実は、私が字幕付けを開始したのは、この人の言ってることを知りたかったからなんですね。当時は英語のままでは理解ができず、完全に日本語に翻訳しないとわからなかったんです。
この人が何をする人かと言えば、NASAで働いていた物理学者なのですが、それと共に、ボブ・モンロー(ロバート・モンロー)のモンロー研究所にて「意識研究」を行っていました。モンロー研究所と言えばヘミシンク(もしくはバイノーラル・ビート)で有名なところですね。ヘミシンクがわからない人は検索してみてください。
で、彼の主張としては「この世は仮想現実である」です。この考えを主張する人としては、有名どころではテスラ・モーターズのイーロン・マスクです。「イーロン・マスク 仮想現実」で検索してみてください。あるいは、なぜかメリルリンチが「50%の確率で仮想現実」というレポートを出してます。「メリルリンチ 仮想現実」で検索です。この考えに馴染みの無い方は「トンデモ」と思うでしょうし、キ*ガイ博士のように思えることでしょうけれども。
ともあれ、トム・キャンベルの全字幕付動画は、https://jimakudaio.com/#sorting;lang=ja;cls=126にあります。特に「トム・キャンベル:カルガリー」のシリーズは、2011年に行われたもので、金曜夜、土曜全日、日曜全日のレクチャーの模様で非常に長いものです。
以下は最も簡単な12分の紹介ビデオです。
物理学者と意識研究者
これを始めた状況をお話しください、物理学において、意識研究において。そしてMy Big TOEの開始について。
すべては1972年に始まりました。大学院を出て、物理学者として働き始めた頃です。このとき実際には二つのキャリアを同時進行させました。一つは物理学者としてです。ほぼ同時期にボブ・モンローに紹介され、意識研究を行ったわけです。二つのフィールドを昼の仕事、夜の仕事としたんです。二つを統合し、「現実の仕組み」の理解につなげました。物理学者にとっては、それを理解することが必要だったのです。そして、意識研究には実際に経験してみてデータを得ることも必要でした。
MY BIG TOEが達成したものは何でしょうか?どうしてこのタイトルになったのですか?
MY BIG TOEとは実際にはMy Big Theory Of Everything(私の大きな万物の理論)ですが。。。Myは、特にそれを誇りに思っているわけではなく、あなたの経験でもなく、あなたの真実でも無いということを強調しているんです。単に触媒としての役割なんです。読者に対して、自身のBIG TOEを生み出して欲しいという。信仰すべきものではありません。道具にすぎません、あなた自身で現実の本質を理解するための。
意識の本質の理解に35年かかりました
この三部作は、完全な意識の導出を行っていますね(?)。どうしてこのような形になったのでしょう?
意識の本質と仕組みを理解するのに35年かかりました。簡単なものではありません。多大な研究が必要だったんです。変性意識状態になり、そこで物理的な事柄を行う。つまり、どうして見ているものが現実といえるのか?でっちあげでないと言えるのか?この意識をどう利用できるのか、できないのか?その限界は?これらすべてを発見する必要がありました。
それは骨の折れる研究を伴った、極めて遅々としたものでした。変性意識状態を何度も繰り返す必要がありました。毎回同じ場所に行きました。ですから、繰り返し可能である必要があり、可能性な限り変数を取り除き。。。何が最も影響するのかを見るのに、一つずつ変更したものです。35年のこういった研究のあと、最終的には、現実の仕組みを理解したように思いました。そして MY BIG TOEを書き始めたのです。
意識は存在し、進化は存在する
MY BIG TOEには二つの仮定があります。一つは「意識が存在する」ということ。もう一つは「進化が存在する」ということ。ただ二つの仮定から、他は論理的に導くことができるのです。いわば演繹的にですね。
書き終わったあと、実感したのです。この意識モデルによって、形而上学者の言う多くを説明可能だと。神学者の言う多くを説明可能だと。超常現象コミュニティの言う多くを説明可能だと。そして、現実の本質を理解するための概念と同じものが、物理学の本質を理解するのに役に立つと気が付いたのです。
量子力学・相対論の未知に答える
ですから、My Big TOEには解決策があると感じたのです。それは、一世紀のあいだ答えられなかった質問に答えることです。それは、なぜ粒子は確率分布として表現されることが最良なのか。これは量子力学において、キーとなる未知です。なぜ光速度は一定なのか?相対論におけるキーとなる未知です。これは。。。意識を理解しようとして記述を始めたことの、副産物ですが、物理学をも導出するのです。
それは、この現実というのは部分集合に過ぎないということです。意識こそが基本的なものであり、他すべてはそこから派生しているものだということです。そうやって構築されたものです。その時点から、物理学と意識の関わりを、より多く発見することになりました。私が第一義的に提示したものはこういったところです。
人間存在の理由
人々はそこから、「なぜ我々はここにいるのか?」「存在の理由は」に対する説明を得られるはずです。これはすべての偉大な宗教が答えなければならなかった問題であり、歴史上の哲学者が答えなければならなかった問題なのです。私が取り組んだものは、まさに同じ問題だったのです。なぜ我々はここにいるのか?その目的は?現実の本質は?意識にできることとできないことは?意識はどこから来たのか?どのように始まったのか?その起源は?制限は?
私はそのすべてに答えることができます、論理的に、科学的に。そして、そういった形而上学的・哲学的な答えを導くのと同じ論理が、物理学も導くのです。また、こんにちの科学における多くのパラドックスに対する答えも得られるのです。それらが明快に、論理的に理解可能となるのです、My Big TOEの概念のもとに。
我々は仮想現実にいる
そういった理解を前提とすると、この現実における人類の目的というのは何でしょうか?我々の目的、なぜここにいるのかですが。。。
我々は物理的な身体ではないのです。これは仮想現実です。我々の身体というのは、ビデオゲームのWorld Of Warcraftの中のエルフのようなものです。これは仮想現実ですね。我々は基本的に「意識」なのです。
World Of Warcraftの中では、プレイヤーはエルフ(を操る)意識ですね。エルフは計算された仮想的な存在にすぎません。我々の身体もそうなのです。これは仮想的な、いわばアバターなのです。我々はプレイヤーなのです。我々というのは意識のことです。我々は選択を行うのです。
選択と他プレイヤーとの関わり
ですから、我々はここに「選択」を行いに来ているのですが、その理由というのは。。。「意識」というのは、情報システムであると理解するのがよいでしょう。情報システムというのは、情報を生成することで進化していきます。内容を生成する、構造を生成するということですね。その逆は、乱雑さです。何の情報も無いということです。ですから、ここにいて選択を行う理由というのは、選択のエクササイズをするためなのです、より多くの内容を生み出すような方法で、意識ユニットとして進化するために。
その過程で、他の多くのプレイヤーと関わりを持ちます。これはマルチプレーヤーゲームなのです。社会システム上で多くのプレイヤーと関わるのですが、そこでの関わりあい方の最適な方法というのは、他者に対する気づかいです。協力すること、慈悲を持つことが、役に立ちます。これが、社会を最適化させます。私はこれを「愛の道」と呼びます。
その逆は「恐れの道」です。恐れはあなたを退化させます。これは高エントロピーの道です、低エントロピーではなく。高エントロピーとはより多くの乱雑さ、低エントロピーはより多くの構造化、内容を意味します。
つまり、ここで我々が行うべきことは選択です。そして、学習し、進化し、愛になります。不思議なことに、論理システムは我々が愛になるようにサポートしているのです。その目的を必須としているのです。これらの質問の答えと同じ論理、同じ科学です。
一世紀のあいだの物理学問題
一世紀のあいだ、物理学によって答えられなかった問題です。これら二つを結婚させるとどうなるでしょう?意識の理論を形而上学、神学、物理学につなげるのです。するとこれらすべては、世界の仕組みという大きな理解の一部であることがわかるのです。
それらすべてを、存在と選択という文脈の中に入れることができるのです。そういった違いがあります。これは、何世紀ものあいだ行われてきました。仏陀も、モハメッドも、イエスも同じことをしてきました。他の多くの方々も同じですね。しかし、彼らは形而上学、神学、哲学においてのみ正しかったのです。
彼らは、それがどう科学とつながるのかわかっていませんでした。我々は科学を一方の手に持っていました。それとは別に、現実は我々よりもずっと大きいという理解をもう一方の手に持っていました。これらは完全に切り離されていました。うまく混ざらなかったのです。今は、うまく混ざったどころか、すべてのパーツが同じものだと言えます。つながっているのです。
良い形而上学は、良い物理学を導きます。良い神学をも。それが新しい点ですね、「詩的」ではなく、説明的でもなく、科学です。
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