるとは言えません。これは気ちらしだと思いますし、信じられません。そこに行くなら、反証を引用することもできます。

しかし、パール・ハーバーについてやりたいですね。私の意見というならば、信じてません、彼が敵側のために働いていたというのは。

ショーン:OK。では戻りましょう。何がこのパール・ハーバーの攻撃を促進したのでしょう?私はわかってますが、米国が日本に対して経済的戦争を長らく仕掛けていたことは。では、始めましょう。

攻撃の挑発方法

OK。では、攻撃の挑発ですが、裏付けとなるこの言葉ですが、英国の歴史家Russell Grenfellです。彼は、英国海軍の艦長でしたが、1952年の本「Main Fleet to Singapore」です。

道理にかなう情報を持つ人間であれば、誰も信じないだろう、日本が極悪で不意の攻撃を米国にしかけたなどとは。

この攻撃が完全に予期されていただけではなく、実際には望まれていたのだ。これには全く疑いが無いが、ルーズベルト大統領は欲していたのだ、彼の国を戦争に導くことを。

しかし、政治的な理由により、最も切望していたことは、最初の行為が敵側からなされることであった。この理由により、彼は圧力を増していたのである、日本に対して。それが、ある点を超えるように。

つまり、自尊心のある国であれば、武器を持たずに持ちこたえられない点までである。日本は米国大統領によって、米国を攻撃するようにしかけられたのである。

もう一つあります。Oliver Littletonです。英国の航空機生産大臣ですね。彼がロンドンにおける在英米国商工会議所にて発言しました。1944/6/20のことです。

米国は日本をその時点まで誘発させたのだ。つまり、日本がパール・ハーバーを攻撃せざるを得ないところまでである。これは歴史の茶番である、米国が戦争に参加せざるをえなかったという。

これらの引用は、私のオンライン記事にあります。jamesperloff.comです。「Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11」という記事です。

再度ルシタニアが必要

ここで少々背景をやりましょう。米国民は戦争には参加したくなかったんです。彼らは既に学んでいました。

ある程度までは、ルシタニア号事件について知っていましたから(訳注:第一次大戦参戦のきっかけとなった事件)。

いかに産業界に騙され、軍需製品で連中を富ませることになったかも。ですから、第二次大戦に参加したくなかったんです。ですから、力にある者はわかってたんです。なにかしらの起爆剤を作り出す必要があると。

さて、ルシタニアが沈没したときですが、これが我々を第一次大戦に駆り立てたメインイベントですね。英国の旅客船ですが、米国人も搭乗しており、実際に、大量の弾薬を搭載していました。ドイツのUボートが沈めたんですね。それが第一次大戦に導いたんですが、その当時、米国の海軍副長官がフランクリン・ルーズベルトでした。

そして英国の海事裁判所はウインストン・チャーチルです。それがある種の警戒信号になるんです、第二次大戦を見た場合。それが近づくと、彼らは二人は国のリーダーになってるんですよ。彼らは最初は、別のルシタニア号を探していました。

試みたんですよ、ドイツに別のルシタニアをやらせようと。やったことと言えば、英国に軍事物資を貸与し、彼らの護送船団と我々の駆逐艦を同伴し、実際に追っかけ、水中爆雷を投下したんです、Uボートに。しかし、ドイツは報復してきませんでした。彼らは、我々を戦争に引き込みたくなかったからです。わかってたんです、第一次大戦に米国が参加することによって、金がかかったんですよ。

次は、ドゥネッツ提督の言葉なんですが、ニュルンベルクにおけるものです。彼は、ドイツのUボートの隊長でした。

300マイルの安全地帯がドイツによって米国に与えられた。国際法ではわずか3マイルのみの要求だったが。

私が提案したのは、アイスランド周辺のハリファックスにおける地雷原だった。

しかし、総統はこれを拒否した。なぜなら、彼は米国との衝突を避けたかったからだ。

米国駆逐艦が、1941年の夏にドイツ潜水艦を攻撃するよう命令されたとき、私は攻撃し返すことを禁じられた。それゆえに、英国駆逐艦にも攻撃しないよう強制された。間違いをおかすのではないかという恐れからである。

これは非常に明らかなんです。米国との衝突に踏み入れられなかったことは。そして、これも明らかですが、チャーチルとルーズベルトは、ドイツを誘発させようとは思っていなかったんです。彼らが決断したのは、今となってはルシタニアが必要だと言うことです。米国民の80%を戦争に巻き込むためには。我々にはルシタニアが必要だったんです。

しかし、それはドイツからは得られなかったんですよ。ですから、日本にフォーカスを移したんです。1941年のことですが、ハロルド・エキース(内務長官が、ルーズベルトにこう書いています。

我々の戦争への参加のベストな入り口としては、日本の悪い行いだろう。

そして、彼らは会合を始めたんですね、政権の会合です。1941年の秋のことです。ヘンリー・スティムソン陸軍長官がいますが、彼はCFRのメンバーであり、スカルアンドボーンズのメンバーでした。日誌にこう書いています。これは、大統領とのミーティングの後ですね。

我々は繊細な質問に直面した、外交上の言い逃れ(?)がなされるべきであろという。だから、日本を悪者の立場に追いやり、最初の悪さをさせるのだ。問題としては、どうやって彼らを動かすことができるのかである。彼らに最初に発砲させることだ。

ヘンリー・スティムソンです。そして海軍諜報局の副司令官のアーサー・マッカラムは、大統領に計画を持ってきたんです。8つのステップによる挑発です、日本に対する。その締めの言葉としてはこうです。

これらの手段を用いれば、日本はあからさまな戦争行為にはしるだろう。好都合だ。

全面的禁輸措置

そういった計画でした。そして、この計画の組み合わせ、8つのステップの計画は、日本に対する全面的な禁輸措置だったんです。そして、これが成立したんですね。そして、これは心に留めておいてほしいのですが、日本は、非常に輸入依存でした。88%の石油、75%の食料、それと多くの自然資源ですね。

そして、この全面禁輸措置というのが成立したのが、バルバロッサ作戦の一ヶ月後というのは偶然ではないんです。ヨーロッパの6つの国がソ連を侵略しましたが、これらは、ドイツ、フィンランド、イタリア、ルーマニア、ハンガリー、クロアチアですね。

高官たちは、この作戦に日本が参加しないように熱心だったんです。東方からですね、日本の政治家の何人かは参加したがりましたが。禁輸措置というのは、現代の国は石油なしでは機能しないことを狙ったものですね。

では、この禁輸措置の公の正当化は何だったかといえば、これはルーズベルトが説明したのですが、日本は国際侵略国であると。我々は彼らを罰せねばならないと、世界を侵略しようとしているからですね。

では、日本が世界侵略をするという証拠は何だったでしょう?答えは中国の兵ですよ。彼らは中国に兵を送っていましたが、しかし、政府による招聘ですから侵略ではありません。そして、中国に兵がいるから、世界侵略を罰せねばならないというわけです。しかし、これはそれ以前に誰も言わなかったことなんです。

日本は共産主義の脅威がわかっていた

日本兵は、中国に足を踏み入れることはなかったんです、ソ連が最初に攻撃し、外モンゴルを侵略するまでは。それと、中国の北東地方、新疆ウィグル地区ですね。その時点で、彼らは兵をいれたんです。なぜなら、ソ連が。。。地図を見てください、日本は中国とロシアの向かい側です。ロシアは既に共産主義になっており、今や中国にそれが降りてきているわけです。この裏付けとして、ドクター・アンソニー・キューベックの言葉があります。彼は、ダラス大学の政治科学議長ですが、「How The Far East Was Lost」という本を書きました。

これは明らかだった、日本の指導者達にとっては。防御要塞が内モンゴルの満州に作られ、北中国に共産主義が撒き散らされた。それが、日本の安全保障の深刻な脅威となった。しかし、国務省は、日本の防塁を中国におけるソ連進出に対するものとはみなさなかった。実際のところ、ソ連に対するひとことの抗議も国務省からは発せられなかった、新疆ウィグル地区と外モンゴル地区がソ連に吸収されているにも関わらず。同時に、日本は激しく非難されたのである、中国に兵を駐留しているといって。

ショーン、日本人は知ってたんですよ、もし共産主義の拡張を停めなければ、アジアを飲み込んでしまうと。彼らは正しかったんです、それが正確に起こったことですから。我々が日本を下した後、1949年までに中国は共産主義になりました。そして、我々は朝鮮戦争でも共産主義と戦わねばならず、ベトナム戦争もそうですね。もし、彼らをほっておき、共産主義を撃退させていれば、これらは起こらなかったんです。

連中が米国民を巻き込みたかった理由

ショーン:ジェームズ、既にたくさんのことが出てきました。視聴者のためにおさらいしたいのですが、なぜ、力にある者は、口から泡を飛ばして、我々を第2次大戦に導く必要があったんでしょう?そして、パール・ハーバーを起こらせたかです。既にバルバロッサ作戦に言及されましたが、もっと多くのものが第2次大戦ではありましたね。ちょっとおさらいですが、なぜ彼らは、我々をこの泥沼に引き込もうとしたんでしょう?

少々言いましたが、巻き込んでいるんですよ、国連の支配層、世界銀行とIMFの支配層、戦争から利益を得る者、シオニストの国イスラエルの創設、それを世界政府の首都にするのが最終的なプランでした。それをするには第三次大戦が必要ですが。それと、国内での市民の自由の抑圧、それと、バルバロッサ作戦からの日本の排除です。

なぜなら、ニューヨークの強欲銀行がソ連を作り出しました、彼らが作ったんですよ。ジェイコブ・シフやウォーバーグのリサーチに戻ってみればですね。レーニンはゴールドで買収され、トロツキーは、ニューヨーク市から送られたんです、ジェイコブ・シフによって。ゴールドで2000万ドル持たされてですね。

これは彼らの投資だったんです。これを守っていたんです。高官の何人かは自暴自棄だったんです、バルバロッサ作戦が始まったときには。それが、禁輸措置の一つの即座のインセンティブでした。一ヶ月後のですね。

しかし、こういった多次元的な理由があるんです、大きな範囲での推測としてはですね。だからこそ、戦争に参加したかったんです。世界政府、シオニストアジェンダを進めるためのです。

ショーン:これは言わねばならないと思ったのですが、いつもですが、結局は世界政府、シオニストアジェンダに戻ってきますよね。いつもです。9/11と同じようにです。連中は中東での戦争を起こしたかった。それがなければ、米国民は支持しないからです。連中がやったことは、計画を考案し、我々を支持させることです、憲法違反の武力戦争をですね。今日まで続くものですね。そして、もちろん、アヘンの流行が爆発してることがわかってます、この国で。(訳注:オピオイド鎮痛薬の材料はアヘン)そして、我々の軍隊はアフガニスタンでケシ畑を守ってるというわけです、そこでアヘンが生産されてるんですね。(?)我々はドラッグを使い続け、終わりの無い憲法違反の戦争をしてるってわけです。そして、戦争による儲けですよ。うんざりするほど古めかしい脚本です。OK。では、第二次大戦に戻りましょう。日本軍の攻撃は、全く奇襲ではなかったわけですね。

我々の、どんな監視でも良いのですが。。。なぜなら、多くの人がわかってないと思うのですが、日本はハワイの隣じゃないんですよ。4,108マイル(6611Km)も離れてるんです。ですから、どうやって奇襲攻撃なんてできるんでしょう?そして、なぜ我々の戦艦はそこに置かれたままだったんでしょう?ドックに置かれ、日本の戦闘機が攻撃するという。

日本は板挟み状態

パーロフ:艦隊に仕組まれたことを話しましょう。その前に言いたいことは、米側の引き金になった法律です、それが攻撃の即座の引き金になったんですが、それは、日本側への最後通告です。

日本は、真面目に、この禁輸措置について交渉を行っていました。彼らはこう提案したんですよ、すべての兵を撤退させると。。。国際侵略国がですよ、全員を日本に戻すと。南中国とインドシナから。しかし、北中国に足がかりを保持する必要があると。日本海を渡ってすぐのところですね。

なぜなら、共産主義が我々を破壊しないようにだと。そこに何らかを置く必要があると。彼らのバージョンのモンロー主義ですね(訳注:1823年、欧州諸国による米大陸への干渉を拒否する宣言)。彼らはアジアの共産主義による制覇をされたくなかったんです。我々は最後通告を送りましたが、これはwhole ultimatum(全最後通告?)と呼ばれています。

今わかってることは。。。このリンクを置きましたが、タイム誌によって認知されましたが、これは、Harry Dexter White によって書かれたものなんです。彼は、シオニストの共産主義エージェントでした。彼はソ連のスパイです。このことは、アイゼンハワーの法務長官でさえ認めていることです。

ですから、タイム誌の記事というのは、ニュース速報でも何でもないんですが。彼が全体を書いたんですね、そしてそれは、全日本兵を日本本土に戻すことだったんです。想像してみてください、誰かがそんなことを米国に言ったらどういう反応になるでしょう?

日本はわかってたんです、これは板挟み状態だと。経済的に窒息させられていたんです、三つの国の禁輸措置に。我々だけではなく、オランダと英国もですね。経済的に窒息させられ、機能していませんでした。

我々が言ったことは、終了の唯一の条件は、共産主義をアジアにまん延させることだったんですよ。中国から兵を撤退させろと。これは日本にとっては。。。再度、これは死なんです、コインの表裏です、どちらも死です。経済窒息による死か、共産主義による死です。ですから言ったんですよ、戦おうと。

それが、引き金ですね。これは、11/26のことです、パール・ハーバーの二週間弱前ですね。

故意に艦隊を置いた

では、話しましょう、なぜ艦隊はパール・ハーバーにいたのか?誰かが、「米艦隊はなぜパール・ハーバーにいたのか?」と聞いたら?ほとんどの人が答えられません。

通常は、艦隊はサンディエゴ周辺に停泊するんです、西海岸ではですね。そして、その決定をしたのは、フランクリン・D・ルーズベルトです。我々の大統領です。彼は言ったんです、無期限に艦隊を西海岸からハワイに移すとね。そして、艦隊最高司令官、John Richardsonはこれを聞き、激怒したんです、彼は大統領に会いにいきました、1940/10/8のことです。彼は非常に怒り、艦隊がなぜパール・ハーバーにいるべきでないか、うんざりするほど理由を繰り返しました。この理由について行きましょう。

第一に、パール・ハーバーは海の真ん中だから、360度からの奇襲攻撃を受けてしまう。しかし、西海岸におけば、いかなる攻撃者であっても奇襲は不可能だと。たとえ、民間貨物機であろうが何だろうが。

第二に、艦隊はすし詰め状態だったんです。このマップを送りましたが。戦艦を隣合わせにおかねばならないんです。ですから、爆撃機が一つの艦をミスしても、おそらく隣の艦に当たるだろうと。これが、パール・ハーバーの死の落とし穴ですよ。

第三に、艦隊に補給するには、2000マイル(3218Km)の距離を運ばねばならなかったんです、石油、替えの部品、新たな人員。2000マイルですよ。戦争の足場としたいなら、西海岸に置かねばならないんです。

第四に、パール・ハーバーには極めて少なかったんです、石油貯蔵庫や修理用の乾ドック、タグボートなど。艦隊を維持するに必要なものですね。

第五として、もし日本との衝突を心配するなら、ハワイは37%が民族的に日本人だったんです。スパイや破壊活動の恐れがありますね。

第六に、パール・ハーバーに置くと、すべての船員を家族から別れさせることになります。これはモラル的に非常に悪いんです。

これに対して、ルーズベルトの反応としては、John Richardson最高司令官に言ったことですが、パール・ハーバーに置くべき理由を一つ言ったんです。それが日本の武力侵略を防ぐのだと。

それが正しかったでしょうか?1941/12/7の時点で、彼は大きく間違ってたんですよ。日本の武力侵略を防げやしなかったんです。そこにいる艦隊を攻撃したんですね。

しかし、主流派の歴史家というのは、決してルーズベルトの責任を追求しないんです。海軍のアドバイスに反する彼の決断をですね。艦隊がそこにいたのは彼の決断なんです。しかし、今日見られるものとしては、主流派メディアの歴史家というのは、いつでも、海軍を責めるわけです。彼らがこの攻撃のスケープゴートですよ。

ルーズベルトは攻撃を知っていただけではなく、艦隊をそこに置いたんです。なぜなら、日本に我々を攻撃させるようにですよ。我々は大きく、彼らは小さいんです。何かしらの有利さを与える必要があり、それが艦隊を置き、ドックに入れ、攻撃を待つことなんです。

ショーン:これはまさに、実際に裏切り行為に思えますね。そうではないですか?

パーロフ:反逆です。米国民と軍に対する絶対的な反逆行為ですよ。

ショーン:なぜ、彼はそのことで責任をとらされなかったと思いますか?単に主流派メディアが買収されていたからでしょうか?今日と同様に。つまり、連中はブッシュやチェイニーにフリーパスを与えましたね、9/11の。全く同じことでしょうかね?手強い質問が浴びせられることはないと、ペンタゴンで昇進するのではなく、クビになるべき人物に。

パーロフ:そうです、主流派メディアと、もちろん政府の高官自体が、同じコントロール下にあるからですよ。だから、ルーズベルトは決して責任をとらされなかったんです。すぐにその隠蔽についてお話しするつもりですが。

スケープゴート

しかし、次のものとしては、あ、これを言わないといけないのですが、最高司令官のRichardsonについてです、大統領との対立の後の。彼は艦隊司令官をクビになったんです。Husband Kimmelに交代させられました。彼が太平洋艦隊の司令官でした、パール・ハーバーの時には。

彼と将軍、Walter C Shortがスケープゴートにされたんです。この攻撃のね。彼らの家族は数十年に渡り、戦ってきたんです、汚名をはらすために。彼らは真実を知ってますからね、攻撃に関する。

攻撃の予見

さて、次は、攻撃の予見についてお話ししましょう。最初にいくつか本をお見せしましたが、George Morgensternの1947年のパール・ハーバーについての本に戻ると(訳注:「Pearl Harbor: The Story of the Secret War」と思われる)、陸軍と海軍内では、この攻撃が事前にわかっていたというんです。

1944年には、海軍調査委員会と陸軍パール・ハーバー委員会が、パール・ハーバーを調査したんですね。こちらは、陸軍パール・ハーバー委員会によるレポートの要約です。「1941/12/7までに、日本の計画するすべては、米国に知られていた」。これは、米国のオフィシャルな陸軍調査によるものですよ、オンラインで見れるものです。そして、このレポートをルーズベルトは抑圧したんです。

これは、大衆には知らされなかったんですね。少なくとも、あるべきようにはです。しかし、攻撃は事前にわかっていました。どうやってわかったんでしょう?実際には4つの方法ですが、3つをあげてみます。3つの最も重要なものです。

外交暗号(パープル暗号)

まず最初はパープル暗号です。これは日本が外交メッセージに使っていた暗号です。メッセージを常に暗号化していましたから。そして、日本はこれを大使館や領事館との通信に使っていました。日本は、これを暗号化・復号化する機械を持っていたんですね。

彼らは破られないと考えていました。しかし、米国の非常に才能のある暗号分析者が、破ってたんですよ。その結果、1941年には、我々自身の機械を考案したんですね。暗号を自分達の機械に入れて、外交メッセージを読んでたんです。原則的に同じに日にです。しかし、なぜ司令官達はそれを知らなかったんでしょう?

これらのメッセージは、傍受されて復号化され、定期的にルーズベルトとロック・パウチに届けられていました。それと、キーとなるトップアドバイザーにです。それと、Harry Hopkins(ルーズベルトの側近)ですね、先程申し上げた。Harry HopkinsはBernard Baruch(政治家)のフロントマン(?)でした。

そして、Elwin Kramerは海軍翻訳局にいましたが、証言していますね、これらのメッセージをHarry Hopkinsのホテルの部屋に持っていったと。

Harry Hopkinsはホテルの部屋にいたんですよ。彼が従っていたBernard Baruchは、こういったトップシークレットの外交メッセージを読んでいました。ハワイの司令官でさえ見ることを許されていないものでした。これらのメッセージでわかったこととしては、日本の東京司令部が命令したことです、ハワイにいるスパイに、米艦隊をスパイせよと。そして、すべての艦とドックの正確な位置を東京に知らせるようにと。スパイが船の位置を見るのは、ごく普通のことですが、

しかし、敵国がそれぞれの船とドックの正確な位置を知りたがったんです。その明らかな含みとしては、艦隊が攻撃対象になっていることです。

しかし、もちろんワシントンは、これはハワイの司令官に知らせるには重要ではないと判断したんです。傍聴暗号からこれもわかったのですが、日本がドイツに言っていたことです、戦争が勃発しそうだと。実際に、我々は翻訳してたんです、日本の宣戦布告をです。彼らが我々に言う前に。14のメッセージのうちの13は既に翻訳されてました。それが傍聴されてました。

ハリウッド映画の「トラ・トラ・トラ!」をご覧になりましたかね?この映画では、日本の大使が宣戦布告を国務長官のCordell Hullに渡しますが、攻撃の後ですね。彼はショックを受け、完全な驚きですよ。「なんてこった、戦争か!信じられない」と。実際には、彼は既に宣戦布告を読んでたんです。驚くわけありません、何を渡されようが。すべて知ってたんですから。

多数の警告

そして、傍聴暗号のほかに、個人的な警告がたくさんあったんですよ、ワシントンに対して。

例えばですね、我々側の日本への大使が、このメッセージを1941年にワシントンに送ってきました。我々の大使Joseph Grewのものですね。

公使や私のスタッフが言っている、たくさんのソースから聞いたと。米国と日本の間のトラブルが発生しそうだと。日本はパール・ハーバーに奇襲攻撃をしそうだと。彼らの全力を持って。

ジャワ島にいた、軍事アドバイザーであった准将 Eliot Forkは、ジャワ島はオランダの支配下でしたが、オランダもまたパール・ハーバーのことを知らされていました。ですから、Eliot Forkに言っていたんです。

先程言ったBBCのインタビュー「Sacrifice of Pearl Harbor」で証言を見ることができますよ。彼が言うには、パール・ハーバーについての警告を4度ワシントンに通知していたというんです。最後には戦争省がこう言ったそうです、もうパール・ハーバーに関する警告は送るなと。オランダはまた、ワシントンに大使館員がいましたが、FGLワイシャーマン(?)は、マーシャル将軍、参謀総長ですね、彼に通知しましたし、J・エドガー・フーバー、FBI長官ですが、ルーズベルト大統領に攻撃の警告をしたんです。

彼は二重スパイから情報を得ていたんです。ユーゴスラビアの二重スパイです、ダスコ・ポパップ(?)です。彼もBBCドキュメンタリーでインタビューされてます。ルーズベルト大統領はガイ・ジレット上院議員にも警告されました。これは、韓国の地下組織によるものです。ジレットによれば、ルーズベルトは言ったそうです、それはしまっておけと。

次は、テキサスの下院議員マーチン・ダイスの言葉ですが、彼は地図を受け取ったんです、日本のパール・ハーバー攻撃の詳細です。彼はこう書きました、米国下院議員のマーチン・ダイスです。

この文書を受け取るやいなや、私は国務長官コーデル・ハルに電話し、内容を伝えた。彼は私にこう指示した。地図のことは誰にも知られるなと。その代わり、ルーズベルトに連絡すると言った(?)。一時間後に彼が電話してきて、ルーズベルトと話したと言った。彼らが同意したことは、これは深刻だということだ。この地図のいかなる情報をもニュースに知られることを憂慮した。私は彼に言ったのだ。これは大変な責任だと、このような重要な情報を大衆に隠しておくことは。長官は受けあった、彼とルーズベルトはそれを国家防衛に不可欠なものと考えていると。

下院議員のマーチン・ダイスです。これは、個人的警告のいくつかなんです。ルーズベルトと参謀総長が受け取ったものの(?)。

パール・ハーバー~9/11事件

ショーン:そうですね、これを言わせてください。我々の多く、9/11に詳しい方の多くは、この文書にも詳しいでしょう、 Project for a New American Century(PNAC)の文書です。ここで彼らは、こう言ってます。「新しいパール・ハーバーが必要だ」と。今ほど、この言葉が明確になった時はありませんね。パール・ハーバーで起こったことは、完全なでっち上げだったんです。9/11が完全なでっち上げであると同じように。

パーロフ:これは反逆行為ですね、ともあれ。これは反逆ですし、これは偶然ではないんです。映画「パール・ハーバー」が出てきたことはですね。これは、PNACが新たなパール・ハーバーと呼ぶ9/11の中途に出てきたんです。これは2001/5の公開です。ところで、タッチストーン・ピクチャーズが、この映画をベン・アフレックを使って作りましたが、私に信じられないことは。。。彼らはそれ以前に戦争映画を作ったことがないんです。

誰が2001年にパール・ハーバーの映画を見るというんですかね?彼らが求めていたんですよ。大衆を駆り立てるためですよ。

海軍暗号も破られていた

しかし、最終的な手段に行かせてください、攻撃について連中が知ることになった。これは、この本が出るまでは知られていませんでした。Robert Stinnett によるものですね。彼は、情報公開法を用いました。新しいものを発見したんです。それを使ってですね。

彼が発見したことは、我々が日本の外交暗号を破っていただけではなく、海軍の暗号も破っていたことです。ですから、日本艦隊がパール・ハーバーに近づくと。。。

彼らは完全に静寂だったわけではなく、裁量があったわけです。メッセージを送ったんです。我々はその海軍のメッセージも読んでいました。ここに一つがありますが、疑いなく重要ですが、山本司令長官が、日本の第一陣の航空隊に送ったものです。1941/11/25です。

特別部隊はその動きについて、厳格に秘密を守っている。そして、潜水艦は航空機に対する厳重な監視を続けている。彼らはハワイ海域に向かって進むだろう。そして、戦闘寸前である(?)。彼らは、米国艦隊の主力部隊を攻撃するだろう。そして、葬り去るのだ。最初の空爆は、Xデーの夜明けに行われる。正確な日付は、後に命令する。

ショーン、この傍受を誰も読めなかったんですよ。知らなかったんです。パール・ハーバーにいる我々の司令官には知らされていませんでした。

ショーン:そうですね、再度ですが、先程言ったことを拡大したいと思います。新たなパール・ハーバーについてです。パール・ハーバーで起こったことは、悲惨であり、触媒的イベントだったんです。それが米国民にそうさせたんです、息子達を第二次大戦に送り出すことを。連中の手には、どれほどの血がついているんでしょう?無数の人達ですよ、この戦争において。連中が偽旗で我々を巻き込んだ他の戦争を除いてそれだけですよ。連中の手についた血です。本当にモンスターです。しかし、進めてください。

隠蔽

パーロフ:そうです、悪魔的ですね。ところで、実際に見てみれば、パール・ハーバーのポスターをですね、ちょうど9/11の後の物のようですよ。「パール・ハーバーを忘れるな。これらの色はにじまない」。全く同じ表現が使われましたね。

しかし、隠蔽についてお話ししましょう。9/11の隠蔽です、特に9/11コミッションの隠蔽ですね。

しかし、想像されるように、パール・ハーバーの後、なぜこんなことになったのか、という泣き叫びがあったんです。なぜ我々にこんなことがと。なぜ我々は、奇襲されたのかと。なぜ不意打ちを受けたのか?なぜこんなにたくさんの米国民が死んだのかと。説明を求める声があったんです。ですから、ルーズベルト大統領は、コミッションを選任し、何がパール・ハーバーに起こったかを調査させました。彼は十分良く知ってましたがね。これはロバーツ・コミッションと呼ばれます。

最高裁判事オーウェン・ロバーツによって指揮されたんです。彼はルーズベルトと非常に親しい人です。そして二人の将校です。パール・ハーバーに深く関わる参謀総長のジョージ・マーシャルに近しい者達です。退役司令官の一人ジョセフ・リーブズですが、彼は武器貸与の仕事をルーズベルトに与えられたんです。

これらはワシントンフレンドリーなグループですよ。そして、ロバーツコミッションはワシントンで二日ほどかけて、仲良しグループが、宣誓証言さえとったんですね。そして彼らはハワイまで行ったんです、三週間かけて。調査にですね。

そして、Kimmel司令官とShort将軍はショックを受けたんですね、法律顧問にその権限を否定されたんです、質問を許されなかったんです。なぜ、自分達が法的な代表権限を持てないのかと問うと、ロバーツが言うには、「これは法廷ではない」と。「非公式なヒアリングだ」と。誰かが発見したことは、ロバーツコミッションのレポートには重要な証言が脱落していることです。

それによれば、ワシントンはその模範となるべきやり方で行ったということです(?)。ルーズベルト、マーシャル、その他全員がです。そして、ロバーツコミッションによれば、パール・ハーバーのすべての非難は、そこの司令官にあると言うんです。Kimmel司令官とShort将軍ですね。

彼らは職務放棄で非難されたんです。彼らが、パール・ハーバー海域の適切な監視を怠ったと。彼らは、哨戒機を懇願してたんですよ。足りないと。数百の哨戒機が展開してましたが、それらはソ連や英国に行ってたんです、ハワイではなく。しかし彼らが非難され、ルーズベルトはレポートを読んで、それを長官に渡し、こう言ったんです。「こいつを夕刊に間に合うよう新聞に渡せ」と。ですから、国内中の新聞の見出しはこうですよ、「職務怠慢」と。人々がこれら二人の軍人を非難したわけです。議員達は、彼らを銃殺にしろと言い、少なくとも、軍法会議にかけろと。

そして、KimmelとShortは、彼らは軍人がかつて頼まないようなことをしたんです。彼らは、「YESだ。我々を軍法会議にかけてくれ。どうかそれを軍法会議の場にしてくれ」と。彼らは、パール・ハーバーの件を法廷で解決したかったんです。

通常の証拠の手続きに従うものです。これはロバーツコミッションではやらなかったんです。

ショーン:そこで発見されたことでしょうね。実際に軍法会議になれば、調査の特権ができますから、すべての情報が公の記録して残ったことでしょう。もちろん政府はそうして欲しくないでしょうが。

パーロフ:そうです、ルーズベルト大統領は、軍法会議を禁じて、言ったんです、「今は国家安全の時だ。今戦争中なのだ」「これに関わってるひまはない」と。ですから、軍法会議はなかったんです、1944年までは。

1944年に議会によって命令されたんです。その時点では、明らかに我々が勝ちつつありましたからね。国家安全というのは、もはや口実にならなかったんです、この裁判をしないことの。ですから、1944年に、海軍調査委員会が開かれました、軍のパール・ハーバー委員会と共にです。そして、KimmelとShortが法廷に出て、彼らの友人、海軍省に友人がいましたが、彼らがこっそり教えたんですよ、傍受について。

つまり、ワシントンが完全に奇襲をわかってたということです。そして、海軍調査委員会の司令官が、このことを聞き、彼らは、鉛筆を床に投げ出しました。Kimmel司令官は完全に潔白になったんです。そして、パール・ハーバーに関するすべての非難は、ワシントンに向けられたんです。既に申し上げた軍のパール・ハーバー委員会はこう言ったんです、彼らの結論です、「1941/12/7の朝までに、日本の計画したすべてが米国側にわかっていた」と。

さて、ルーズベルトはわかっていました、この裁判の結果が公になれば、政治生命は終わります。スキャンダルになりますね。ですから、再度ですが、彼は言ったんです、国家安全を口実にし、「これらのレポートは公にされてはならない」と。「国家安全により、それが許されるまでは」と。「この評決が公にされてはならない」と。

結果の反転

その間にも、彼らは薄氷の上にいたわけですが、この評決ですね。公に知られなかったんですが、ルーズベルトは、捕捉的調査に投資し、指揮したんですよ、これに選ばれた者というのは。。。この「補足的」調査にですね、 Henry Claussen中佐です、フリーメーソンフェローですね、それと、John F Sonnet(?)少佐です。

彼らが、最終的に結果をひっくり返したんです。以前の調査をですね。これは前例がないんです、中佐が将軍による評決を覆したというのは。そして、少佐が司令官による評決を覆したというのは。

ここで起こったこと、連中がやり遂げた方法としては、連中は、様々な将校をまわったんですね、ワシントンの予知について証言した人達をです。軍のパール・ハーバー委員会や海軍調査委員会に証言した人達です。例えば、軍諜報機関のRufus Bratton大佐は、軍のパール・ハーバー委員会を前にして証言しました、12/6、攻撃の前日に、彼は日本の宣戦布告の傍受を送信してるんです、マーシャル司令官のオフィスにですね。

さて、新たな補足的調査が始まると、Claussen中佐は、Brattonをハイウェイで停止させ、Marshallの秘書からの声明を手渡し、(?)、そして、日本の宣戦布告の通知を送信したことを否定せよと。では、もしRufus Brattonであれば、どうしますかね?

あなたの言葉は、参謀総長に反するんです、キャリアが危険にさらされていますね。彼は、文書をとり、サインしたんですよ。「すみません、間違ってました」と。「私は、宣戦布告を通知したと言いましたが、記憶違いでした。」これが、誰にも起こったんですよ、それを強要されたんです、証言を変えるようにと。さて、全将校が屈したとは言ってませんよ。例えば、Lawrence Safford大尉は、海軍暗号局の責任者でしたが、屈するのを拒否したんです。彼は一生やり続けたんですよ。

彼は、それに非常に献身しました。証明とデモをですね、我々は事前に攻撃を知っていたと。しかし、ほとんどは屈したんです。そして政府は待ったんです、この裁判の結果のアナウンスを、米国兵士が日本に到達するまで。そして、全員が米国を祝福し、誰も気にしませんでした。その日に戦争が終わったんですね。

そして、米国人は祝福ムードですから、小さな記事見出しに気づいても。。。裁判の結果が。。。裁判の結果はワシントンの落ち度だったんですが、しかし、さらなる調査によって、元々の発見の信頼性を傷つけたんです。ですから、誰も本当は何が起こったかわからないんですね。40巻の米国政府のレポートを読まない限りは。

これは、御自身で見れますよ。あるいは、長年の後に真実が明らかにされたんです、John Tolandのような著者によってですね。彼らが公にしたんです。しかし、大衆にはわかりませんでした、実際の証拠によって、これらの裁判によって何がわかったのかは。

ショーン:私は、新たなことを学びましたよ。それが、このインタビューの理由だったんですが、本当に感謝してます。なぜなら、私はLawrence Safford大尉についてはしりませんでした。彼は、屈することなく、真実を言おうとしたんですね。

これは、 Smedley Butler将軍を思い起こさせます。彼は、かつて最も勲章を得た人です。彼は屈しませんでした。Prescott Bushや企業銀行家につるむようなことをしませんでしたね、1930年代に、連中には政府を転覆する計画があったわけですが、 Smedley Butlerはその後一生をかけて、人々に説いてまわったんです、戦争が金儲けであることを。我々の中にヒーローはいるものです。政府にも。しかし、隠してしまう人が多いんです。これらすべてのオフィシャル・ストーリーというのはウォーレンコミッションを思い出させますね。

John J McCloyは、世界銀行の取締役の一人だと思いましたが、ウォーレン・コミッションにいたんですよ。そして、9/11コミッションには、ヘンリー・キッシンジャーを入れようとしたんですよ、連中は。戦争犯罪人ですよ。修正が常に入り込むんですが、しかし、良いこととしては、あなたのような人がおり、ネットがあり、9/11で起こったことに大勢が目覚めており、偽旗テロにもですね。偽旗テロが何かを理解しはじめてるんです。

人々は本当に目覚めはじめてます。ですから、ここで停止するわけにはいきませんね。ともあれ、歴史を教えてくださってありがとうございます。ほとんどは私の知らないことでした。この隠蔽については知りませんでした。

褒美

パーロフ:もう一つ隠蔽についてお話ししないといけないんですが、隠蔽に協力した人間は、大きな褒美を得たんです。例えば、ロバーツコミッションで役割を果たした Stanley司令官は、彼がコミッションの調査結果にサインした一ヶ月後に、ソ連大使になりました。退官した Joseph Reeves司令官は、彼の退官時には、准将から大将に昇進したんですが、ルーズベルトによって。これは類いまれな働きによるものです、米西戦争における。これは、その44年前のことなんですよ。

次にMcNerney大佐です、ロバーツコミッションで働きました。昇進しました、准将、少将、中将そして、大将と。戦後の米軍のドイツ占領の総司令官です。Marshall将軍は、彼の有名な二時間の乗馬にでかける時間がなかったんです。彼の士官がパール・ハーバーの警告をしてくれと懇願してたんです。

彼の二時間の乗馬というのは何だったかと言えば、ソ連の大使との会合ですよ、その朝は。これはソ連大使のバイオグラフィからわかってます。ともあれ、彼は米国での最初のファイブスターの将軍になったんです。それ以前はそんな格付けはなかったんです。

国務長官のコーデル・ハルはノーベル平和賞を受けました、1945年です。連中の利益に資する人間にはそういう扱いをするんです(?)。ですから、協力した人間は誰でも。。。そうだ、これを言わないと、 Claussen中佐については言いましたね、陸軍パールハーバー委員会をひっくり返した男です。証人に証言を変えさせることによってですね。彼は、南部管轄のスコットランド儀式の最高位のグランドコマンダー(?)になったんです。これはアルバート・パイクと同じ地位ですよ(訳注:南北戦争時の南部連合の将軍、フリーメイソン)。

言い換えれば、彼は全米国のフリーメイソンのリーダーになったんです。彼の同僚のフリーメイソン、ジョージ・マーシャルやフランクリン・ルーズベルトを守った後でね。

ですから、仕組みがわかりますね。ところで、これに協力しなかった者は、サフォード艦長などは艦長のままです。昇進もせず、褒美もありませんでした。これが本当の政治学とシナリオですね。しかし、ショーン、これで締めくくりにしたいのですが。。。

政府がそんなことをするわけがない

あなたが既におっしゃったことを強調してですね、これは連続性の一部なんです。サフォード船長やキンメル提督、テオバールド准将は、パール・ハーバーの真実を語ろうとしました。が、人々が彼に何と言ったかわかりますか?

「政府が我々にそんなことするわけが無い」と。全く同じですね、9/11真実運動の人達と。「政府が我々にそんなことはしない」と(言われてしまうんです)。

政府が我々にしてきたんです。メイン号の沈没のとき、(訳注:1898年米西戦争の発端)海軍の次官がセオドア・ルーズベルトでした、フランクリンの従兄弟ですね。

第一次大戦のきっかけのルシタニア号は。。。メイン号はもちろん米西戦争ですね、トンキン湾事件はベトナム戦争で、リバティー号事件(1967年)は、6日間戦争に引き入れることを意図したものです、失敗しましたが。レベルのディスコの攻撃は、レーガンによるリビアの爆撃になりました(訳注:1985年の西ドイツディスコ事件のこと?)。保育器の赤ん坊、大量破壊兵器、サリンガス攻撃、何度も何度も、戦争のために欺かれてきたんです。

私が思うに、知るべきこととして重要なことは、連続性があるということです。9/11やパール・ハーバーは、単体のものではないんです。欺瞞のパターンの一部なんです。このアジェンダ、このグリーヴァリスト・共産主義者・シオニストのアジェンダを進めるためのものです。

Truth is Lonely Warrior

ところで、私の本ですが、「Truth is Lonely Warrior」ですが、これは実際にパール・ハーバーから始めてます。

第一章はすべて偽旗についてのものです。二つの戦争は(?)これは、新世界秩序の初歩なんです。

私はすべてお話ししてます。CFRからFED、ワクチン、気候制御。そして。。。Amazonはこの本を抑圧したんです、実際にKindleではリリースされませんでした。元に戻したんですが、連中はペーパーバックの値段を上げ、4ドル以上に、9ドル以上に。できるだけ、手に入らないようにしたいんですよ。

ショーン、あなたはこれらすべて知ってますよね。ビデオが非収益化されたり、罰点をつけられたりですね。真実についての戦争は続きます。

ショーン:そうですね、真実の戦争は何十年も続くものですね。幸運なことに人々は目覚めはじめています。良いニュースとしては、私が思うに、あなたのウェブサイトから直接本を買えることですね。jamesperloff.comから。

パーロフ:Amazonから買えますが、値段が高いですよ。Kindleに戻しましたから、そこで買えますが。

ショーン:デメリットとしては、あなたが追加の4ドルを得られないことですよね。Amazonに過ぎませんよ。連中は人々に本を買えないようにしてるんですね、高い値段をつけて。

パーロフ:そうです、私は高い値段から余分なお金をもらってません。しかし、個別の本を扱う必要がありませんからね。連中が売るのはかまいませんよ。しかし、連中は明らかにセールスを落とそうとしてますね、この本の。

しかし、これは。。。ヒラリー・クリントンが負けてから、オルタナメディアを主流派メディアが、いわゆる偽ニュースとして攻撃していますが、それ以来。ですから、我々はその矛先を向けられていますね。しかし、実際には我々の成功の証拠なんですよ。連中が抑圧しようとするのは。

ショーン:そうですね、これは素晴らしい本ですよ、みなさん絶対にAmazonでチェックしてください。James Perloffの本です。ジェームズ、私が学んだことの一つとしては。。。系図を見たことがありますか?歴史を通じての大統領が皆関連があるという。従兄弟だったり何だったり。この会話をしながら、見ているんです。フランクリン・ルーズベルトが誰と関連してるかを。

famouskin.comによれば、10th cousin 1 time removedなのだそうです。クイーンエリザベス三世の。面白いと思いませんか?こう見えますね、やらせというのが長く続いていると、この国では。

パーロフ:そうですね、彼はまたウインストン・チャーチルの従兄弟でもあるんですよ。彼ら二人が国のトップになったんです。連中が我々を第2次大戦に引き入れるための状況を起こそうとしたんです。これらの連中には、血縁の絆があり、イデオロギーの絆があるんです。

ショーン:さて、我々の会話の締めくくりとして、皆さんがより詳細を知りたければ、これを読んでください。jamesperloff.comに行ってください。今うかがった話の記事がありますから。「Pearl Harbor : Roosevelt’s 9/11」でしたね。

そうです、そして脚注とリンクがあり、BBCのビデオが埋め込まれています、パール・ハーバーのですね。そこで読めますし。。。

私は二時間パール・ハーバーを語れます、今日のは濃縮バージョンですよ。もし、詳細に興味があれば、ウェブサイトの記事があります。jamesperloff.comです。

ショーン:そうですね、ここでは表面をなでただけです。ですが、真実にいくばくかの光を当てようとしたわけです。何が起こったかにです、12/7に。パール・ハーバーの恥ずべき行いです。わざと起こしたんです。

パーロフ:起こそうとし、起こるままにしたんです。

ショーン:ジェームズ、時間をありがとうございました。感謝します。皆さん、jamesperloff.comに行ってください。より多く学びましょう。そして、ジェームズからの最新記事をチェックしてください。そして、彼の本をamazonでチェックです。ありがとうございました。

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