わからない人に何を言っても無駄なのでやめましょう

2018年1月24日

この世界には目が覚めている人と覚めていない人の二通りの人間がいます。ほとんどは目が覚めてないんですが、しかし覚めようともしていません。きっかけがあっても拒否してしまいます。たまたま、むちゃくちゃ時間があって疑問に思ったことを追求する(三年半前の私のケース)などの条件が揃わないと、絶対に無理です。無駄なことはやめましょう。

言っても無理なんですから。ほとんどケースでは、新聞・テレビの言うことが本当だと思いこんでおり、その枠外のことはトンデモと決めつけ、耳を塞いでしまいます。

こちらから言わせれば、視野が狭く、愚かで、完全洗脳済の癖にプライドだけは高いんですね。いや、すみませんが、そうとしか言いようがないんです。

現代はネットがこれだけ発達しており、あらゆる情報がすぐ手に入ります。その中で、ほんのわずかでいいんです、ほんのわずかの疑問を持って調べてみればわかるはずなんですが、それさえもしようとしません。

こういうケースというのは、私の知り合いのクリスチャンとか、随分以前に関わりのあった**党員とかに似てますね。クリスチャンの場合は、その教団の出してる本しか信用してませんし、**党員の場合はその党の発行する書籍しか信用してません。完全洗脳済なんですが、しかし「自ら進んで洗脳されている」んです、ここがポイントです。

普通の人々も、これらの人を笑えないですね、彼らも自ら進んで洗脳されてるんですから。しかし、こちらの方がもっとタチが悪いんです。なぜなら、彼らは「自分で考えて情報を取捨選択し、自分の力で必要な情報を得ている」と完全に思い込んでいますから。いや思い上がっていると言った方がいいですね。実際には操作されまくってるんですが、全然気がつけないし、指摘するのも無理というものです。

つまりは、クリスチャンや**党員などより、強度に洗脳されてるってことです。「自らこのグループに入った。そして、周りは皆同好の士である」などという自覚もないんですから。自分がカルト宗教のメンバーである自覚が全くありません。実際には生まれてこのかたずっとカルトに洗脳され続けてきたんですが、まるでわかってません。自分は独立して思考していると思いこんでいるんです。

一例をあげれば、9/11事件ですね。一通り説明しても「まさかそんなことはあるまい」と済ませてしまいます。ひとたび自分の目で見てみれば明らかなのに、ほんの少しでも脳味噌が残っていれば理解できるはずなのに、それさえもしません。万事が万事この調子ですから、他におかしなことを少しばかり見つけても「まさかそんなこと」と済ませ、追求はしないんです。これが強度に洗脳されてしまった人達のふるまいです。

もっとタチが悪いのは、「あなたは間違っているようだから、私が正してあげよう」などという、思い上がった人です。何を勘違いしてるんだか。最近もありましたよ。ワクチンに関して、これを読めと、ウソばかりついている世田谷の某クリニックのウェブサイトを示してきたんですね。こちらとしてはそんなゴミは既に考慮済なんですが、読んだこと無いとでも思ってるんですね。思い上がりも甚だしいことです。

実際に、9/11で物の見方が変わったという人はたくさんいるようです。ベンジャミン・フルフォードが良い例ですね。しかし、多くの評論家や芸能人、新聞・テレビに出てくる人でこれを言う人はいません。つまりは、新聞・テレビに出て来る人間など一切信用できないということです。一切何もわかってないんですから。

これ一つだけでいいはずなんです。これを踏み絵とすれば良いのです、自らの頭で考えられる人なのかどうなのかを。しかも、本当にごくごく簡単な問題です。見さえすれば一瞬でわかるはずなんです。

ところが、この問題さえ馬鹿にしてやろうとしない、解けない人間がほとんどです。それが完全洗脳済ということなんです。この問題が解けさえすれば、あとは簡単です。なぜなら、この意味というのは、

米国政府自らテロのお膳だてをし、自らビルを爆破し、多数の自らの国民を殺し、その目的は中東を侵略するためであり、資源を巻き上げるためであり、国内での反対者の口封じをするためだった

というものだからです。いったんこれに向き合うならば、すべての見方が180度転換します。新聞・テレビで言われることが、一切合切すべてウソであることがわかるからです。彼らが「米国があれこれやった」と報道するとき、その根底部分にこれがあると無いとでは、その意味が根本的に違ってきてしまうからです。

人々を目覚めさせることが、僕の最も重要なミッションだ。
つまり、彼ら自身に考えさせるということ。
我々に教えられたことすべてを疑う、すべての前提を疑うということ。
すべての語られること、ニュースリポート、統計、政府のレポート、それらすべてを疑うということ。
自身の感覚さえも疑うということ。
あなたが信じているものは、多くの場合あなた自身のものではない。
あなたは、自分の心に従って動いているわけではない。
我々人類は、決断を行う際に近道をするのが生来的な特質だ。
この近道というのは、群衆に従うこともある。
考えを操作したり、信念を変更させる社会的圧力は非常にパワフルだ。
それに免疫のある人は、ほぼいない。
特に面白いところは、群衆と同じ考えなのに、「そうではない」と考えるんだ。
だから、ほとんどの人が自身を、「独立した思想家」だと思っている。
理性と良質の認知力のある思想家だと。
しかし実際には、近道をして、群衆に調子をあわせる決断をする。
そして逆に、その決断を正当化するんだ、
その決断が意識と認知と理性によって行われた良いものだと自身に言い聞かせてね。
そうではない。ただの近道さ。