コロナチラシ、「マスクでウイルスと密に」編

今一つなんですが、とりあえず。

Ver.3

Ver.2

Ver.1

コメント

  1. チョメ・フミ より:

    たびたびすみません。

    y.sugimuraさん、これは提案なのですが、そのように僅かでも煽動を含めるのではなく、
    単に事実だけ整理して提示してあげるのは如何でしょう?

    例えば、

    <<< マスク着用のシチュエーションまとめ >>> (2020年8月1日(土)現在)

     2020年8月1日現在、公的機関より発出されている「マスク着用」のアナウンスについてまとめました。
     (今般の日常生活で何かと煩わしいマスクが不要な機会が実は意外とあります。お役立て頂けたら幸いです。)

    ・政府,厚労省:外出時 (※)
    ・国交省:公共交通機関利用時、駅構内、駅施設を使う時

    ※政府,厚労省の”外出時”にも具体的な設定があり、本感染症とされるものは”飛沫感染”するとされており、
     飛沫放出の3シチュエーションに適用されます。

     ① 咳の放出時 (これは本感染症でなくても日本人ならマナーですよね)
     ② くしゃみの放出時 (これも本感染症でなくても日本人ならマナーですよね)
     ③ 発声(会話,通話)時 (これは本感染症で新たに加わった新生活様式と言えるかも知れません)

    以上3シチュエーションについてアナウンスが出ています。
    従って、街中で1人で無言で出歩くような時はマスク不要です。(飛沫を放出することは無いですよね)
    但し、スーパーや飲食店など、店舗側でマスク着用を要請しているような場合には、”郷に入っては郷に従え”で、
    サービスを利用する以上、ルールを守ってスムーズに買い物などを済ませてしまいましょう。
    「公道はマスク着用しなくてもok」とは言えど、2人以上で会話が発生するような場合はNGです。

    夏期に入り環境省より”熱中症対策”のため、常に他人と2m以上距離が離れており、密集していないような
    シチュエーションにおいては「熱中症予防の観点からマスクを外しましょう」とのアナウンスも出ています。整理すると、

    <マスク着用必要時>
    ・政府,厚労省:外出時 (以下3シチュエーションに該当する時)
     ① 咳の放出時 (これは本感染症でなくても日本人ならマナーですよね)
     ② くしゃみの放出時 (これも本感染症でなくても日本人ならマナーですよね)
     ③ 発声(会話,通話)時 (これは本感染症で新たに加わった新生活様式と言えるかも知れません)

    ・国交省:公共交通機関利用時、駅構内、駅施設を使う時
    ・事業者:店舗やサービスの利用時、店舗内、サービスを受ける時

    <マスク着用不要時>
    ・政府,厚労省:外出時 (上記3シチュエーションに該当しない時)
     例) 咳やくしゃみが無く、会話や通話も無く公道を通行する時

    ・環境省:常に他人と2m以上距離が離れており、密集していないような時

    以上です。これだけ整理された情報を見たことが無いのも何だか珍しいような気がしますが、如何でしょうか。
    「何時でも何処でもマスク着用しなければならない」ではなく、
    単純に、政府,各省庁のアナウンスに付き合って差し上げる以上、
    しっかり内容を整理して適切なタイミング,シチュエーションで、つまりTPOに即したマスク着用をして差し上げる
    といったニュアンスでマスク着用行為を自らの制御下に置くことが出来ます。

    またここからは私個人の私見ですが、「別にマスクである必要は無い」と考えます。
    そもそもマスクも繊維間隔と、件の病原体とされるものの径で考えると通常流通しているような規格のマスクでは
    防疫には無効であるという説を多数聞きます。従って何故マスクを着用しているのかについては、
    対人的な恐怖感を、双方がマスクを着用することで自分たちは守られているのだという錯覚を持つことにより
    安心感を得て、気にせずコミュニケーションが図れるということなのかと考えられます。

    しかし科学的には根拠はありません。従って、私はマスクは口元のみを覆い(鼻は出す)、扇子を1枚畳んで持ち歩き、
    誰かと話す機会があるときだけ扇子を開き、口鼻を覆いながら話をするということを行っています。
    案外相手はそれでも「飛沫放出は気にならなかった」という感想を頂きました。
    おそらく咳,くしゃみさえ無ければ、扇子だけでも、マスク着用の必要も無いということも言えそうです。

  2. チョメ・フミ より:

    思い立ったので残させて頂きます。何だか寄生のような形になってしまいたびたびすみません。

    「”肺炎”を作り出せる可能性について。」

    ちょっと危険な着想なのであまり言及して来ませんでしたが、ここにもほころびを感じてしまったので念のため。
    例えばテレビで、いわゆるICU内の映像が流される時、基本的には人工呼吸器の「ピッ」「シュー」という音が
    流れるものと思います。
    この2つの音は、要は「機械で酸素を送っています」ということを示す最低限の音と考えられます。

    しかし実際「ICUに収容し救命を図る必要のあるヒト」については、必ずしもカニューレを挿管し酸素を
    送気しなければならないヒトではないものと思います。
    むしろこういったヒトは既に助からない可能性が高いヒトを映しているにすぎない気がします。

    米国メディアの映像も含め、日本国内メディアもそうですが、
    「呼吸をするとぜーぜーし、頻繁に激しく咳込み、息も絶え絶え」なようなヒトがごろごろ居るような地獄絵図を
    全く見掛けないことに疑念が拭えません。妙なのです。

    思い立ってしまったことではあるのですが、
    我々は「ゴホン」と1回咳をすることは可能ですよね。あるいは「ゴホンゴホン」と2回とか。
    これはいわゆる”咳払い”になると思います。
    ノドがいがらっぽい(何かが付着していうような不快さを感じる)時に、意図的,擬似的に咳反射のような挙動をとることで
    その付着物を除去しようという行為と思います。

    これを10回や20回、あるいは100回や200回行ったらどうなるでしょう。
    1000回や2000回、あるいは1日中、1週間中とか。
    意図的に連続的に咳をし続け、気管や気管支の平滑筋収縮を起こし続けると、やがて気管支炎になるのではないでしょうか。
    肺炎の方は気管支炎も併発していることも多いような印象もあります。
    「咳はクセになる」という、あくまで民間伝承ではありますが、そういう話も聞いたこともあります。

    仮に気管支炎から肺炎へと進展するような機序があるのであれば、
    それは「肺炎は意図的になれる」ものにもなり得るのでは…と思い立ってしまった次第です。
    報酬を付け、そういった治験や臨床研究があってもおかしくはないような気がします。
    当然、生命が危険に瀕するようなことは治験でも臨床研究でも扱えないことにはなっていますが。
    ばかばかしい、でもだからこそ考えないであろう事項でした。