スパイン風邪の大嘘

さて、今回の新コロ騒動を「スペイン風邪の時とは違うよ」と、あたかもスペイン風邪というインフルエンザが非常に致死的であったかのような前提で、それと比較して「新コロは大したことない」という言説があるんですが、スペイン風邪も新コロと同じくインチキだったことが、少なくとも私の中では明らかになってます。

「別の原因だ」とする人が多いわけです。もちろん、100年前についての主張ですから、本当かどうか検証のしようがもはや無いと思いますが(それを言うなら、新コロの死亡者であっても検証等されてませんけどね)。これを信じるか信じないかは、いかに医療業界が実際にウソばかりついてきたか否か、それによってしか判断できないでしょう。これを裁判と見てみると、裁判官の心証としては、この上なく真っ黒なわけです。

そして、数千万人とも言われる死亡者の全部が全部そうではないかもしれませんね。いくらかは実際にインフルで死んでいるのかもしれません。しかし、おかしな点が多々あることはたしかです。

エレノア・マクビーンの話

他の多くの本も同様なのですが、エレノア・マクビーンも医療業界には都合が悪く、一切邦訳されていないようです。

ここでは、まず他のブログからお借りしてみましょう。この「Vaccination Condemned」という本は日本のAmazonでは見つからず、米国では在庫切れのようです。

感染症パンデミックはワクチンによって引き起こされた! エリノア・マクビーンの告発から学べ! 

それでは、ここからさらに詳細なお話、エリノア・マクビーンの告発文を載せておきます。

エリノア・マクビーン著書「糾弾されたワクチン接種」(Vaccination Condemned)の第2章より引用。

私は1918年のインフルエンザ流行の現場をこの目で見た。

1918年のスペイン風邪の流行を体験した医者や人々のだれもが、あれは世界的にも前例のない恐ろしい病気だったと言います。ある日心身ともに強健だった人が次の日には死んでいるかもしれませんでした。その病は、腸チフス、ジフテリア、肺炎、天然痘、小児麻痺といった、第一次世界大戦直後に人々がワクチンとして接種されることになった諸病に加えて、黒死病(ぺスト)の特徴をそなえていました。

事実上すべての人が、1ダースかそれ以上の病気や毒性血清を「種としたもの」を注射されました。そのようにして医者が作った病気が一斉に発生しだしたとき、それは悲惨なものでした。

流行は2年間続きましたが、その勢いは、症状を抑えようとして医師たちがさらに投与した薬の毒性によって保たれました。私が見いだしたかぎりでは、インフルエンザはワクチン接種を受けた人だけを襲いました。注射を拒絶した人たちはインフルエンザを免れました。

(略)

1918年のインフルエンザ大流行は世界中で2000万人もの人を殺したと言われています。しかし、実際には、医師たちがいいかげんで致死的な処置と薬によって殺したのです。これは厳しい告発ですがそれでも、薬品を用いない医者と、そうでない一般の医者と、どちらが成功したかという比較で判定すれば、それが真実なのです。

エレノア・マクビーンの同じ本についての別の方のブログからです。

第2話 スペイン風邪は、予防ワクチンに仕込まれた25の病原菌の罠だった

「屈強な男たちが次々と感染して、次の日にはあっさりと死亡した。彼女は『この風邪は普通の風邪とは違う』と疑問を抱き、大人になってから独自の調査を行い、アメリカ政府が当時行なった予防接種にウィルスが仕込まれていたことを突き止めたのだ。」

(略)

「もしも細菌、バクテリア、ヴィールスやバチルスといったものが病気の原因になることができるのなら、私たちの両親は一日に何時間も病人と同室していたのですから、感染する機会はいくらでもあったわけです。しかし、私の家族はインフルエンザに罹ることはありませんでしたし、また、病原菌を持ち込んで私たち子供にうつすということもなく、何も引き起こしはしませんでした。私たちの家族は、深い雪の積もるその冬の間中、誰一人としてインフルエンザはおろか鼻風邪にさえかかる者もありませんでした。1918年のインフルエンザ大流行は世界中で5000万人もの人を殺したと言われています。しかし、実際には、医師たちが、いいかげんで致死的な処置と薬によって殺したのです。」

この話を見ると、少なくとも米国では、ワクチンが原因で「スペイン風邪」が起こったように見えますね。

伝染らないスペイン風邪

さて、こんな米国で、今後のためにと感染実験がされたわけです。結論としては、「何をどうしようが全く感染しなかった」でした。この実験は細菌理論ではなくTerrain理論の証明かと思ってたんですが、上の話を聞くとそうではない解釈もできます。「もともとウイルスなんかいなかったから感染なんぞしなかった」という解釈も可能だということです。

「The Invisible Rainbow: A History of Electricity and Life / Arthur Firstenberg」よりスペイン風邪インフルエンザの感染実験1918-1919

しかし、すべての中で最も衝撃的なことは、この病気の感染性を証明しようとするさまざまなヒーロー的試みだろう。ボランティアを使ったものだ。これらの試みは1918年11月12月、1919年2月3月に行われたが、失敗した。米公衆衛生サービスで働いていたボストンの医療チームが試みたのだ、18歳から25歳の100人の健康なボランティアに感染させようとした。彼らの試みは印象的であり、読み物としても面白い。

我々は、粘液放出物を収集した、口や鼻、喉からだ。それと、この病気の事例からの気管支(?)だ。これをボランティアに伝搬した。これらの物質をいつも同じように取得した。ベッドにいる熱のある患者の前には、大きな浅いトレイがつけられた。我々は、その鼻孔を無菌塩分溶液で洗い流した、5CCほどだ。これがトレイに流れ落ちた、鼻孔から勢いよくトレイに噴出したのだ。これが他の鼻孔でも繰り返された。そして患者は、溶液でうがいした。次に、咳による気管支粘液を取得した。次に、それぞれの鼻孔の表面粘液を綿棒で取得した。それとまた、喉の粘液表面もだ。それぞれのボランティアが与えられたのはミックス物の6CCだ、説明したもののだ。彼らは、鼻孔にそれを受け取り、喉にも目にもだ。6CCのすべてが使われたと思うかもしれない、その一部は飲み込まれたことが理解できた。誰も病気にならなかった

さらなる実験が、新たなボランティアとドナー(患者)で行われた。食塩溶液ではなく、綿棒が使われた。物質が直接的に鼻から鼻へ、喉から喉へ移動された。ドナーとしては、病気の初日、第二日目、第三日目の者だった。

このように直接的に物質を移動されて受けたボランティアのうち、誰ひとりも、どのような病気にもならなかった。ボランティア全員が、少なくとも二つは受けた。その何人かが言うには三つの『注射』を受けたという。

さらなる実験においては、5人の病人からそれぞれ20CCの血液を取り出し、これがミックスされ、それぞれのボランティアに注射された。

誰もどのような病気にもならなかった。次に我々は、上気道からの粘液物質を収集した。これをマンドラーフィルターでフィルタリングした。この濾過物が注射されたのだ、10人のボランティアに、それぞれが3.5CCを皮下に接種されたのだが、誰もどのような病気にもならなかった。

次の試みとしては、病気を「自然な方法で」伝搬することだった。新たなボランティアとドナーを使ってだ。

ボランティアは、患者のベッドサイドにつれて行かれ、紹介され、患者のベッドで横に並んで座る。指示に従い握手をする。可能な限り近づき、5分間話をする。その5分の最後には、患者は可能な限り息を吐き出し、(指示により2インチ=5cmの距離の)ボランティアは、この吐き出された息を受ける、同時に患者の吐き出したものを吸い込む。これを5回行った後で、患者はボランティアの顔に直接的に咳をする。顔対顔でだ、これを5回行う。そして彼(ボランティア)は、我々が選択した次の患者のところに移動する。これを何度も繰り返す。このボランティアが10人の異なるインフルエンザ感染とコンタクトするまでである。これらは病気の異なる段階にある。最も新鮮な感染であり、三日を経過した者は誰もいなかった。誰もどのような病気にもならなかった。我々は、病気の原因を知っているという考えをもって流行に突入した。そして極めて確信していたのだ、おそらくは人から人へと伝搬する、その仕方を知っていると。

ドクター・ミルトン・ロセナウは結論する、「我々が何かしらを学んだとすれば、病気について我々の知っていることが極めて不確かなことである」。以前に行われた馬での伝染を示すための試みは、同様の目立つ失敗となった。健康な馬が病気の馬に継続的にコンタクトした、病気のすべての段階においてだ。鼻袋が馬につけられ、鼻からの放出物や高熱が集められた。これらの鼻袋に、他の馬の食物を入れた。しかし、頑固にも健康なままだったのだ。これらや他の試みの結果として、英国陸軍獣医団Herbert Watkins-Pitchford少佐が1917/6に書いている、彼は何の証拠も見つけられなかったと、インフルエンザが馬から馬へ直接的に広がることの。

他の原因、米国以外の状況は?

ワクチンの他にも理由があったようです。これについてドーン・レスターが書いてます。

感染病神話を一掃する~ドーン・レスター

結論だけ再録します。

これは非常に明らかなことである、「パンデミック」として言及される1918年のインフルエンザは歴史的にもユニークな時に起こったことがだ。しかし、「細菌理論」への反論としては、この時期の高い罹患率や死亡率というのは、「感染性ウイルス」によるものではありえないことだ。そうではなく、この記事で見てきたように、あるいは、我々の本で深く議論しているように、この世界的な現象は、いくつもの要因で説明しうるものなのである。その中に含まれるのは~しかし、それに限らないが~戦争と戦闘のストレス、複数の毒性ワクチン、毒性の医薬品、兵士たちの生活と戦いにおける最悪の状態、致死的な塩素ガスへの曝露、他の毒性金属、強力なENSOの効果、そしてまた、電磁波コミュニケーションシステム(EMF)の導入である、特に軍隊のだ。これらの要因が同時に起こり、相乗的にふるまったのである。これこそが、1918年に起こった罹患と死亡の苦しみの説得力のある説明というものだ。つまり、感染性の生きてもいないタンパク質にコーティングされた遺伝子物質、ウイルスと呼ばれるものよりもだ。

今も昔もヤブ医者ばかり

上記を考えてみると、今も昔もまともな医療など一切存在しないということがわかりますね。何の病気なのか、原因は何なのか、死亡原因は何かがさっぱりわからないのです。しかも、ワクチン等の「薬」が絡んでくるとさらにわからなくなります。連中がひた隠しにし、プロパガンダを流すからです。

かくして、1918年の「スペイン風邪」で死んだ数千万人はインフルで死んだことになっており、そこから100年経過した現在でも、死亡者はありもしないウイルスとやらが原因で死んだことになっているわけです。

追加:トーマス・コーワンの解説

この話を忘れてました。トーマス・コーワンが、やはり「The Invisible Rainbow: A History of Electricity and Life / Arthur Firstenberg」(邦訳:ヒカルランド)の中の話をしています。別の説明です。

1918年、1917年の秋ですが、世界中でラジオ派の導入があったんです。いかなる生体システムでも、新たな電磁気フィールドにさらすと、それを毒すことになり、何人かは死に、残りはある種の仮死状態になるんです。

(略)

これをアーサー・ファーステンバーグのInvisible Rainbowという本で読むことができますよ。彼は、地球の帯電化の全ステップを年代順にまとめてます。そして、半年以内にインフルエンザのパンデミックが起こったことです。世界中でです。

で、普通の説明を聞いてみると、どうやって行けるんでしょう?米国カンサス州から、南アフリカに二週間でですよ。世界全体が同時の同じ症状になったんですよ。その当時の交通手段といえば、馬か船だったんですよ。これについての説明が一切無いんです。何が起こったかわからないと言うばかりなんです。

しかし、これを考えてみると、これらのラジオ波や他の周波数というのは、皆さんポケットや腕につけてますね。日本にも信号を遅れますよね、即座にです。ですから、これを信じないような人、世界規模の電磁波フィールドによって数秒でコミュニケーションできることをですが、これを信じない人は単に注意が足りない人です。そして、これを指摘しなければ終わりにできないのですが、ドラマチックな飛躍的躍進があるわけです、この半年の間に。地球の帯電化においてですね。

(略)

一年前ほど、患者がきたんです、彼は完全に健康なサーファーで。。。彼は電気技師で、仕事としては非常に裕福な家にWiFiシステムを設置することでした。電気技師というのは、非常に高い死亡率なんです。しかし、彼は元気でした。しかし、彼は腕を折ってしまい、その中に金属プレートを入れました。

三ヶ月後、彼はベッドから起き上がれず、完全に。。。。完全な崩壊ですよ。感染しやすさとは、身体の中にどれほど金属が入ってるかなんです。そしてまた、細胞の中の水の質ですね。ですから、人々にアルミを注射し始めれば、彼らは、ますます増強される電磁気フィールドの吸収装置になるんです。これは最悪な状況になります。種の崩壊です。それが我々の今経験していることです。

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