伊藤詩織監督「孤独死」

 

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なぜか全くブログにも取り上げないのにたくさんの人が見に来る、伊藤詩織監督の「孤独死」あるいは「孤独な死」(Lonely Deaths)なんですが、たまたま「2018年ニューヨークフェスティバルで銀賞受賞」という記事を見て、ちょっと探してみたらYouTubeに転がっていたわけです。それも、この映画のEditorであるNicholas Leof-Ahlmarkさん本人のチャンネルです。

しかもですよ、これがアップされたのが、2017/08/03でして、しかも日本語のコメントもついてないようです。日本人からは全く忘れ去られた作品ですね。何でしょうねこの状況は。

どこかで読んだんですが、彼女は事件の前からこの映画の企画を温めていたんだとか(ちょっとURLがわかりません)。

この映画を見て、まず思うのは、こんな映画を作りたいと思う人、これを世間に知らせたいと思うような人、この孤独死掃除屋さん達の現場を自ら撮影するような人が、枕営業なんかしますかね?あまりにイメージがかけ離れているわけです。枕営業と誹謗中傷する人は一度この映画を見てみると良いと思います。まぁ、そういう方は、そもそも人間の見方というのが歪んでいるので、意味が無いのかもしれませんが。

さて、この映画で特に気になるのは、そして監督もスポットライトを当てているのは、若い孤独死掃除屋の「みゆ」ちゃんです。誰もが嫌がるであろうこの仕事をするようになった理由が語られます。そして最後にはこんなことを言います。

そうですねぇ、やっぱりこの仕事を始めて、いつ逝くかわからないですよね、自分が。いつ死んじゃってもいいじゃないですけど、悔いが無いっていう生き方をしたいなって、本当に思うことで。。。これからお父さんのお墓参りに行きたいと思います。

私だから遺族の気持ちがわかるところがあるんじゃないかなっていうので、いろいろその人の思い出とかしゃべりたいと思うんですよね。亡くなった人の心にためてたことを、私とかにも全部ぶちまけてもらって、やっぱり生きてる時のマイナスの面だけじゃなくてプラスの時、楽しかった思い出とかいろいろ話してもらって、心を楽にしてあげたい。

まぁ、誰しも、それを経験していない人には決して理解できないような見方や動機はあるということですね。彼女のような若い女性がこんなことをするというのは、自らがその口で表現する以上のものだったのでしょう。

こういうことに目を向けずに綺麗事だけ並べているのが日本社会というものです。まぁ、どこの国でも同じようなものでしょうけど。

陰謀論の観点から言えば、こういった文化を作り、人を孤立化させ、弱くするのが連中の目標だという意見もありますが、それは成功してます。高齢化し、先々の年金カット生活と貧困に怯え、さらには孤独死に怯え、他にも何やらかにやらと怯えさせるわけです。人は恐怖によって支配されるものです。その仕組みを昨日今日ではなく、何十年もかけて作ってるんです。もちろんそこではメディアの役割が最も大きいですね。

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