マイク・ストーン:ウイルス学における対照実験の不在、パート1

マイク・ストーンによる記事です。非常に長いので分割しています。

Virology’s Lack of Control
There has been quite a bit of debate over the years in regards to whether or not virology adheres to the scientific method, with much of this debate focused on ...

一部難しいところがあるので、後で訳を見直します。


ウイルス学が科学的方法を遵守しているか否かについて、長年にわたり多くの議論がなされてきた。議論の中心は、模擬感染(mock infection)と呼ばれる、時折使われながらも、ほぼ説明されない対照(control)が、そもそも有効な対照なのかという点だ。ご存じない方のために説明しておくと、科学的対照とは、ある結果の原因を究明するために、研究者が実験中に利用するチェック&バランス・システムである。対照は、独立変数として知られる推定された原因が、従属変数として知られる観察された結果を引き起こす唯一のものであることを保証するために設計される。

(訳注:例えば、水やりが植物の生育に必須と証明したい場合、水を与えない対照実験を行う。この場合、水やりが独立変数となり、その有無での実験を行い、植物の生育が従属変数となる)

以下は、https://www.biologyonline.com/dictionary/controlより

対照を用いる研究の目的は、その効果が実験における独立変数によるものと確実にすることである。対照を使うことで、一度に一つの変数または因子を研究できる。ただし、対照群と他の(実験)群の両方が、研究中の一つの変数以外では、同じ条件であることが重要である。そのようにして、より正確で信頼できる結論を導き出せる。

(訳注:先の例では、独立変数は「水やり」であり、実験群・対照群では、その有無だけを変える。それ以外の条件、例えば、土の成分などを変えてはいけない。そうしてしまったら、何が影響しているのかわからなくなる)

ウイルス学における有効な対照(control)の欠如について、私がこれまであまり焦点を当てなかった主な理由のひとつは、適切な対照について議論するためには、実験段階以前に対処すべき、はるかに差し迫った問題が他にあるからだ。以下で科学的方法の手順を少し見てみよう。

  1. 現象を観察する
  2. 代替仮説
    1. 独立変数(推定される原因)
    2. 従属変数(観察された結果)
    3. 制御変数
  3. 帰無仮説
  4. テスト/実験
  5. 観察/データを分析する
  6. 仮説を検証/無効化する

IV(Independent Variable、独立変数)、DV(Dependent Variable、従属変数)、対照(Control)の決定は自然現象を観察した後に行われ、仮説を立てる際に確立される。ウイルス学者が科学的方法の最初のステップを完了するのは困難である。というのも、似たような症状の人を見つける以上に、この自然現象がどう起こるのかを観察できないからだ。自然界において想定される「ウイルス」粒子を、彼らは見ることができない。この粒子が人間に入って病気を起こすことの目撃も、人から人へと移って病気を起こすのの目撃もできない。この自然現象がどう起こるのかの観察なしには、観察された効果の原因を調べるための実験を計画するのに有効な仮説の確立はできない。つまり、科学的方法の第2段階がクリアできないだ。科学的方法の最初の2つのステップをうまく満たせなければ、科学的実験を計画し実行する能力も無い。したがって、疑似科学的な細胞培養実験で使われる対照が有効か否かに関する議論は、あまりにも先走りすぎている。細胞培養実験の前提そのものが無効である。そのことは、この方法を生み出した人物が示している。

細胞培養の確立

以下はドクター・ステファン・ランカによる「ウイルスの誤解 パート1〜はしかを例として

1952年まで、ウイルス学者たちはこう信じていた。ウイルスとは、有毒なタンパク質や酵素が直接的に身体を毒するものであり、何らかの方法で身体自体で増殖し、体内だけでなく人間同士や動物間にも広がることである。医学と科学は1951年にこの考えに見切りをつけた。なぜなら、疑惑のウイルスを電子顕微鏡で一度も見たことがなく、何よりも対照実験が行われたことがなかったからだ。そして、健康な動物、臓器、組織であっても、腐敗の過程において、それまで「ウイルス」と誤解されていたものと同じ腐敗生成物を放出することが認められたのである。ウイルス学は自らを否定したのだ。

1950年代初頭、ウイルス学は死の床にあった。見えない実体とその病原性を直接的に証明するための、想定する「ウイルス」粒子の精製・分離の試みに数十年間惨めに失敗していたのだ。長年の実験において、ウイルス学者たちは間接的証拠以外は何も示せなかった、問題の「ウイルス」が起こしたと主張されるヒトや動物の組織培養実験においてである。

インド、カサウリのパスツール研究所:狂犬病ワクチン調製の一段階:正方形のモスリンの上に置かれたウサギの脳。1910年頃の写真。

しかし、これらの実験結果は想定する「ウイルス」に特有のものではなかった。健康な宿主(ヒト・動物)の組織でも同じように腐敗が見られたからだ。ステファン・ランカ博士が上記の引用で指摘したように、ウイルス学は自らの偽科学的な組織培養実験に反証していたのである。そのうえ、一つの研究者グループによる特定の「ウイルス」に関連する効果の発見は、他の研究者グループによって再現されることもなかった。実際のところ、確立した証拠と考えられていたものに対して、結果が矛盾することもしばしばあったのだ。研究者たちは、「ウイルス」とはいったい何なのかさえ合意できず、また、提示された実験的証拠が実際に有効なものなのか否かについてさえ合意できなかった。カールハインツ・リュトケの1999年のエッセイに、この軋轢を要約したものがある。

初期のウイルス研究の歴史

Lütke THE HISTORY OF EARLY VIRUS RESEARCH より

「ろ過可能な」ウイルスによって、感染症の研究においてその価値がほとんど証明されていた従来の概念では、すべての研究者が共有できるような形で説明できない何かが発見された。この現象の本質について、非常に異なる解釈が生まれ、互いに対立した。すべての研究者が受け入れるはずのこの概念や、この概念に対する実験的証拠は、どの側からも提示されなかった。言い換えれば、この説明とあの説明のどちらがウイルスの「真の」性質を最も正確に表現しているかという判断は、経験的に「客観化」できなかったのである。現象の解釈はどのバージョンも攻撃される可能性があり、一般の専門家に提示された事実は、反対派によってしばしば虚構に再解釈される可能性があった。彼らは誤りの原因として、所見の観察条件への依存性、実験の局所的状況、特徴の帰属の研究関連性などを持ち出した。例えば、当時特定のウイルス研究者によってしばしば報告された所見は、他の研究者たちによって自らの実験の結果として確認されなかったり、ウイルスを研究しているすべての科学者たちによって再現されなかったりした。それに反する所見が報告されたり、検証された所見が人工物とみなされたりすることもしばしばであった。正当化の場合と同様、議論された立場を否定するために、さまざまな理由が持ち出された。疑われる関係を実証的に確認するために用いられた所見は、しばしばすぐに他の研究者によって報告された否定的な所見と結びついた。実験に使われた技法がいかに注意深く意図的に用いられたとしても、また、各当事者がそれぞれの立場を擁護するための信頼できる理由を提示し、経験的証拠を提供することができたにもかかわらず–これが、「さまざまな反対者たちが、『ウイルス』であると同定した、大きく異なる研究対象を “構築 “した」(van Helvoort 1994a: 202)理由の説明となるのだが–、相手が最終的に人工物の告発を断念するような説得力のある理由を提示することはなかった。

この分野は明らかにうまくいかなかったのだが、ウイルス学は、見えない実体を証明すると称する新たな形のブースターを得た。これは1954年、ジョン・フランクリン・エンダースが麻疹「ウイルス」特定のこころみで導入した細胞培養法だった。ウイルス学者たちは、病気の宿主の体液から直接的には、想定される「ウイルス」粒子を適切に精製も分離もまだできなかったため、体液中には十分な粒子が存在しないと主張して、その代わりに培養で粒子を増殖させることにしたのである。適切に研究するために体液の中から直接見つけられない「ウイルス」は、それ自身を複製するために宿主細胞を必要とし、それを見つけて研究することができると、何らかの形で決定されたのである。この細胞培養法は、それまでのものより優れた間接的証拠をもたらすと言われ、結局、瀕死の状態を呈していたこの分野を復活させることになった。この優れた間接的証拠を得るために、エンダースは、ウイルス学者であり、ポリオウイルスが様々な種類の組織培養で増殖する能力を発見したことでノーベル賞(1954年)を受賞したのだが、彼が動物やヒトの組織培養をそれらの細胞培養に置き換えた。言い換えれば、エンダースは旧来の組織培養法を用いて集めた証拠についてノーベル賞を受けたのだが、皮肉にも、それを彼が新たな細胞培養法に置き換えたと同じ年なのである。

エンダースのウイルス分離方法

エンダースが細胞培養法を考案したとき、科学的方法のステップ1と2はまだ達成されていなかった。したがって、彼は自然現象を観察することなく、従属変数(すなわち効果)を特定することなく、また独立変数(すなわち「ウイルス」)を分離することなく、検証する仮説を確立するために実験に飛び込んだ。しかし、それでも彼は、このような架空の存在が存在することを世間に確信させるために、疑似科学的な実験を行おうとしたのである。無効な細胞培養法についてはここ(viroliegy.com)で詳しく取り上げたが、エンダースの方法がどのようなものかを簡単に説明しておこう。彼の代表的な麻疹の論文の中で、エンダースは麻疹が疑われる患者の咽頭洗浄液(無脂肪乳でうがいをしたもの)を採取し、そのサンプルをヒトとサルの腎臓細胞に加えた。培養液にはウシ羊水、牛胚エキス、ウマ血清、抗生物質、大豆トリプシン阻害剤、細胞代謝の指標としてフェノールレッドを混ぜた。この混合液を数日間培養し、4日目と16日目に継代した。エンダースは最終的に細胞変性効果と呼ばれる、細胞がバラバラになり死滅する際に培養液中に現れる損傷パターンを観察した。この効果は、無脂肪乳ののど洗浄液に含まれる目に見えない「ウイルス」が、細胞壁膜の溶解を通して細胞内に侵入し、細胞の死と「ウイルス」の複製をもたらした直接の結果であるとエンダースは想定した。言い換えれば、毒殺された細胞から出た細胞の残骸は、かつて無傷だった細胞の壊れた破片ではなく、新たに作られた「ウイルス」のコピーだとしたのである。この方法は非科学的であったにもかかわらず、細胞培養は「ウイルス分離」の「ゴールド・スタンダード」としてすぐに確立され、今日でもウイルス学者に使用されている。

以下はWHO https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://apps.who.int/iris/rest/bitstreams/1088173/retrieve&ved=2ahUKEwiQstb8yOj7AhWOIzQIHeqcDKAQFnoECB4QAQ&usg=AOvVaw2RBaX3pO2PZ3JyW0s7U3Ol

細胞培養は、ヒトの数多くの病原体の検出と同定に最適な環境を提供し、それはウイルス発見の「ゴールドスタンダード」として細胞培養でのウイルス分離によって達成される。

理解すべきこととしては、精製され分離された「ウイルス」粒子という有効な独立変数がないことに加え、エンダースが細胞変性効果という独自の従属変数を作り出したことである。この効果は自然に観察される現象ではない。実験室での実験と操作によってのみ観察される。エンダースはすでに「ウイルス」が存在し、その「ウイルス」を含むサンプルを細胞培養に加えれば効果が観察されると仮定していた。いったんこの効果を目撃すると、エンダースは、細胞培養の中に「ウイルス」が見えないにもかかわらず、これが「ウイルス」の存在の直接的な結果であると主張した。そうすることによって、エンダースは、通常このように表現される、結果論的論理誤謬の肯定として知られていることを行った。

ウイルスが存在するなら、細胞変性効果が発生する。 細胞変性効果があるのだから、ウイルスが存在する。

これはまた、アレック・ゼックとアンドリュー・カウフマン博士によるこのグラフに見事に示されているように、論点先取と循環論法の例でもある。

このように、エンダースの作った方法は科学的方法に準拠していないため非科学的であるだけでなく、彼の結論は論理的誤謬にも染まっていることがわかる。しかし、エンダースの実験方法の問題点はこれだけではない。

エンダースは自身に反証している

細胞培養が「ウイルス」の「単離」を証明する「ゴールド・スタンダード」として受け入れられたにもかかわらず、常日頃から言及されないことのひとつに、そもそもエンダース自身、自身の方法が有効か否か確信を持てなかった点である。1954年の論文でエンダースは、実験室(in vitro)で作った実験結果が、体内(in vivo)で起こることの反映と言えるのか疑問を呈しているのだ。

組織培養の上皮細胞で薬剤によって誘発された病理学的変化は、少なくとも表面的には、麻疹の急性期に特定の組織で見られたものに似ている。巨大細胞の形成や試験管内での核の障害の根底にある因子と生体内での因子が同じであると結論づける根拠はないが、培養細胞におけるこれらの現象の出現は、先験的に麻疹のウイルスに関連すると考えられる性質と一致している。

エンダースはまた、目に見えない麻疹の「ウイルス」と関連づけるために使った間接的な証拠が不完全であることも認めている。

こうして我々は、麻疹におけるこのグループの病原体の役割を支持する間接的な証拠をすでにかなり得ているが、この関係を確立するために不可欠な2つの実験がまだ実施されていない。

しかし、最も重大な発覚としては、彼が発明した細胞培養法を用いて麻疹「ウイルス」を想定した実験中に、エンダースが麻疹「ウイルス」と関連付けたのと全く同じ細胞病原性効果を、「ウイルス」が全く存在しない正常な対照培養で観察したことを認めていることである。

したがって、サル腎臓での培養は、ヒト腎臓での培養と同じように、これらの病原体の研究に適用できるかもしれない。しかし、その際に念頭に置くべきこととして、表面的には麻疹病原体による感染に類似した細胞変性効果が、サル腎臓組織に存在する他のウイルス因子(Gの最後の段落を参照)や未知の因子によって誘発される可能性があることである。

第二の病原体は、サル腎臓細胞の非接種培養から得られた。非染色標本で誘発された細胞変性効果は、麻疹から分離されたウイルスとは、確信をもって区別することはできなかった。しかし、感染した培養細胞を固定して染色すると、麻疹ウイルスに典型的な核内変化が観察されなかったので、その影響は容易に区別できた。さらに、すでに示したように、この病原体に感染した培養液は、回復期の麻疹血清の存在下で補体を固定することができなかった。麻疹の研究において、このような病原体に遭遇する可能性を常に念頭に置くべきことは明らかである。

言い換えれば、ジョン・フランクリン・エンダースは、目に見えない麻疹「ウイルス」が起こすと仮定した細胞変性効果が、想定される「ウイルス」が培養物内に存在しない場合でも起こることを、非接種培養物を使って立証したのである。つまり、細胞変性効果をもたらし、最終的には細胞の死滅につながるのは、毒性化学物質、添加物、異物で細胞を毒殺するだけでなく、最小限の栄養素で細胞を飢餓状態にすることを含む細胞培養プロセスそのものだった。したがって、細胞変性効果は架空の「ウイルス」の仕業ではないという結論になるはずだった。この発見が、その場でウイルス学を終わらせるべきだったのだ。

しかし、エンダースの対照実験の結果は無視された。少々の知的誠実さを持つ誰もが行うべきであったように、ウイルス学には死亡宣告されねばならなかった。しかし、サンプル内の「ウイルス」の存在を確認するために、すべてのウイルス学者が遵守しなければならない基準として、無効な細胞培養法に倍がけしたのである。詐欺的な細胞変性の土台上の細胞培養の証拠への依存は、科学的方法が見放され続ける中で、ウイルス学の分野全体を偽科学の狂気の世界へとさらに強固なものにしていった。

他者からのエンダースへの反証

興味深いことに、研究者がエンダースの結果の再現を試み始めると、方法論の欠陥が次々と浮かび上がってきた。実際のところ、その後5年間に渡り様々な研究チームがエンダースが行ったとまったく同じ細胞変性の結果を発見している。彼ら自身が非接種の対照実験を行った結果である。コーワン博士は最近のビデオで、これらの研究のうち3つを見事に概説している。

https://www.bitchute.com/embed/lN7dSHhezTGU

では、これらの研究者が正確に何を発見したのか、コーワン博士が取り上げた3つの論文の抜粋を見てみよう。各論文のハイライトと、各チームが「ウイルス」を「分離」するために利用した馬鹿げた培養手順を示す方法のセクションを掲載した。

Rustigianらによる1955年の最初の研究では、アカゲザルの腎臓のローラーチューブ培養(訳注:培養容器を緩やかに回転させながら、そのボトルの内壁に細胞を接着させて培養する方法)にデング「ウイルス」を適応させようとした際に、未接種対照中に正体不明の「病原体」を発見したと述べている。この「病原体」は、エンダースが麻疹実験中に接種していない培養液で観察したのとまったく同じ細胞変性効果をもたらした。ポリオ研究のためにサルの腎臓培養を準備した後、さらに3つの正体不明の「病原体」が非接種培養液中に出現し、まったく同じ細胞変性効果をもたらした。これらの腎臓培養液の供給源は、病気症状のない健康なサルだったため、培養液中の「ウイルス」存在は想定されていなかった。観察されたCPEが培地に由来するもの否かを調査した結果、研究者らは、健康なサルの腎臓細胞内に細胞変性効果をもたらす何かが存在すると結論づけた。

 

 

続く

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