トーマス・コーワン:現代版「ウイルスが原因であることの証明」

トーマス・コーワン:コロナ騒ぎの馬鹿らしさ&生命エネルギーと協調する

「Aligning With the Energy of Life」と題されたウェビナーの前半部分なのですが、これを読めばコロナウイルス騒動がいかにデタラメであるか明確に理解できます。ちなみに後半は難しい話になるので、今のところ訳してません。

そもそも、特定のウイルスが病気の原因であることが証明されたことが、歴史上一度もなく、100年以上やってもできないので、それゆえ証明方法であったはずのコッホ原則を捻じ曲げ、結局のところ「そうであると思えばそうなのだ」「曝露が多ければ、感染者が多くなることもあるし、同じかもしれないし、少なくなるかもしれない」などという、まるで天才バカボンのパパのような非科学的ルールを設けているのが、現代の最新医学というものです。

何年もお医者さんの勉強する必要など無いこともまた明らかですね。植木屋さんであるバカボンパパを連れてくればいいんですから。まぁ、おおよそお医者さんのやることは「この症状にはこの薬」という、ただの自販機の役割ですので、それで十分でしょう。

この現代的最新科学的手法に則った最新医学を忠実に実行し、「コロナかもしれないと思ったから、コロナで死亡ね」とやっているのが、米国CDCやWHOというわけです。もちろん日本もおおよそ、そうなりつつあるようです。素晴らしいことです。

そうして、おそらくは製薬企業の傘下でもあるゴロツキマスコミによるプロパガンダを使って何も知らない一般人を騙すということです。つまり、「医学」なるものが単なる詐欺手法の一つであるに過ぎないことが、私としてはまたも理解できてしまったウェビナーでした。


概念フレームワーク

概念的フレームワークについて少々行きましょう、私の言いたいことの。これを大局的に見れるようにですね。

そして、私自身は少なくとも1980年代からこれらに疑問を呈してきたにも関わらず、これは、我々皆のプロセスなんです。我々は自身を再教育してるわけです。自身の世界観をです。そして、私に言えることは、これは明らかなんですが、今現在の我々の世界観というのは、ベストのやり方ではないのです。で、何から始めるかといえば、もう一つの例を出しましょう。そうすれば、感覚をつかめることでしょう、この問題についての馬鹿らしさの感覚です。

壁を破壊するピンポン玉

最初に思いついた例としては、あなたが投資家であるとします。不幸なことに、皆さんの手があがるところやリアクションが見れませんが、推測するのみです。そして、私は発明家です。私は新たな装置を開発しました、これはピンポンの玉です。これはブロック製の壁を破壊できるものです。これは素晴らしい発明ですね、いまや(廃ビル等の)破壊がより簡単になるからです。すべきことは、このピンポン玉を買い、投げつけるだけです、壁にです。ブロック壁を破壊し。。。ほとんどどんな壁もですよ。これが時間とエネルギーを節約します。爆破したり、解体屋もいりません。

私はこれを発明したので、投資家を探しています。ここにいる皆さんが投資家ですよ。もちろん、皆さんは聞くでしょうね、何かしらのデモを見せろと。これは少々奇妙な概念ですからね。ピンポン玉はブロック壁を破壊できないだろうと。もちろんデモを要求するわけです。リアルであることの。もちろん、私は言います、いいですよと。さて、これが私のやることです。

ピンポン玉をとり、非常に小さなブロック壁を用意し、デモ用の壁ですね。このピンポン玉を、石や岩やあるいは氷の塊や、他の物の詰まったバケツに入れ、この大きなバケツの中にピンポン玉は一つです。こいつを小さなブロック壁に投げつけるのです。そして、ブロック壁が倒れるのをデモします。

したがって、今や私は証明しました、ピンポン玉がブロック壁を破壊することをです。思うに、皆さんのほとんどは、手を上げろとは言えないのですが、皆さんこう言うでしょうね、それは証明じゃないよと、なぜなら、ピンポン玉かどうかわからないじゃないか、これはありそうも無いですがね、そうじゃなくて大きなバケツの石や岩や氷の塊や何やらじゃないかと。ですから、ほとんどの人には十分な証明ではありませんね。

純粋化されていないウイルスで感染させる

さて、こんなことを言った理由は、ウイルスが病気を起こした証明をしたいのですが、病人の鼻水をとり、純粋化もせずに他の人間にうつしと。

これはおおよそ同じようなもんですよ、石などで一杯の、ピンポン玉は一個のバケツを投げるのと。そして、主張することです、ピンポン玉によってブロック壁を破壊したと。

ではOKです。私は発明者で、それは証明にならないことを受け入れましょう。で、私のすることとしては、お見せしますが。。。ただし、今すぐにはお見せできないのです。その代わりにコンピュータアニメを作ります。そして、示すのです、このピンポン玉、この装置を飛ばすと、破壊するのです、コンピュータアニメのブロック壁をです。

再度ですが、ほとんどの方は、こう言うでしょう?まぁ、確実に面白いグラフィックだが、これは証明とならないと、本物のピンポン玉がブロック壁を破壊することの。で、私は少々苛ついてますよ、今や。信じてもらえないみたいだから。

説明は証明にならない

デモしましょう、これは普通のピンポン玉ではないことを。小さいスパイクがついており、内部構造としては、蛋白質やらなにやらが内部にあるんです。ピンポン玉の中にですよ。これらはすべて、ブロック壁の破壊を促進するようにデザインされているんです。

ですから、内部の小さなパーツが、壁にとりつき、貫通するのだ云々ですね。これらすべての構成要素を説明しましょう、このピンポン玉の。そして言いますよ、ほら、これが証明だよ、このピンポン玉はブロック壁を破壊できるのだと。

もちろん、ほとんどの方は言うでしょう、馬鹿げてると。

興味深いですね、こんな構成要素があっても、それは何の証明にもなりません。再度ですが、非常に類似した状況なんですよ。

何かしら送ってくる人がいるんです、ここにニューヨーカーの記事があり、説明によれば、ウイルスの中にこれこれの構成要素があるのだと。そのいくつかは、この貫通を行い、こちらは、あの貫通を行い。。。いくつかは、これを促進しと。。。ところで、証明なんかできませんよ、これらの構成要素が同じウイルスのものである証明など。

しかし、仮にできたとしても、誰も証明だなどと考えません、このピンポン玉がブロック壁を破壊できることのです。で、再度ですが、これは私をイライラさせますね、発明者としては。

80%の一致

で、こう言うんです、いろんな壁を破壊できてるのだが、いくつかのケースで見つかったんだ、壁の下にあるホコリや瓦礫から、ピンポン玉の特定のパーツが発見されたんだ。すべての破壊されたブロック壁からは発見できないけど、確実にいくつかからは発見されてる。

のみならず、破壊されたブロック壁から発生したホコリの中に、80%一致するものがあったんだ、私の新たなピンポン玉の構成要素に一致するものだ。これは興味深いですね、何かしらがピンポン玉に80%一致するというのは、大きいですよ。ホコリとピンポン玉の遺伝子的一致がですよ。これは興味深いです。

(しかし)、誰も言わないでしょうね、これがピンポン玉が壁を破壊した証拠だなどとは。特に、アンディーがビデオでデモしたことを考慮すればですね。ピンポン玉との一致が80%というのは、大きく聞こえますが、人間とチンパンジーの遺伝子類似性は96%なんです。私の知る限り、それでチンパンジーと呼ぶ人はいませんね。

証拠は見せられません!

で、とうとう私は相当に苛つきました、皆さんわかってくれないですからね。こう言いましょう、OK。

では、5人の専門家をお見せしましょう、彼らは、有名大学の有名教授ですよ。その全員が、ピンポン玉アレルギー効果を研究しました、ブロック壁を破壊することのです。そして全員が言ってるのです、これは非常に興味深い新たな発明だと。彼らはより研究が必要なので、あと5億ドルの寄付が必要だとのことです。研究するんです、ピンポン玉のメカニズムとその効果をです。壁を破壊できることのですね。

思うに、その時点であなたはかなり苛つきますよね、こう言うでしょう、トム、お前なー、ビデオ見せろよ、誰かがピンポン玉を壁に放って、壁が崩れ落ちるものだよ。それができないってなら、もう興味は無いね。要するに、それしか言うことは無い。

見せろというんです、純粋化されたウイルスを、病気を起こしたウイルスです。皆さんが知る限りでは、これは単純になされていません。そして、人生のほとんどの領域で、それが唯一ですね。信頼できる証拠として我々が受け入れるものとしてはそれしか無いんです。

下痢の原因はリステリア菌か?

さて、これについてより深く行ってみましょう。なぜなら、ウイルスが病気を起こすという、この理論を拡大することができるからです。それをバクテリアにさえも拡張です。言い換えれば、細菌が病気を起こすということです。明確にしたいのですが、私が細菌と呼ぶ場合、虫や寄生虫のことではありません。ウイルスとバクテリアのみのことです。さて、再度例を出しましょう、この概念がわかるようにですね。そうすれば、熟慮することができるでしょう。

これを想像してください、牛からとったミルクがあります。人々がミルクを飲み、下痢になりました。皆その理由が知りたいのです。で、ミルクの顕微鏡検査をしましょう。すると、ミルクの中にリステリア菌というバクテリアを見つけました。

そして、わかってます、少なくともそういう報告があると、人間がリステリア菌というバクテリアを飲み、感染すると、下痢になると。ですから、これは明らかな状況ですね、ミルクにリステリア菌がおり、人間がそれを飲んで下痢になったと。これで話は終わりです。基本的に証明しましたね、バクテリアが病気を起こしたことです。

しかし、皆さん賛成してくれると思いますが、この事件の別の見方があるわけです。それは、おそらくはリステリア菌に牛が侵されたのだと思いますが、これは牛に適切な食事を与えなかったからでは?かつては(?)ミルクをやったり、時にはダンボールをやったり、穀物や他のものをやったりと。牛には不適切なものです。ときには牛に毒を与えたりします、DDTや他の毒です。あるいは(?)医療です。

そして、最終的に、その牛のミルクの中に毒が出てきたわけです。結局わかってることは、我々の身体にある毒というのは、母乳の研究によれば、ミルクに帰着するんです。ですから、別の説明としては、ミルクの中にリステリア菌がいたのは、毒物が生物分解されたからだと。言い換えれば、これは自然なバクテリアの機能なんですね。

例えば、コンポスト(生ゴミを堆肥に変える箱)の中に何かしらそぐわない物を入れると、ファンキーなバクテリアが出てきて、生物分解し、コンポストにあるべきものでは無いものに変えます。そして、正常な人であれば、言わないでしょうね、君のコンポストは感染したなどと。これは明らかなのですが、バクテリアは常に自然に生物分解しますから、死んだ物や病気のものを生物分解します。別の例としては、池に毒を放り込むと、最終的には、藻の繁殖になったりしますね。再度ですが、誰も言いませんよ、藻の繁殖を「感染」などとは。藻は都合が悪いし、実際にその中に毒があるかもしれませんが、しかし、基本的には藻は。。。これが自然の仕組みだからです。毒を生物分解するんです。さて、これは真実ですよ、藻が繁殖すると、他のトラブルを起こすことは。

しかしそれでも、思うに理性的な人間であれば言うことでしょう、この問題の根源としては、池に毒を入れたことか、あるいは牛に毒を食わせたことだと。さて、ですから、二つの公平な、もっともらしい見方ができます。一つは、牛は完全に元気だったが、何かしらリステリア菌がでてきてしまったと。もう一つは牛に毒が盛られ、そしてリステリア菌は自然による毒の生物分解の結果だと。

疑問としては、どうやってこの二つを区別すればいいんでしょう?これを少し考えてみると、皆さんにはいつも、「ちょっと考えてみてください」と言うんですが、この二つをどうやって区別しますか?答えとしては実際には非常に明確なんです。唯一の方法としては。。。だから私はピンポンの例で始めたんですが、唯一の方法としては。。。そしてこれはいくら強調してもし足りないのですが。。。いかなる理性的な人であれ、それを確信させる唯一の方法としては、ミルクを得て、リステリア菌を純粋化し、言い換えれば、リステリア菌をミルクから分離するわけです。

そして確実にします、あるものは、リステリア菌のみだと。ミルクの中の他の物質は一切ありません。ミルクの中の他の毒が下痢を起こしたかもしれませんから。そして、この純粋化されたリステリア菌を、他の人間にやって、病気になるかを見ます。さて、この点を言いたいのですが、これには問題のある可能性もあります。リステリア菌は基本的に毒を食べたり生物分解したりしますから、自ら毒まみれになってる可能性があります。しかし、ここでは考えないことにしましょう。ここでは仮に、リステリア菌の純粋培養ができ、そして、誰かを病気にするかです。これはコッホ原則のすべてを満たします。

この証明はされたことがあるのか?

そして、次の疑問としては、この部分です、私が本当に苦闘した部分なんですが、そして先月の時点で言えたこととしては、私はこれを本当に確信していたと、自身の研究を通して。そして、これを調べるのに数十年を費やした多くの人達を見たり聞いたりした結果だと。

これは、この研究は実際に行われたのか、です。さて、ほとんどの人は言うでしょう、実際に行われ、その名前はルイ・パスツールだと。フランスの科学者ですね、1800年代遅くの。彼は細菌理論の発案者です、基本的にはですね。実際には彼が最初じゃないんですが、しかし、実際に普及させたのは。そして彼は人生の数十年を費やし、これを行ったわけです、病人からバクテリアを分離し、それを純粋化したことになっており、これを健康な人に与えたことになっており、細菌が病気の源泉であることを証明したことになってます。

このケースの細菌とはバクテリアですが、ウイルスにも適用されます。それを公開し、欧州首相から認められ(?)、彼がとうとう証明したわけです。問題としては、パスツールは実際には、詐欺師、あるいはある種のホラ吹きとして知られていました、多くの人にですね。それを我々が知る方法としては、信じがたいことに、彼は実際に、個人的日記を書いてました。

一方で彼は、この伝染の効果を示すデータを公開しながら、つまり、純粋細菌を動物に与え、病気にするものですが、その一方で彼は個人日記を書いており、その中で言ってるのです、彼のキャリアの中で一度たりとも、動物を病気にはできなかったと、純粋化・分離化したバクテリアを与えることによってです。一度たりとも。

細菌ではなく、Terrainがすべてだ

彼は家族に言いました、この日記は公開するなと。明らかに、息子か義理の息子か、あるいは誰かが、彼のことを好きじゃなかったんでしょう、推測ですが。これを公開してしまったんです。で、わかりますよ、いかにパスツールが基本的には、これらの結果を不正に主張したかを。何も起こっていないのにです。それを知る方法の一つとしては、我々は今やわかってます、彼は死の床で、明確に言ったのです、「細菌ではなく、Terrainがすべてだ」と。

彼の言うTerrainの意味は、牛が毒されたことです。基本的にこれらの研究では、ウイルスやバクテリアを純粋化し、他の動物を病気にするわけです、これらが普通に病気になるような状況と同じような方法でです。

噴霧されたウイルスとか、純粋化されたバクテリアを飲むとか、そして下痢になります。私の知る限りでは、そして、他の方がこれを見た限りでは、これは一度も行われていません。

言い換えれば、ピンポン玉がリアルだと受け入れる唯一の基準は、「このクソピンポン玉を壁に投げつけて、何が起こるか見ようじゃないか」であり、「バクテリアでもウイルスでも分離し、健康な人間に与え、何が起こるか見ようじゃないか」ですが、これが基本的には存在しないことがわかってます。

コッホ原則の放棄

さて、この結果として、感染性の病気がリアルであり、バクテリア、後にはウイルスが、実際に病気を起こしたと確信する人々がいるわけですが、彼らは本質的には、分かれ道に来たわけです。そこで彼らはコッホの原則を証明できませんでした。これは基本的論理です。

もう一方の道を私はこう説明します。。。例えば、寝床に入る以前に、通りに車を駐めますね、サンフランシスコではそうしますが、そして朝起きて、まだそこにあることを知りたいんです。

誰でも言いますよね、外に出て、車があるか確認すると。それがコッホ原則ですよ。そしてコッホ原則は、一度も証明されてません、ウイルスであれバクテリアであれ、我々の見る限りでは。ですから、分かれ道です、この原則を捨てて、「なぜ人が病気になるのか」について、まるで異なるモデルを探すのか、あるいは、コッホ原則を変更することです。言い換えれば、「我々はもはや外にでて車を確認する必要は無いのだ」「信じることができるのだ、誰も車を盗もうとはしないと。だからそこにあるはずだ」。それが基本的に起こったことですよ。そして、これがリバースの原則になりました。

これはアンディーがウェビナーで説明してますね。その後に、ヒルの原則と呼ばれるものになりました。あるいはヒルのルールです。これをWikipediaで見つけたのですが、「ウイルスあるいはバクテリアが病気の原因であるかを知る新たな方法」です。なぜなら、再度ですが、連中はコッホの原則を証明できないからです。これは基本的に単純な論理ですよ。

ですから、解決策としては、「原則を変える」です。そこには、10か11の原則があるわけです。すべては読みませんが。しかし三つばかり読みましょう。これを指摘したいのですが、これらは明らかに1965年頃に作られたんです。これらは未だに今日でも広く受け入れられています、公衆衛生機関や伝染病学者にですね。ウイルスが原因であることを証明する方法として。三つを読んでみましょう。

現代版「ウイルスが原因であることの証明」

No.3:因果関係がありそうである。非常に特定の人々が特定の場所において、他にありそうな説明が無い場合には。

言い換えれば、今や言えるんです、ウイルスが病気を起こしたと、多くの人々が病気になり、他の理由が思いつかない場合には。

No.5:一般的に、より大きな曝露が、より大きな効果事例となる

これは理にかなってるように聞こえます。

しかし、いくつかのケースでは要因がほんの少しであっても、効果の引き金になりうる。他の事例では、逆比例することが観察されている。言い換えれば、より大きな曝露によって、より少ない事例となる。

これを翻訳してみますと、この意味としては、このウイルスに大きく曝露すると、この病気の事例が多くなるか、あるいは、病気には何の効果も無いか、あるいは、より病気が少なくなる場合もあると。より少ない事例ですね。

こうしか言えませんよ、すべてのケースをカバーしてると。言い換えれば、より多く曝露すると、より悪くなるかも、同じかも、より良いかもと。そしてNo.8ですが、

No.8:ときには実験的証拠を申し立てることも可能である

この意味としては、私が推測するに、ときには、実験的証拠を要求することは不可能であると。ですから、推測するしかありません。あるいは、信じるしかないんです、それが起こったことだと。さて、私は信じることには賛成しますよ。そして、皆さんには送ってこないで欲しいんです、Bruce Liptonの本「Biology of Belief」を(邦訳:「思考」のすごい力)。私は信じることは好きです。それが大きな違いを生むと思います。後でどう思うか言いますが。

しかし、人々にはそういったウイルスによる病気の原因証明はしてほしくないですよね、そう信じるか否かだと。で、実際に私は見てみたんです、誰が実際にヒルの原則を発案したかです。明らかでなかったもんですから。これは、自分達の研究について非常に明確にしなければならない時です。ですから、私のチームを従事させました。そして、見出そうとしました、誰が実際にこれらの原則を思いついたのかです。

結局、可能性のある二つのソースにたどり着きました。一人はダフィー・ダックで、もうひとりは、ピーターパンのティンカーベルです。

 

でも、わかったんです、当時ダフィー・ダックはいなかったと。ですから、ティンカーベル以外にはいません。これは、理論に基づいてます、「我々が強く信じれば、それは真実に違いない」という理論です。再度ですが、私は信じることに反対ではありませんよ。しかし、何の実験的証拠も無しにウイルスが病気の原因だなどと証明してほしくありません。あるいは、単に他には考えられないからなどというのは。

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