「プーチンの世界秩序2018」

また消されてしまいました。Russia Insiderのチャンネルだったと思うんですが、一度削除されて、もう一度アップされたと思ったら、また消されました。

既に動画はダウンロードしてあったので、自分のチャンネルにアップしたら、なんと、「著作権侵害」の自動検出がされ、公開不可状態です。もともとYouTubeになんかアップされてはいけないものらしいです。

ということで、再公開のめどは付きません。すみません。とりあえず翻訳率36%の全文をここにあげときます。字幕だけだと、誰の話してる言葉なのかわからないのですが。。。


世界で進展していることのとトレンドを見てみれば、
ロシアを同盟国にするのがベストだ。
我々は偉大な力だ。
誰も競争は望まない。
競争者は追い詰められている。
しかし、私が思うに、長い目で見れば我々は勝つ。
こう望むものもいる、我々が、素早く、圧倒的に、大胆に行動することを。
私には、非常に良い支えがある。
[00:01:00]——————————
これは、ロシア連邦の利益とその人々だ。
世界秩序 – 2018
ハンブルグ、テヘラン、北京、パリ、モスクワ、
難しい、時には非常に難しい交渉だ。
プレスカンファレンスと飛行機の旅、
我々のクルーは、大統領の外遊を一年以上に渡りフィルムにおさめてきた。
様々な人々と働いた、同盟者や敵対者、政治家、外交官。
ロシアの利益、世界の利益、原理と矛盾。
すべてはいつもとおり、握手と写真。1対1の会合、あるいは数人での。
ジャーナリストとの会話。
[00:02:00]——————————
閉ざされたドアの中で何が起こったろう?
相互理解のための、新たなステップを達成するのに何が必要だろう?
機会がある場合、プーチンは我々の質問に答え、彼の決断の裏にある論理を説明した。
すべてが、過去数年の間に実現した。
異なる人々、リーダー、国との間の同意の追求は難しい。
大統領、誰がロシアの外交ポリシーを決めているのです?
あなたですか?あるいはチームでしょうか?
誰か支配的な人がいるのですか?
あるいは、彼らは対話の様々な形態に傾くのでしょうか?
日々代わりゆく状況という文脈の中で、これがどう起こるのでしょう?
すべての秘密を話せと?
それは良いですね!
悪くはないね。神聖なものだ。
[00:03:00]——————————
しかし、あるがままに説明してくれたよ。
我々のチームには異なる視点がある。
異なるアプローチと、異なる提案だ。
これを、こうすべきか、ああすべきかと。
完全同意になることもある。
例えば、クリミアの件だね。
しかし、これは度々違ってくる、
議論と意見の交換は。
しかし、最終的には私が決断するね。
それ以外ありようがない。
力の重荷ですね。
そうだね、重荷だろうがなかろうが、それが責任だ。
いったん決断がされれば、皆がその実現に向けて動く。
[00:04:00]——————————
シリア大統領バシャール・アル・アサド(ソチ、2017年)。彼は、フセインとガダフィの運命に直面していた。
彼の国について、イラク・リビアのような。
シリアの人民からです。私はあなたがしてくれたことに感謝いたします。我々は決して忘れません。
シリア市民戦争は2011年に勃発した。西側は敵対者をサポートした。
ヒラリー・クリントン:
我々は敵対者をサポートするための新たなステップをとります。
民主主義に向かうためであり、
シリア体制の隔離のためでもあります。
[00:05:00]——————————
2014/8に、この国が大きくISIS反乱軍の支配下になった。
米国に率いられた西側同盟国は、シリア国内のISISを爆撃し始めた。
イスラエル首相ネタニヤフ:
シリア内ISISの駆逐は、シリアの未来にとって非常に重要であり、中東の未来、世界全体にとってもだ。
ISISは人々のクビを切り、世界中の様々な国に殺し屋を送り込んでいる。
ISISは、ムスリム大衆を動員しようとしている、中世の蛮行に。
2015/9、シリアは崩壊の瀬戸際だった。
アサド大統領はロシアに軍事支援を要請した。
シリアについての決断だが、我々は武器で遊びたかったわけでもなく、我々がクールであることを示したかったわけでもない。
[00:06:00]——————————
そうではないんだ。
我々には本当の情報があった、それが、我々を重大に憂慮させたのだ。
どんな情報か?
2500名のロシア人がISISの側、アル・ヌスラの側で戦っている。
また、中央アジアの国民が4500名ほどだ。
我々は、これらの国との境界がない。
ビザ無し体制なんだ。
彼らは容易に入ってこれる。
それが一つだ。二つ目としては、
シリア政府の破壊は、最終的には大きなスケールでのテロリストのハブを作り出すことになる、この先数十年間の。
つまり、二番目のアフガニスタンだ。それも非常に我々に近い。
これは望ましくない。
[00:07:00]——————————
他の結果になっていた可能性もある、
我々のしたことがされなければ。
これはテロリストを爆撃し、その大部分を破壊したことだ。
そして、もしシリア政府の構造を保持できなかったなら。。。
この先にも大きな挑戦が待ち構えてはいるが。。。
我々は、この状況を解決しつつある。
カルラ・デル・ポンテ、国連シリア戦争犯罪検事:
重要なことは平和が行き渡ることです。
そうすれば市民達は家に帰ることができますし、難民もシリアに戻れます。
思うにロシアだけがシリアに平和をもたらすことができます。
アサドとの面会の後、プーチンは電話会談を持った、
[00:08:00]——————————
中東政治の何人かのキープレイヤーとだ。
20:50にトランプ大統領、21:20にサウジ国王アル・サウド、22:00にエジプト大統領エル・シシ、22:05にイスラエル首相ネタニヤフ。
翌日、ソチにおいて、キーとなる会合が開かれた。イランとトルコのリーダー達は、シリアの状況とその未来を議論した。
一方では、オフィシャルな米国の敵のイラン。もう一方では、NATO同盟国であるトルコ。
三番目にロシアです。
彼らが制裁リストに含めている国です、北朝鮮・イランとともに。
しかし、これらの国は、問題を解決しつつあります。以前はキャンプデビッドで取り組まれてきた問題ですが、
今や、これらのキープレイヤーがソチに集まっています。
どうお考えでしょう?
米国大統領は考えていないでしょうか?
[00:09:00]——————————
なぜ我々がこのイニシアティブを妨害すると?
彼らが早期にこの地域に入り、そして問題を我々より先に「扱った」のですが。
ここでのポイントは、我々は何も妨害してはいないことだ。
我々はただ我々の道を進んだだけだ。
それが結局結果になった。
誰にとってもポジティブな結果だよ。
では、何が現れたか?君が今言ったように、
連中は進み、皆を敵リストに含めた。
これは弱さの兆候だね、強さではない。
同じように誰かを叩くならば。。。
技術的に不可能なんだ、(全員が悪いというのは)。
これは単に彼らの無能力を示しているに過ぎない。
今言ったよね、皆がここに会合に来たと。
しかし、これは、大きな度合いで最終的な会合だったんだ。
我々は他の合意もした。例えば、
[00:10:00]——————————
米国・イスラエルとの段階的縮小の分野だね。
彼らはそれを公にはしすぎないが、しかし、
交渉の直接的プレイヤーではあったね。
そして、我々はベトナムにも行った。ダナン市だ。
そこで我々は共同声明を発表した、米国と共に。
これはおおよそ、ソチで行った声明を反映するものだ。
我々はこれらのパートナーを信用できるのでしょうか?
彼らすべてが非常に複雑で、困難な歴史があります。
どうして我々を騙さないと言えるのでしょう?
ソ連時代には、我々のちからを利用し、
「ありがとう、さよなら、我々は米国とは交易しない」となりました。
もしそれを聞くなら、
「女たちを信用できるか?」だね。
それについての議論ができるよ。
[00:11:00]——————————
しかし、国については、これは実質的に違うんだ、信頼できるか否かという理解はね。
信頼とはどんな意味だろう?
それぞれの国に国家的利益がある。
ロシア、中東、イラン、サウジ・アラビア、エジプト、トルコ、イスラエル、ヨルダン。
もちろん、こういったキーとなるグローバルなプレイヤーは米国、中国、インド、これらすべても含まれるね。
まず最初にいつもやるべきことは、
彼らの国家的利益を尊重して扱うことだ。
同時に、彼らが我々のものをそうするようにさせるんだよ。
これは困難なプロセスだ。
これらの国々の難しい関係にも関わらず、
我々はイランとトルコを一つのテーブルで交渉させた。
我々はある種の同意の保証人なんだよ、そして、この同意がうまく行くわけだ。
[00:12:00]——————————
シリア、2017/12
武装した反乱軍を撃退するという挑戦としては、かなり大きなスケールでの軍隊の使用だ。
この挑戦の、ほとんどの部分としては、解決されている。
鮮やかなほどうまく解決されえたのだ。
君たちにおめでとうと言いたい。
翌日、米国のワシントン・ポスト紙に次のような記事が出た、
「プーチンは中東においてトランプに勝った」と。
そしてまた12月には、ホワイトハウスが、新たな米国安全保障の戦略を示した。これによれば、
「前世紀の現象として消失した後に、巨大な力の競争が戻ってきた」
世界は、新たな冷戦を話しはじめた。
[00:13:00]——————————
以前のものが終了したと言われたのは30年前のことだ。
冷戦の終わりの始まり以来、
あなたはドイツ民主共和国(東ドイツ)で、働いていました。様々な情報を手に取ってきました。
当時の我々の諜報部はどの程度正確だったんでしょう?
政治サークルの中の本当の心情を描写していたのでしょうか?
予見されたものが実際に起こったことと違うことは?正確だったのでしょうか?
それは難しい質問だね。
私は愚か者のふりはしていない。
私は、大きなゲームを語ることができる、今現在の位置からだ。
それは、ナイスで小奇麗に見えるかもしれないね。
しかし、正直に言えば、その当時というのは、
難しいんだよ、質問と答えというのは。
なぜなら、私は単なる二等兵だったからね、諜報部の。
[00:14:00]——————————
それが一つだね。第二には、私は情報の分析には関わっていなかった。
概して、東ドイツからの情報について言えることは無いんだ。他の世界についても。
これは事務総局が言えることだね(?)。
ゴルバチョフに聞いた方がよいと思うね。
私はスパイのリクルートに関わっていた。
こいつらはユニークなんだ。
独自の「品物」だね。
もちろん「品物」は、「」付きだよ。
原理としてユニークなんだ。彼らの知性、倫理コード。
ユニークな連中だよ。
[00:15:00]——————————
私にとっては、素晴らしい経験だった。
当時、先を予見されたことはありますか?何がどうなるかという。
いや、予見できたことはないね。
誰もできなかったんじゃないかな。
我々は深刻な変化が起こるのを見ていた、我々の国で圧倒的なね。
私は、物事がどう進展するのか考えていた、それがどう世界に影響するのか。
しかし、誰も想像さえしなかったんだ、最終的な事態はね。そして、そのスピードだよ。
1991年
[00:16:00]——————————
アンソニー・ブレントン、在露英国大使2004-2008:
我々にとって素晴らしいときでした。
我々は企業の民営化を助け、
私企業の設立を助けました。
我々は民主的価値と市場経済をロシアにもたらすのを手伝ったのです。
かつて、我々はソ連が巨大な力と考えていました、強く永続的経済と核兵器、
そして様々な軍隊です。
突然、発見したのは、より小さいスケールでより弱い経済の国だったんです。
そして崩壊しました。
その領土の喪失に直面する国だったんです。(少々は減少)
特別部隊司令官、チェチェンのベテラン、1999年:
1990年代は、我々の受け継いだものを売り渡す時でした。
もはや、一国としてのアイデンティティを保持するのは不可能だと感じたときでした。
[00:17:00]——————————
これは失われ、消失したのです。
そして、全く突然に、
力の構造とロシア人民は、一斉に一つのメロディーを奏で始めたんです。
2014年の春に、我々は理解しました。我々は一つの人民なのだと。
これが我々の大統領であり、我々には祖先がついており、これが我々の歴史なのだと。
これらすべてがあわさり、我々全体なのです。
クリミア:
23年間待っていました。
望んでいたんです。
本当に嬉しい。わかりますか?
英国はEUと共にクリミアの住民投票を認めません。
ジョン・ケリー、民主党:
これは責任を要求するでしょう。
この問題と同じレベルのものを。
メルケル:
ヨーロッパが協力して対応することが良いことです。
[00:18:00]——————————
「クリミアの春」の後の制裁を予期していましたか?
疑いはないね。
もちろん、私は、彼らがどういう形態をとるかは知らなかったが、
しかし、クリミアを再併合する判断の決断を行ったときは、
可能性のある結果はつきものだ、
世界での国との関係において。
我々が数百万の人々の運命を一方に置いたとき、
これは強調したいのだが、数百万だ、二百万以上だね。
ロシアに戻りたいと望んだ人々だ。
それと、可能性のある困難さだね、他国との。
思うに、前者の方がより重要だ。
時々思うんだが、
私の考えは何かしら実体のあるものに基づいているんだ。
[00:19:00]——————————
これが意図的にある種の線に導いていく。
我々が行ったような方法でなければならないとね。
もちろん、こう望むものもいる、我々が、素早く、圧倒的に、大胆に行動することを。
我々の敵対者、あるいは「パートナー」は、非常に戦略的に行動する、戦術的な意味でね。
彼らは自身のゴールを達成しつつある。
しかし、長い目で見れば、我々が勝つのさ。
[00:20:00]——————————
IMF長官2007-2011:
もちろん、ドイツとフランス経済は反ロシア制裁に苦しんでいます。
ギリシャ首相、アレクシス・ツィプラス:
我々は、問題を避ける様々な方法を考えました。ギリシャは、最初から制裁に反対です。
ドイツ経済関連団体東欧委員会議長:
我々はロシアが、東ウクライナから手を引くと考えた。
これを歓迎したよ。
そしてまた、制裁によってクリミアから手を引くとも考えた。
思うに、制裁の強制後の三年で、
誰もが理解したよ、ロシアは、その方向性を変えないとね。
大統領、制裁は撤廃されるでしょうか?
私が課したわけではない。連中に聞いてくれ。
あなたには、頼む機会がありましたよね。
我々は良き友人がいる(チェコ大統領)、素晴らしい人だ。
彼は非常にロシアのことを良く言ってくれる。
その背景を少しでも見せてくれたらね。
[00:21:00]——————————
彼らに何ができる?
彼らはEUに依存している。
世界で独立したプレイヤーは?
ロシアだ。
それと米国?
あとは二つばかりの国だ。
しかし、彼らのために言わないよ。
彼ら自身に聞いてくれ、彼らの独立度合いは。
難しい政治的プロセスが発生した場合、
国は、このプロセスに依存するようになる。
予測不能になり、信頼できなくなる。
彼らが独立的であれ、依存的であれ、もしそうなら誰に?
我々は非常に戦略的パートナーにつながっています、米国です。
彼らは我々にとって、経済的・政治的観点から重要です。
しかし、それにも関わらず、
[00:22:00]——————————
我々はその影響力から解き放たれなければならないんです。
今日、私は米国の決定方法がわかります。
制裁体制を引き伸ばすのです。
彼らは、政治的敵対者に対してこの方策を用いると宣言さえしています。
大統領、この「クレムリンのリスト」は?
米国は何をしようとしているのでしょう?
連中は我々を経済的に窒息させるつもりなのですか?
あるいは、リストの中の人々に、疑惑の種を撒くのでしょうか?
彼らをメルトダウンに追い込むために?
このようにして、あなたに個人的に圧力を行使しているのですか?
ロシア国内政治を変えようと?
何が背後にあるんでしょう?
これは非常に古い、古代ではないが、ツールだね。
[00:23:00]——————————
これは多くの国で使われてきた、米国を含むよ。
1920年代始めだ。
1974年の、たしかJackson-Vanik条項は34年に渡って続けられてきた。
興味深いのは、その廃止の日、まさに同じ日に、記憶違いでなければ、彼らは、
Magnitsky法を発動したんだ、完全に架空の言い訳に基づいてね。
そうさ、個人は牢獄にいる間に死ぬが、しかし、
この言い訳のもとで、新たな「Magnitskyのリスト」がやってきた、制裁の新たな波だよ。
50の新たな制裁だったと思う。
この事実に注意して欲しいのだが、
[00:24:00]——————————
これは2012年なんだ、ウクライナの事件が起こる以前のことだし、
クリミア併合の前だよ。
しかし、制裁は全面発動だ。
何故と君は聞いたが、良い質問だ。
しかし、答えは非常にシンプルだよ。
いつもこんな調子さ、我々の国の歴史では。
強くなってくると、それが、我々のパートナーの間にパニックを引き起こす。
彼らはいつも、我々の国の発展を阻止しようとこころみる。
だから、答えはシンプルだと思うね。
これは単に、競争に対しての方策でしかない。
これは不法であり、
不正であり、
しかし、そういうものなんだ。
そしもちろんだが、
ここには、我々の国の防御能力の阻止の試みもある。
[00:25:00]——————————
米国の地政学的利益は我々とは違います。
我々はロシアとの有効な隣人関係に戻りたいのです。
以前はそうでした。
私個人にとっても、これは重要なことです。
我々ドイツ人は、忘れてしまうんですよ、第二次大戦の間にロシア人に与えた苦しみを。
そして忘れてしまうんです、ドイツ再統合の際にロシアが果たした役割を。
東ドイツの多くの同盟国、西側ブロックのだが、
彼らは疑っていた。
彼らは不安を示し、反対でさえいた、二つのドイツが統合されるべきことに。
米国も疑いを持っていたよ、ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみてくれ。
[00:26:00]——————————
彼自身そうなるべきかどうか、確信を持っていなかった。
しかしロシアは違った。
我々はドイツ国民が再統合を望むことを考慮した。
それに立ちはだかることは、逆行であり、不正義であると。
そして、再統合に援助したのだ、純粋にだ。
我々はそれに対して貸し付けを行ったが、何でも無い。
そこからの兵を撤退させるだけだった。
我々はドイツ統合を援助しただけではなく、兵を撤退させた。
しかし、我々は他の東ヨーロッパからも撤退させたんだ。
我々の「期待したことは、ワルシャワ条約の終了だよ。
NATOもその存在を終了させるはずだった。
[00:27:00]——————————
少なくとも、当時はそう言われたよ、
この組織の拡張は無いと。
我々は世界関係における、何らかの構造変化を仮定していた。
しかし、彼らはそうしなかった。
わかったことは、このイデオロギー戦争という見せかけのもとに、
地政学的戦争も存在したんだ。
地政学的利益のためのね。
それが一つだ。二つ目には、
彼らはもはや、彼ら自身の決断において、他の誰のことも気にしないということさ。
第二次大戦後の世界秩序は、実質的に死んだ。
すべてが白紙のページに書かれることになった。
そこから、国連と国際法のニヒリズムが来てるのさ。
[00:28:00]——————————
彼らは、我々のコーカサス地方において、分離主義と改革主義を推進し始めた。
1999年にユーゴスラビアを爆撃した、国連安全保障理事会決議も無しに。
彼らはすべてにちょっかいを出した、国を爆撃し、破壊し、介入を進めたんだ。
回想的に話すのは難しいね。良いことか悪いことか?
もし、ユーゴスラビアの人民が独立を求めていたなら、おそらく良いことだろう。
しかし、そんな方法ですべきだったろうか?
ヨーロッパの中央を爆撃すべきだったろうか、安全保障理事会の決議も無しに?
私には疑いがある。
私はなされるべきではなかったと確信している。
これをどう説明できるというのか?
そして、アフガニスタン、そしてイラクだ。
そして、NATO拡張の二つの波だ。
[00:29:00]——————————
次から次に、予想もしなかったことだ。
予定されていたのか?
しかし、我々は、
これをどうソフトに解釈すればいいのか。
少なくとも、我々は無能力を示してしまった。
我々の国や世界に将来起こることの理解の欠如の上にだ。
我々の位置付けの、この一方的な立場からは。。。(?)
リビア、2017/7
私はマリです。
家族の中での最長老です。
ある日、母が病気になりました。
薬を買うお金がありませんでした。
私がヨーロッパに行けたなら、母を救うことができたでしょう。
[00:30:00]——————————
だからリビアにいるんです。
リビアは、不法移民の主たるハブだ。
そう遠くは無い過去に、この国は、強く、裕福な国だった。
リーダーのがダフィは、ヨーロッパへの移民を通過させることはしなかった。
リビア首都、トリポリ。
くつろいだ住民、カフェ、ショップ。
中東都市の市民生活の描写のように見えるが、しかし、そうではない。
国は分断されている。
領土の1/3は反乱軍支配下だ。
ISISのリクルーター、奴隷取引、国境は防御されていない。
統一的なリビアという国は、地図の上だけにしかない。
[00:31:00]——————————
それ以前に、いわゆる「アラブの春」というものがあった、
市民戦争と西側からの爆撃、そして、ガダフィの殺害だ。
プーチン:
民主主義の推進の代わりに、暴力と貧困と社会的惨劇だ。
人権、命の権利自体も含め、すべてが無視されている。
国連2015年:
これを問いたい、誰がこの状況を作り出したのだ?
君たちのやったことを理解しているのか?
あなたの立場は時に応じて変わりますね。
私は2001年、2007年、2015年のビデオを見ましたが、
ダイナミクスが変わっています、なぜなのでしょう?
ダイナミクスの変化とは?
[00:32:00]——————————
しかし、最初にすべてが常に変わっているよ、
すべてが動いている。
あえて言えば、幻想も少なく、希望も少ないですね、西側について聞くことは(?)。
2001年のドイツ連邦議会での演説は極めて建設的でした。そこであなたは提案した、
ヨーロッパは評価を高めねばならないと。
2007年のミュンヘン安全保障会議でのスピーチは、ほとんど革命的でした。
彼らは何が起こったのか把握できなかったでしょう?
もはや存在できないと思っていた国が、彼らに対してそのような調子で話したのですから。
そしてもちろん、2015年です。
「何をしたのか見てみろ」と。
あなたは変わりました。
それはただ引くないね。
2001年のドイツ連邦議会での演説だが、
2001年の頃は、
[00:33:00]——————————
私は既にロシア安全保障会議の長官の経験があった。
そのときは首相として、そして大統領のいち年目だ。
それ以前にはFSBの長官で、私には多くの情報があった。
私の意見は、その当時起こっていたこと、あったことに基づいているんだ。
2001年には、話したように、我々はヨーロッパと統合しつつあった。
我々自身の努力によって、共通の場所を得ようとしていた。
おそれくこれが、私が思いついたように聞こえたんだね。
しかし、私のアイデアじゃないよ。

 

 

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