この話も私の理解している範囲で是非紹介したいと思っていたんですが、しかしどこから手をつけていいのかわからず、延ばし延ばしになっていました。こう書きながらも何から書けばいいのか迷っていますが。。。
これは別にオカルトではありません。いかに現代の科学なるものが何もわかってないかという話です。そして、その科学なるものに、いかに我々が洗脳されているのかという話に通じますね。それらの示す証拠やら証明やらは何の当てにもならないという話です。
まずは、テスラのイーロン・マスクという大金持ちの実業家がいますね。「イーロン・マスク 仮想現実」で検索してみてください。彼が「この世は仮想現実だ」と言っているほか、投資銀行メリルリンチのシンクタンクも「我々の世界は50%の確率で仮想現実」なんて言ってるらしいことがわかります。
この世が仮想現実であるとはいかなる意味か?といえば、こういうことです。我々はコンピュータゲームの中のキャラクターに過ぎず、プレイヤーはゲームの外にいるってことです。この場合のプレイヤーというのは、あなたの意識です。
つまり、今現在あなただと思ってるのは、ゲームをプレイしている意識という存在と、ゲームの中のキャラクタという二つの組み合わせだということです。もちろん、「主」となるのは意識の方ですね。
ところで、グラハム・ハンコックと人類のウソに書きましたが、グラハム・ハンコックの考えとしてはこうでした。
意識と脳の関係は、喩えてみれば。。。正確にそうだとは言いませんが、
喩えてみれば、こういったものだろうと、テレビ電波とテレビのようなものだと。
その場合には、テレビを壊したりしても、テレビ電波は継続しているわけです。
ですから、私の示唆しているのは、脳とはおそらく、意識のトランシーバーであろうと。
意識の発電機では無く。
(脳とは)おそらく、意識が物質領域とインターフェースするためのものだと。
彼も同じようなことを示唆しているわけです。意識とその他の部分は分離した存在であると。
しかし、こういった考え方は、以前からあちこちで言われてることですね。例えば、リン・マクタガートの「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」なんて本にも同じようなことが書いてあります。今見たら絶版になってプレミアになってますね、私が購入したときは、3,456円でした。この本はあまりに面白いので無理して一晩で読んでしまった記憶があります。おそらくこの手は他にもたくさんあるでしょう。
つまり、物理的な「脳」というものは、ゲームの中のキャラクターの「脳」でしかなく、その実体である意識はゲームの外におり、脳とのやりとりをしているというわけです。
そして、ハンコックも言うように、テレビを壊しても、つまり脳が破壊されていても、テレビ電波つまり意識はそのままだということです。そういった話は良く聞きますね、心停止した人が一時的に霊魂になってしまうなどなど。あるいは完全に破壊された後で、新たなテレビを使うということです。これが生まれ変わりですね。
さて、では具体的にこの世がゲームである証拠、我々の意識が実はゲームの外にある証拠というのはあるんでしょうか?
証拠とまでは言えないものの、この世が「固い物質」から構成されているわけではないことは、物理実験からもわかっていることなんです。。。と解釈してます。言い方が難しいんですが、「固い物質」ではないというのは、こういうことです。めちゃめちゃ大雑把に言えば「モノは人が観測したときにだけ固くなり、それ以外の時にはどうも実体が無いらしいぞ」ということです。
これも喩えていうならば、コンピュータゲームってのは、プレイヤーが見てる画面だけが描画されてますよね?今現在、窓の無い部屋にいるとすると、その部屋しか見えませんから、その部屋しか描画されていません。その部屋の外部を描画する必要は無いので、外部は存在すらしていません。人が見てる部分以外も全部描画したら、コンピュータが忙しすぎるので、見てる部分しか計算してないし、描画してないんです。
人が観測したときだけ固く、つまり存在しており、観測してないときは固くないというのはそういう意味で使ってます、存在してないんです。。。という仮説ですよ。
さて、100年前、アインシュタインのいた時代に量子力学という新たな物理学が勃興したわけなのですが、そこで論じられたことは、ある実験における非常に不可思議な物理現象でした。100年たった現在でも誰も理由を説明できません。
これは「二重スリット実験」と言うものです。これがどういうものかは、探せばいくらでも説明があると思うんですが、ごく簡単に説明すると、こういうことです。
二つのスリットが開いた壁に向かって、何度もボールを投げつけます。その向こうにはスクリーンがあり、これらの複数のボールの当たったところに跡がつきます。当然、二本の直線状にボールの跡が残ります。
こいつを非常に小さい世界にします。ボールとして電子や光子を使うわけです。一個ずつそれらを投げつけていった結果、どうなるかというと、なぜか二本の直線状ではなく、三本以上の直線の縞模様になるわけです。
これが、電子や光子が波の性質を持つと言われるゆえんですね。波であるために、二つのスリットで干渉を起こして三本以上の縞が現れるわけです。
当時の科学者は、なるほど、電子や光子はボールのような粒子ではなく、波なのかと思ったんですが、しかし、電子や光子がこのスリットを通るところを観測しながら実験してみると、なぜか二本になってしまうんです、ボールになってしまうわけです。
つまり、観測してるかしてないかによって結果が違ってしまうんです。
量子論を専門にしていない物理学者は、こう解釈しているそうです。「なんだ、観測する行為自体が実験過程に影響を与えてるだけだ」と。でも違ったんですよ。そんなに単純な話であれば、とっくの昔に解決してます。
これが、意識という「プレーヤー」が見ているところだけ仮想現実が描画されている証拠だという人もいるんです。
(続くのだろうか?)
コメント
「これも喩えていうならば、コンピュータゲームってのは、、、描画してないんです。」「モノは人が観測したときにだけ固くなり、それ以外の時にはどうも実体が無いらしいぞ」
これって、AIが支配するといわれるこれからの時代のイメージとリンクしてますよね。
よくスピ系でこういう話や量子論を引き合いに出して解説している人がいますが、このイメージとつながってるような気がします。結局訳が分からんという状態にさせているのではないかと思えるんです。個人的にはスピ系の量子論を持ち出す傾向については???です。権威付けのために利用してるとしか思えません。
相対性理論も量子論もマクロとミクロの世界を説明しきれないわけで、どちらも欠陥品だと思っています。どちらも難解な数学の世界です。量子論は確率ですが。現実世界とは無縁の、現実も目に見えない世界も説明できない失敗作だと思っています。どちらも重力理論の世界がベースで「電気」という肝心なものが抜けているからです。
というのはヴェリコフスキーと電気的宇宙論を最近調べていて、ここらへんの問題を解決しつつあるように見えるからです。歴史も科学も常識も根底から間違ったことを教えられてきたのだと思えてきました。
ここらへんのことブログで記事にしましたので、よろしければ見ていただけないでしょうか?
https://quietsphere.info/ 「不安の根源と惑星的大惨事」