伊藤詩織:世界民主主義フォーラムでのインタビュー(前半)

伊藤詩織についての全投稿は/tag/伊藤詩織にあります。

自身の経験を話さねばなりませんでした

私は伊藤詩織です。ジャーナリストであり、ドキュメンタリー映画作家です。日本人です。

世界民主主義フォーラムの第一日目にお話しされましたね。本年はジェンダー平等の問題の議論でした。何をお話しされたのでしょう?

私がレイプ被害者(サバイバー)であることです。私がサバイバーと言えるかどうかわかりませんが、毎日サバイブしているように思えます。しかしジャーナリストとして、わかるようになったんです、実際にレイプ被害者に向けたどんな法的社会的システムがあるのか知らなかったことです。日本にですね。ですから、少々の調査を始め、わかるようになりました、あまりに少ないことをです。そしてまた遭遇したんですね、いかに難しいかです、性暴力を語ることが。日本では。

結局は、私自身の経験を話さねばなりませんでした、公にです。それが唯一の気づきを与える方法だったからです。

あなたの話しを聞いて、確実に二重の攻撃があるように思いますね。第一は十分にひどいものですが、第二のものは、聞きもしないことです。聞かれず、信じられず。

日本におけるセカンド・サードレイプ

そう思います。そして、こういう言葉があるといいます、セカンドレイプです。こう感じますね、セカンドとサードのレイプがあるように。

例えば私が経験したものです。捜査の間にです。私はレイプを再演したんです、等身大人形とです。実際の男性捜査官の前での再演です。写真をとり。

彼らは言うわけです、良くなるからと。等身大人形を使わないとと。しかし未だに思うことは、想像し難いですね、それが真実を言うためのものだとは。ですから、我々は4%しか言わないんです、レイプ犠牲者が警察にですね。

日本の伝統

そしてまた、あなたの話には、パワフルな男性攻撃者と立ち向かったように感じますが。しかし、この男の背後には、この家父長的(男性支配)社会があるわけです。あなたにとって、それを打ち勝つのはどの程度困難だったでしょうか?その感覚にです。あなたは制限を越えたわけです、深く深く深く、染み付いた伝統のです。男性女性の役割という伝統ですね。しかしまた、社会の沈黙の重要性です。

これは極度に困難でした、私にとっては。なぜなら、私がこれらをカミングアウトした後、力に立ち向かってですね、わかりませんでした、それでも、自身のコミュニティ・社会にいられるかが。そして、どんな種類の結果が起こるかという感覚はありました、この問題を話せばです。

そして予測以上のことが起こったんです。私は国を出ねばならず。。。

攻撃されたわけですね?仲間から。そういう時がありましたか?訴えたくないという(気持ちになったことは)。そういう時がありましたか?これはしまっておこうと。人生を再開しようと。システムに挑戦はしないと。この力には挑戦しないと。この男とは対決しないと。

5日かかりました

はい。最初の数日間は、思いました、起こったことを考えないようにしようと。思うに、処理できなかったんです、頭の中で。そしてまた、どうすれば良いかわかりませんでした。どうすべきか。そして、彼にいかに力があるかがわかり、そのコネですね、想像できなかったんです、何が起こるか、私が前に出ればです。

ですから、正直なところ5日かかりました、警察に行くのに。この5日間のあいだに、自分に言っていました、もし警察に行けば、家族に何が起こるか。

私自身、私のキャリアに。私はジャーナリストとして開始したばかりでしたから。あまりに恐れていました。警察に行ってみると、最初に捜査官の言ったことは、「たくさん起こってる。捜査はできない」と。そして、私が。。。

監視カメラや多くの証拠を得ても、まだ捜査官は言うわけです、訴えれば、もう日本にはいられなくなると。ですから、しかしその時点で疑いはなかったんです、それが間違ってることに。

ですから、思うに、司法システムを信じ続けることもできたかもしれませんが、私は自分の真実を信じてまし、ジャーナリズムもです。しかしある意味では、いかにしてこのひどい捜査に直面できるかなんです。私は自分に起きたことを事件にしようとしていたのですが。。。もし私がその場所にとどまれば、犠牲者としてですね、私は決してできなかったでしょう、警察官の前に座り、これらの質問を受けることを。

ですから、私の職業魂がおおいに役立ったと思います。

私はナイーブ過ぎた

そういった時はありましたか?なぜこの男があなたを犠牲者として選んだのかという質問に、あるいは、単に金の力のやり方ではないのか?と言われたことです。

最も傷つくことは、傷ついたことは、言われたことです、私の仕事に感心したと彼が言い、思うにナイーブ過ぎたんですが、信じたんです、私を雇いたがっていると。彼の支局でですね、本当に興奮しました。

しかし、彼がそれをしたときに、かぶさってきたとき、私を対象としてしか見てないのだと。これができるような、支配できるような。そして、おかしなことに、これはショッキングでしたが、私のどこかに、考えてしまったんです、この職業で生きる道はこれしか無いのではないかと。

皆に聞きたいとさえ思いました、これが我々のすべきことなのか?女性として働くことはと。そして、思うに、日本で育って、様々な静的攻撃に遭遇しました。セクハラですが、レイプではありません。

ですから、ある種、これが唯一の道かもしれないと。生き残るためには、沈黙を続け、起こったことを気にしないことだと。なぜなら、プロになりたいんですから。でも、そうですね、理解するのは難しかったです、彼は私をプロとして見てはいないことです。対象としてしか見てないんです。

薬物が使われた

この5日間はどうすべきか考えていたんですね?この期間に、家族や周りの人達のところに行きましたか?そうしたなら、反応はどうだったでしょう?

最初に行ったのは親友のところです。彼女はナースで、聞いたんです、私に起こったことについて、なぜなら、意識がなかったんです。彼が薬物を使ったに違いないと考えましたから。しかし、これは、二日後になるまで理解できませんでした、薬物については。

私は記憶を失ったことが無いからです、人生で。でも、それが起こったんです、夕食の席で。記憶がなくなりました。そして、強烈な痛みで目が覚め、私の上にいたんです。

そして、以前にニューヨークで勉強していました。ですから、聞いてはいました、 never leave your drinkです(飲み物から離れるな)。いつも手元に置けと。でも、それが何のことか理解してませんでした。

それが起こってみると、これのことかと。でも、日本で起こるなどとは思いませんでした。日本は世界一安全だと教えられましたし。

ですから、友人と話して、それを話してみると、最初なんです、私は泣きました。何が起こったかわかりましたから。しかし、彼女が言ったことは、二日後なんですが、彼女が言ったのは、薬物は24時間以内に抜けてしまうと。そして、彼は非常にパワーがあるから、警察に行くべきかどうかについては話せないと。どうしたら良いかわかりませんでした。人々が信じてくれるとは思いませんでした。

ジャーナリストが夢でした

でも、その後だと思いますが、オフィスに戻ることを考えねばならず、その当時ロイターで働いていたんですが、私は。。。信じていました、ジャーナリズムとは真実を言うことだと。

もし私が、無名のですね、私が経験したのに、単に生き続けるなら、私はジャーナリストにふさわしくないと。他の人々の真実を伝えるようなですね。もし、私が真実に対面できるのであれば。

ですから、こう感じました、ジャーナリストになるのか、そうでないのかと。そして、これは人生での夢でしたから、すぐには諦めたくなかったんです。ですから、友人に言いました、警察に行くと。私をサポートしてくれました。

で、あなたはストーリーになったわけです。自身の話を調査したわけです。

司法システムへの疑問

事件は断念されたんです。ですから、何の刑事事件でもありません。見つけたことは、監視カメラとDNAと証言です。二人の証人ですね。ですから、逮捕令状が出されました。米国に彼がいるときにですね。東京の空港に戻ってくるところを警察が待ってたんです。

しかし、その場所で、逮捕中止命令が出ました。警察のトップの人間からですね。私達は検察庁に行きましたが、検事が中止することを決定してたんです。十分な証拠が無いと言って。

ですから、司法システムに疑問を持ちました、私のジャーナリストの友人の誰も、話した人の誰も、聞いたことが無いと、現場でいかなる理由でも逮捕令状が実行されなかったことがないと。

ですから、私は最終的に、このトップの捜査官を追いかけることになったんです。質問をしましたが、逃げるばかりでした。6回やったんです。しかし、逃げるばかりで答えはありません。

ですから、それで終わりです。でも、今直面している問題は、民事裁判です。ですから、そこで今は戦っていますが、戦うという言葉を使いたくはないんですが、この人と戦ってるわけではないからです。

日本の民主主義への疑問

彼を罰するのは私の役目じゃないんです。あるいは質問したりですね。それは司法システムの役目です。私がやろうとしているのは、我々が日本で持つ民主主義がどのようなものかを検証することです。私は、他の多くの犠牲者とお話ししました。そして、その多くが、私と同じような経験をしてます、警察でです。まず最初に、彼らは訴えを受け取りません。

第二に、起訴が非常に難しいのです。そして、有罪判決を得ることがです。警察は訴えないように促しますね。私の場合は、これらすべての証拠があっても、和解を促してきます、お金でですね、そして取り下げるようにと。そして、思うに、思い出しました(?)、最初に彼らが言うのは、日本で仕事ができなくなると。

二つ目には、和解をしろと言います。勝つ見込みは無いと言うわけです。だから金をうけとって忘れろと。ですから、私だけじゃないんですよ。以前に同じ話しを聞きました。ですから、思うにこの状況は。。。実際には捜査官を非難してません、最初はそうでしたが、後にわかったんです。

日本は北朝鮮に極めて近い

その理由の一つとしては、我々は、最高度の有罪判決率があるからです。

99.9%に非常に近いんです。北朝鮮に非常に近いんです。起こることは、検察官への圧力があるわけです。起訴すれば、有罪にしなければならないんです。さもなければ、キャリアに傷がつきます。

ですから、それが捜査官への圧力なんです。それが検察官からもたらされるんですね。ですから、私は質問したんです、なぜ捜査しないのか、あれこれしないのかと。

彼が言うには、板挟みだと。助けてあげたいが、しかし、検察官からはこう言われてる、私の状況はこうだと。ですから、これは、我々の法や司法システム、あるいは彼の持つ力の部分に関係するんです。私には何の証拠もないし、未だに明確な答えを聞いていません、逮捕中止を命令した人からは。ですから、こう仮定するしかありません、明確な答えが得られなければ、何かしらあるとです。もし彼らがこれについて話せないのであれば、以前にも起こっていただろうし、今後も起こるだろうと。

ですから、疑問を感じ始めました、我々の民主主義にです。日本に住む日本人は、言われますね、民主主義にアクセスでき、司法システムにアクセスできると。今や私はそれを疑問に思っています。そしてまた、メディアにもです。だからこそ、声を上げたんです。だからこそ、これが唯一の道だと。これは容易ではありませんでしたが、思うに、特にその後MeToo運動が起こり、皆さん聞いたと思いますが(?)、ですから、これは良い結果だったと思います。

死の脅迫

なぜそう感じたんでしょうか?(?)、警察に行きましたね。家族に言わねばならず、仲間にもです。自身を報道対象として、これを法的に追求したわけです。そしてなぜ国を出ねばならないと感じたんでしょう?

日本を離れた唯一の理由は、死の脅迫や反動を受けたからです、カミングアウトの後で。そして、安全とは全く感じませんでした、歩き回ることに。近隣をですね。

実際に、感じ始めたんです、感じじゃないですね、不審な車をアパートの前で見たんです。そしてまた、公共交通機関には乗るなとアドバイスされました。そういったことです。

なぜなら、恐れた人がいました、何かしらの権力が関わっているかもと。こうは言えませんが、証明できるとは言えませんが、そうは言えないのですが、でも、怖かったんです。なぜなら、私は無名なんです。そして何も持ってないんです。ですから、私は友人の家に二ヶ月隠れました。

その後で、ロンドンから連絡がありました。ロンドン拠点の女性権利組織からです。彼らが話をしてくれと、ロンドンで。経験をシェアしてくれと。そして、一緒にできることを考えようと。ですから、それが希望だったんです。そこに行き、わかってたんです、もう日本で生きることは難しいと。自身の安全も心配でしたが、家族の安全もです。どこにでもネットがありますから。だから私は離れたんです。私の選択ではないんです。

(続く)

コメント