薬害スモン病に見る繰り返される「科学者」のデタラメ

ピーター・デュースバーグ:薬害スモン病の失態で、彼の書籍の一部を邦訳して紹介しているのですが、私自身はスモン病という言葉や薬害訴訟という言葉は聞いたことがありますが、こんな話だとは知りませんでした。実際、この本で言及されている戸田市に一時期に住んでたこともあるんですが、「戸田奇病」なんて一度も聞いたことがありません。

この話を極めて簡単に言えば、こういうことです。

  • 科学者の頭が悪すぎて、10年以上ウイルスのしわざと思い込み、その偏見からウイルス仮説に反する証拠を無視し続けた。
  • 医師の頭が悪すぎて、その病気の治療のために投与していた薬が、まさにその原因だった(ことに気が付かなかった)。

ということですからね。日本のトップ科学者や日本国中の医者がこれに全く気が付かなかったという、あまりに馬鹿げた話なのです。しかも、ピーター・デュースバーグは書いてないんですが、こういう話もあるんです、実は。

  • 厚生省役人の頭が悪すぎて(あるいは故意に)他国で危険とされている薬を製造認可してしまった。

で、さらにこういうことですね。

  • メディアが偏向しすぎていて(製薬会社に都合が悪いので)、この教訓を日本国民に周知させていない。

探してみたところ、こんな記事がありました。これは興味深いですね。

スモンの会全国連絡協議会・薬害スモン関係資料公開の意義と課題

キノホルムは,1899 年スイスのバーゼル化学工業(1)(のちのチバガイギー)が開発し,1900年に外用防腐創傷剤(塗り薬)ヴィオフォルムとして発売した薬である。1933 年,アメリカ・カリフォルニア医大の研究者(2)が「ヴィオフォルム」をアメーバ赤痢に有効と報告,第二次世界大戦下の要求により,内服薬として利用が開始される。しかし,1935 年アルゼンチンでキノホルムの神経毒性を疑わせる症例の発生が報告され,開発国のスイスではキノホルムを劇薬指定する。

また,日本でも 1936 年に内務省がキノホルムを劇薬指定し,38 年にはキノホルム投与後に下肢のしびれが出現した症例発生が 3 件報告される。にもかかわらず,1939 年厚生省はキノホルムの劇薬指定を取り消し,軍需用国内生産が拡大されることになる。この後の日本の厚生省の対応は,海外の動向と逆行する。

第二次世界大戦が終結した 1945 年,アメリカで「アメーバ症治療薬濫用により中毒発生,キノホルムは毒性が強い」と医学雑誌『JAM A』に掲載され,1960 年,アメリカ FDA(食品医薬品局)は,チバ社(ガイギー社と合併前)に対し「キノホルムはアメーバ赤痢など重い症状に限って使用すべき」で一般使用は禁止すると勧告,1962 年にはキノホルム剤(エンテロヴィオフォルム)を処方薬に指定,アメーバ赤痢以外に使用禁止とする。さらに,1966 年 1 月スウェーデンの医師オッレ・ハンソン(3)氏が医師であれば必ず目を通すと言われるほど全世界で読まれている英医学雑誌『ランセット』にキノホルム副作用を警告する論文を掲載するのである。

日本では 1953 年からキノホルム剤が製造されるようになり,日本チバガイギー株式会社,武田薬品工業株式会社(4),田辺製薬株式会社(5)によって大量生産・大量販売へと向かっていく。結果,1955 年頃からスモンと見られる症状を示す患者が確認されるようになる。

つまり、厚生省はキノホルムの危険性を確実に知ってたわけです。そうでなきゃおかしいですね。

さらにこんな記事もあります。

スモン(慢性キノホルム剤中毒)

各製薬会社は和解に応じようとしたが、田辺製薬だけは最後までウイルス説にこだわり、和解に応じようとしなかった。

田辺製薬は社内で行っていた動物実験でキノホルムがスモンの原因であることを知っていたが、その事実を隠してウイルス説を曲げなかった。この会社の姿勢に憤慨した田辺製薬の研究員白木博次医師が裁判でそのことを証言し、この白木証言で裁判の流れが大きく変わった。

田辺製薬も、はなからこの薬の危険性をわかっていたわけです。そりゃ動物実験ぐらいするでしょうね。製薬会社の方は「どの程度死なないか」は確認しますよ、そりゃ、当たり前です。しかし、隠していたわけです。

さらに、こういう被害者の方の書いた記事があります。

高校生の為に薬害スモン被害者としてのわたしを語る。4

また感染症と間違えられたもとになった地域的な大量発病の原因は、後になってわかったのですが、例えば非常に多くの患者が出た埼玉県の戸田市というところがあります。

戸田病と言われていました。これは戸田市が東京オリンピックのボートコースになったんですね、そのために市内に病人を出してはいけないという保健所の配慮ですべての家庭に下痢止めとしてキノホルムが配られて予防的にたくさんの量を飲むようにと言われたことが原因だったのです。

最初に一時期戸田市に私は住んでいたと書きましたが、確かに田辺製薬の工場がありますよ。おそらく東京オリンピック当時は、戸田市有数の大工場だったでしょうね。

さて、探してみると「スモン病はウイルスではなくキノホルムが原因」に対して反論もあるようです。以下は田辺製薬の社員の方のようです。

田辺三菱製薬 戸田の変わりよう

1981年、入社した。
ちょうどスモン問題が、キノホルムの因果関係が明らかでないまま、政治的決着で「和解」しつつあるころである。

データで考える研究者たちは悔しい思いをしたであろう。
サイエンスを主張すれば新聞、メディアに叩かれ、会社がつぶれるという状況だった。
患者(=弱者)こそ正義、白と信じているものを自ら黒と言わねば極悪人とされた。

しかし和解が済んでも因果関係の欠如を主張してきた田辺はしぶとかった。
入社したころの社内報は、社長が海外の薬局に行って笑顔で箱を手に「キノホルムはこんなに安全でいい薬です」というシリーズものが掲載されていた。

あれだけ論争があって何も解決しなかったのに、今はどんな教科書、サイトを見ても「スモン=キノホルム」が「事実として」確定している。
当初反論していた科学者たちが世間的に形勢不利と見るや、全員口をつぐんだからである。事実は科学でなく多数決で決まり、多数決はムードで決まる。

私は薬害に少しは興味があり、雑誌『諸君』の大論文、宮田親平『田辺製薬の抵抗』などを読んでいた。中立の大学院生の立場からデータを見れば、田辺に同情こそすれ反感はなく、就職に迷いはなかった。

これだけ明白な事実かと思いきや、田辺の側からは反論はあるようです。どんなものか全く書いてないのでわからないのですが。そして、

事実は科学でなく多数決で決まり、多数決はムードで決まる。

というんです、これはその通りです、同意します。しかし、「キノホルムではない」と確信し、とても悔しい思いをし、それを皆に知らしめたいのであれば、その内容を詳しく書くべきだろうとは思いますね。一人でも賛成する人が出てくるかもしれませんし、私も是非聞いてみたいんです。しかし、そういった努力はしないようです。

これは、これまで私が遭遇したあらゆるケースと同じです。例えば「新コロ否定派は科学的ではない」という人がいるとすると、「じゃぁ、この記事のどこが間違いなのか指摘してくれ」と言うわけですが、それ以降は無視で音沙汰無しとかですね。そんなのばっかりですよ。

ともあれ、まとまった反論書籍としては、以下があるようです。図書館にでも行くようなことがあれば探してみますが。。。

一方でスモン被害者の側の本としても、それほど多くは無いようです。

 

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Posted by ysugimura